急.
「箒さんを、看取る……?」
言葉の意味を計り兼ねる桃子が身を乗り出すと、小竹は座を立ち上がって縁側の方へ向かった。彼女が逃げないようそこに待機していたつばきが腰を浮かせるが、小竹はすっとつばきの隣に座って庭を見つめ始めた。この先を聞きたくないから背を向け、向き合わなければならないからその場に留まる彼女の気持ちが背中に滲んでいる。
「どういうことですか? 看取るってむしろ付喪神になってますますお元気なご様子ですけど」
「お巡りさん。あんたぁ、付喪神について知っとるかい?」
「つい先頃レクチャー済みです」
「じゃあ付喪神にさせん為に、九十九年経った道具は壊してしまうことも」
「はい」
今井はチラリと小竹の方を見る。彼女の背中にいつもの勝ち気な気配は見えない。
「つまり付喪神っちゅうんは元の道具が壊れちゃあ終わりなんだな。そんでウチの箒さんなんだけど、柄の竹が割れて、裂け目がだいぶ広がって来たんだ。人間から見たらまだまだ使えそうな気がしないでもないんだが、箒さんが『私ももうすぐ御陀仏だ』ってんで。確かに人間の体にあんだけの傷が入ったら厳しいかも知れん」
確かに小竹の本体たる箒を見ると、柄の先端から三分の一程が割れている。もし人体で考えたら部分によっては命が無いし、何処に当たっても重傷は避けられないだろう。むしろあの状態で元気そうに玄関を掃き掃除しているのが奇跡に思える。そこが人とは違う、道具であり付喪神であることの証左か。
「だから儂ゃあ約束したんだよ。『最後の時は必ず側にいる』ってな。
桃子は黙って頷くしかなかった。不意に小竹が戻って来て、本体の竹箒を引っ掴み庭に降りた。無心に、気を紛らわすように掃き掃除を始める。今井はそれを、尊いものを見る目でじっと眺める。
「その矢先に身体を壊して入院じゃて。なんと間が悪い。しかし病院で儂がゆっくり寝とる間に箒さんの最期が来てしまったらどうする? 儂が倒れた時だって助けてくれたのは箒さんだ。そんな本来妻に先立たれて独りで死んでいくはずだった儂を助けてくれた箒さんを、誰もいない家で寂しく死なせて行くんか? 儂には出来ん。病院で寝とる場合ではないわえ」
今井は静かに語るが、その声にはしっかりした確固たる熱が含まれている。
「なぁ、お医者さんでないお嬢ちゃんに言ってもしょうがないかも知れんが、儂は家におらねばならんのだ。せめてそれは分かってくれろ」
今井が桃子に深く頭を下げると、庭でこちらにずっと背を向けていた小竹も振り返って叫んだ。
「分かってるよ! 爺さんは病院にいなきゃいけないんだって! そうじゃなきゃ病気で危ないんだって! これは私のエゴだって! でも、爺さんの思いを無下に出来ないよ! 私だって、最期は爺さんにいて欲しいよ……!」
双眸から、人と変わらない大粒の涙を流しながら。
もう桃子には何も言えなかった。もらい泣きを堪えるだけで精一杯である。
視線を紡の方へ向けると、彼女は真顔で頬杖を突いている。
桃子はなんとなく嫌な予感がし、紡はそれを裏切らなかった。彼女は桃子の代わりに冷たい声で告げる。
「じゃあお爺ちゃん、病院戻ろうか」
「あの時は心臓が凍るかと思いましたよ」
その晩、桃子は紡邸のリビングに来ていた。テーブルの上には山盛り茹でられたソーセージとグラスに注がれた黒ビール。
桃子とそれらを挟んだ対面に紡が、カンムリヅルの浴衣に身を包んで座っている。
「桃子ちゃんまで入院になったらメンドくさいね」
「そこは心配って言って下さい」
「あは。その時は林檎切ってあげますね。うさぎさん」
つばきは桃子の右手側に、コキンチョウの浴衣を着て座っている。
「あ、私林檎の皮苦手なんです。普通に丸ハゲにして下さい」
「丸ハゲて……」
手を上げて林檎うさぎを制する桃子の足元を、一体のロボット掃除機が通り過ぎて行く。桃子はそれを目で追いながら呟いた。
「移せるもんなんですねぇ。付喪神」
「じゃあお爺ちゃん、病院戻ろうか」
昼間紡が冷たく突き放した時、今井は俯き小竹は泣き崩れ、場の空気は最悪になった。しかしその直後に続いた紡の言葉は意外なものだった。
「箒さんのことは私が解決出来るので、貴方は真面目に入院して病気治して、早く迎えに来ることです」
「えっ」
「そんなことが出来るのか!?」
思い切り身を乗り出した今井の両手を握りながら、紡はニッコリ笑顔で答えたのである。
「出来ます」
と。
「まぁ神社の神様を分社や他所の神社に勧請するのと一緒だからね。無理な話じゃないよ」
その後今井を病院に帰した紡は、なんと小竹の本体を壊れかけの竹箒からロボット掃除機に移してしまったのである。果たしてそれは上手く行き、小竹は晴れてロボット掃除機に宿る存在に生まれ変わり、紡への支払い代わりに今井が退院して迎えに来るまでの間紡邸の掃除をすることになった。
「いやしかし、どうして引越し先が同じ竹箒じゃなくてル◯バなんです?」
「その方が便利じゃん」
「それはそうですけど、付喪神は道具の霊でしょう? 違う道具にしてなんかバグったりしませんか?」
「へーきへーき」
紡はフォークでソーセージを刺すと、顔の前まで持って来る。
「前もホットドッグ食べながら話したでしょ? ソーセージはガワが羊になっても豚肉料理、逆に中身がつばきちゃんでも見た目が桃子ちゃんで周りもそれを桃子ちゃんと思えばそれが桃子ちゃん」
「そんな話もありましたか」
紡はロボット掃除機になった小竹を見遣る。彼女はちょうど充電器に到達した所だった。
『……なんだよ』
「いや、別に?」
紡はソーセージをパリッとやると、黒ビールで流し込んだ。
「大切な人さえ彼女だと分かっていれば、彼女は彼女でいられるわけさ」
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