一.品呪改良

 朝。桃子は紡邸の縁側で朝日を浴びて仁王立ちしながら牛乳を飲んでいる。綺麗に刈り揃えられた庭の芝生が朝露を纏って水面のように煌めいている。


「爽やかな朝だ牛乳が美味い!」


あーはっはっはっはっ! と桃子が二十四時間戦えるCMソングみたいな近所迷惑呵呵大笑かかたいしょうをしていると、


「朝ご飯出来ましたよ」


つばきが朝食をトレーからテーブルに載せ替える。メニューは狐色のトーストに半熟ベーコンエッグ、サラダチキンとサニーレタスのサラダ、コンソメスープ。


「朝はご飯派でしたか?」

「いえいえ、無宗教です」

「あは!」


シャツと短パンの上からホラー映画の引っ掻いたような字体で「飯喰え」と書かれたエプロンのつばきは嬉しそうに笑う。

桃子はザクザクの、それだけで既に香ばしいトーストを手で千切ると、無遠慮に卵の黄身へ突き刺す。微かな一瞬の抵抗感の後、黄身がと流れ出す。


「すいませんね、朝ご飯まで」

「いえいえ」


そもそも何故桃子が紡邸で朝を迎え朝食をいただいているのかというと、単純に昨晩紡邸で酔い潰れたからである。つばきハイボール(つばきがステアしてくれるだけで材料はごく普通の濃いめハイボール)がガッツリ効いた。

そして気が付いたら紡邸二階の寝室に寝かされていたというわけである。

桃子はトーストを口に放り込む。この黄身の濃厚さは熱が通っていないと味わえない。


「あの部屋は普段どなたが?」

「どなたも? 私も紡さんも寝るのは屋敷の方です」

「幽霊って寝るんですね」

「歯も磨けば顔も洗います。お風呂も大好き。念だけが残った幽体なら気にならないかも知れませんが、私みたいな原型保ってる系幽霊は生前のルーティンを守らないと気持ち悪いので」

「原型って」


そんなスリーピングゴーストつばきだが、仕事がある桃子をわざわざ早起きして起こし、予備の歯ブラシを引っ張り出して提供し、白湯さゆを飲ませシャワーを浴びさせている内に朝食を作るという元プロの使用人ぶりを律儀に発揮してくれた。

なお紡は十時より前に起きて来ることは滅多にないらしい。

桃子はスープを一口啜る。朝に相応しく塩辛過ぎない、しかししっかりしたコンソメの味わいが舌のツボに柔らかく触れる。既に白湯で内臓が温まっているとは言え、やはりスープはあると嬉しい。


「だったらあの部屋、私のになりませんかね?」

「無理だと思いますよぉ」

「あ、そもそもあの部屋だとお二人が屋敷で寝ているのに私だけ邸宅になりますか。屋敷の方にお部屋もらえませんかね?」

「屋敷はもっと無理でしょう。あの人、屋敷には他人ひと入れないので」

「ですよねぇ。私も入れてもらったことないです」


桃子はサラダを口に運ぶ。ドレッシングは控えめながら、サラダチキンのハーブが味を過不足無く補強してくれる。


「『呪』について知識の無い人が入ると危ないんです。お客様から危ないモノを預かったり、使い方を間違えるとアイテムを保管したりしてますから」

「へぇ〜、素人からしたら地雷原です」


桃子は深く考えずにテレビを点ける。画面ではワイドショーのコメンテーター(胡散臭い知識人ですらない芸能人)が何やら語っており、その後ろでは大量の鶏が映っている。


『日本は地震が多い国ですからねぇ。養鶏場は対策しないといけませんよ』

「なんですか何が地震で養鶏場ですか。柵が歪んで大脱走ですか」

「地震に驚いたブロイラーが狭い鶏舎の中を逃げ惑って押しくら饅頭になったみたいですね。それで大量に圧死と」

「わぁお」

『でも地震の所為ばかりとも言えないんですよ。こちらをご覧下さい』


画面の方では動物愛護なんちゃら……という肩書きの人物言葉に合わせてひっくり返った鶏の死体の写真が映る。


「うわぁ、朝から嫌なものを……。飲み物いただけます?」

「すぐ出るのは冷たいルイボスティー、牛乳、林檎ジュース……」

「りんごじゅーす!」


桃子が林檎ジュース(嬉しい百パーセント)を受け取る間にも、話は続いている。


『この写真はなんですか?』

『これはひっくり返って死んだブロイラーです。ブロイラーは過剰に太るように品種改良されているので足が発達し切らない内に体が大きくなり、一度けると二度と起き上がれず死ぬしかないのです。今回の地震、ひっくり返っても自力で起き上がれれば圧死せずに済んだ鶏が結構いるはずなんですよ! そもそも地震が無くたって肉を取る為の無茶な品種改良で心臓疾患や骨格への負担、ストレスや餌をケチることによる慢性的な飢餓……』


話はそこから『動物愛護的観点から見る日本の畜産業界批判』に展開していく。


「鶏肉は大好きですけど、こういうのを見聞きすると考えさせられますね……」

「全国民が地鶏ばっかり買える高所得な時代が来るといいですね。食後にコーヒーか紅茶は?」

「流石にお腹チャプチャプになってしまうので」


つばきは食べ終わった皿を下げながら、ボソッと呟く。


「紡さんがいたら、また『呪』について語り出すんでしょうね」


桃子は少しテーブルに身を乗り出す。


「ほう、どのように?」

「『いいかい桃子ちゃん? 品種改良はまさしく科学的な「呪」なんだよ。「呪」は前にも言った通り、「そう」あるように周囲が求めることで「そう」なっていくもの。つまり「より沢山肉が取れるように」と思ってブロイラーを生み出したり、今朝桃子ちゃんが飲んだ牛乳がより沢山採れるようにホルスタインを、林檎ジュースがより美味しくなるように甘い品種を作り出すのと同じことなんだ。ただアプローチが人の思いオンリーか科学的研究と操作によるかの違いでしかない。「呪」もブロイラーも人が「そうあってほしい」と思うから生まれる。人間の歴史は科学が発達して「呪」が忘れられても、根本的には変わらないんだねぇ』」

「あはははははっ! めっちゃ言いそうです! しかも似てるぅ!」

「あは。つばき百八の秘密技の一つです」

「他のモノマネも出来るんですか?」

「聞きたいですか?」

「聞きたい聞きたい!」


そうしてつばきのモノマネを堪能している内に、いつもと違って紡邸からの出勤になることを計算に入れていなかった桃子は見事遅刻したのである。

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