六.老人と箒

 完全に包囲されて鋭い目付きを見せる小竹に対して紡はニッコリ笑い掛ける。


「別に取って食おうっていうんじゃないんだ。ちょっと話が聞きたいだけ。さ、寛いで」


紡はまるで手本でも見せるかのように側のちゃぶ台に右肘を乗せる。


「オメェ、人ん家だぞ……」


小竹は気に障ったというよりは、あまりにも紡が堂々とし過ぎて調子の狂う居心地の悪さを感じているような態度で身体を揺する。桃子はなんとなく箒っぽい動きだな、と思った。


「君に聞きたいことはただ一つ」

「待って下さい。なんで警察の私ではなく紡さんが質問しようとしてるんですか」

「逆に桃子ちゃんが聞くことあるの? 空き巣でも不審者でもなかったから警察として用は無いはずだし、上司に『付喪神でした!』とか報告したいの?」

「あ、いえ。精神おかしくなってると思われたくないです」


付喪神について語ることを「精神おかしい」と形容したからか、桃子は小竹に少し睨まれた。


「というわけで聞かせてもらおうかな」

「何をだよ。私を一目見て正体見破るような奴が、今更学研漫画みてぇな『なぜなに付喪神』でも聞きたいのか?」

「そんなんじゃないさ」


紡のニッコリ笑顔が少し変わる。目が笑わなくなったのだ。


「今井三郎さんについて」

「……爺さんがどうしたってんだよ」

「それは貴方の方がよく知ってるはずだ」

「……」


小竹は伏し目がちに紡を見据える。睨むようにも、押し込められているようにも見える。


「私よりそばで暮らしている貴方の方が今井さんが入院していること、病状について詳しいはず。当然、入院していなければならないことにも」

「普段は正体を隠して関わってないかも知れないぞ」

「そんなことはないね。独居老人の家に来客用じゃないような座布団が二つ。貴方と二人暮らししていることは明白だよ」

「ん……」


紡が少し身を乗り出す。遂に作った笑顔も真顔になった。


「だからこそ分からないんだ。何故貴方は今井さんが家に帰って来てしまっても病院に帰さないのか? 帰らせた方がいいと分かっているはずなのに、警察官である桃子ちゃんから頼まれた後ですら貴方はそれをスルーした」


小竹は露骨に目を逸らせた。


「……爺さんがこの家にいたいって言うからだよ」

「本当に?」

「そうだよっ!」

「紡さん。多分この人? は付喪神だからそういう人間の尺度が分からないんですよ。病気とか命が危ないとか。だから気持ち優先の判断なんじゃないですか?」


思わず桃子も割り込んだ所で、



不意に玄関からガチャガチャッと音がした。



「何事っ!?」


玄関に続く廊下を背にした桃子が振り返ると、引き戸がガラリと開き、一人の老人が姿を現した。老人は桃子を見て頭をポリポリ掻く。


「あん? お客さんかい?」

「も、もしかして貴方……」

「この家のモン、今井三郎だが」






「爺さんまた帰って来ちまったのか」


小竹の横に座る三郎は、孫に嗜められているかのように嬉しそうにしている。


「へぇ、警察の方とそのご友人で。今お茶を淹れるんで、ごゆっくり」

「呑気言うな! 爺さんを連れ戻しに来てんだよ!」

「おや、そうかい」


マイペースに台所へ消えて行く今井老人。最初は桃子もよっぽど即強制送還しようと思ったが、マイペースな今井の雰囲気に押されている内にタイミングを逸した。紡やつばきと目を合わせても、他の二人も「どうしようもない」って顔をしていた。さすが老人、若輩では深みに勝てない。

ややあって今井は湯呑みを盆に載せて戻って来た。


「粗茶だが、ご容赦願いたい」

「いえ、ありがとうございます」


お茶を受け取る頃には、完全にペースを破壊された紡が質問する気力を失ったので、目配せで桃子に交代を要求してきた。

さすがにこの状況で小竹も逃げないだろうと、桃子は紡の隣に腰を下ろす。


「あの、今井さんはこの付喪神さんとは長いんですか?」

「何聞いてんのさ」

「んー、お前が付喪神んなったのは、儂が六十いくつかの頃か」


今井は隣の小竹に確認を取る。身体や脳が色々確かでなくなってくる年頃には、いいパートナーなのかも知れない。


「そうだな」

「だからざっと十〜二十年来になりますか。箒さんとの付き合いは」

「箒さん」


今井は老人特有の、昔を語る時の目の輝きを見せる。


「私の祖母が嫁入り道具に持って来て以来の箒でしてな。今井家でも儂より先輩だったんじゃな」

「つっても私ゃただの箒だけどな」


すると桃子には一つの疑問が浮かんで来る。


「ではどうして警察には『大木さんなんて知らない』と言ったんですか? そのおかげで警察では『家主の知らない不審者が侵入して掃き掃除してる』って話に!」

「おや、大木さんって箒さんのことだったのかい。お前、そんな名前があったのかい」

「私は名前聞かれて思わず『箒』って答えちまっただけだ。それをこいつが勝手に大木って聞き間違えた」

「えっ、じゃあ小竹は!?」

「その場の思い付きだよ。竹箒だから」

「なぁんだぁ!」

「あは。それじゃあ結局、桃子さんの聞き間違いが全ての元凶ですね」

「なんと!」


桃子が本当に自分の所為なのか吟味する方に集中してしまったので、紡が再度質問役に回る。


「では今度は今井さんにお聞きしたいんですが、どうして何度も病院から脱走するんですか?」

「やはり自宅が一番でな……」

「それだけの理由でこうも毎日毎日抜け出すものでしょうか」

「……」

「そして、改めてお二人の関係を拝見して、こんなに仲がよろしいのに箒さんが貴方に病院を抜け出さないよう説得しないことにますます疑問が残る。多少心を鬼にしても、貴方の健康を優先するような関係のはずです」


紡が小竹の方を見ると、また彼女は目を逸らした。今井も彼女の方を、優しい眼差しで見据えた。


「そうか、それで箒さんが儂の代わりに質問攻めにあっとったということか……。箒さんの迷惑になるなら、本当のことを言わんとなぁ」


今井は大きく息を吐くと、ポツリと呟いた。


「儂ゃ、箒さんを看取ってやりたいんだ」

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