二.ジビエと虫と蟲
民宿ならではの「すごく大きい人ん
座敷スタイルの室内で既に他の客達がテーブルを囲んでいる中、紡達の席もちゃんと用意されている。横長のテーブルの上に載っているのは、
「これはお鍋ですか!」
「えぇ、ここ丹波篠山で取れたモミジですよ!」
ちょうどカセットコンロを点火していた野間がグッと胸を張る。
「モミジ? ってどういうことです?」
「モミジは鹿肉のことだよ」
「何故鹿がモミジなんです?」
「あは。花札の鹿に紅葉が描かれてるから、が有力な説ですね」
「お客さん方、よく知ってますねぇ!」
何故か野間が嬉しそうである。
「あんた! 鼻の下伸ばしてないで手伝いな!」
美人だがガタイの良い、熊男にお似合いなんだか勿体無いんだか分からない奥さんに怒鳴られて野間は腰を上げた。しかしすぐには立ち去らずに
「丹波篠山と言やぁボタン、つまり猪肉が有名なんですが、実は鹿肉も
とお喋り好きを発揮していたので、遂に奥さんにローキックをかまされた。
「聞きましたか!? これは楽しみですねぇ!」
「鍋なら寄生虫も心配無いね」
「ジビエその辺怖いですからね」
「何故二人は私がノリノリなのに微妙に気勢を削がれるような話題を出すんです?」
しかし鍋はぐつぐつと煮え、地元のだろうか野菜達も彩りを添えて非常に食欲をそそる。削がれた気勢もすぐに蘇る桃子だった。
「しかし、そもそもなんでモミジとかボタンとか言うんですかね?」
「それはね」
紡が瓶ビールをグラスに注ぐ。
「お坊さんって仏教の戒律で肉食べれないでしょ?」
「そうですね」
「だから鳥はカシワ、鹿はモミジ、猪はボタン、馬はサクラ、そう呼ぶことで『これは肉じゃない! 植物だ! だから食べていい!』って戒律逃れしようとしたんだよ」
「わぁお、紡さん並のトンデモ理論ですね」
「なんだと?」
一人だけジュース瓶を与えられて、ビールを恨めしそうに見ているつばきが続ける。
「そういう仏教での隠語だったのが一般に普及したのは、徳川五代将軍綱吉が行った『生類憐れみの令』によってです。あれで一般の人々も肉が食べれなくなったので同じ言い訳をしました」
「はえー、お
「でも桃子ちゃんなら逆らって食べそう」
「国外逃亡も視野に入れます」
「自国から出ると『神の目もここまでは届かない』って言って宗教で禁止されてる食材や酒を楽しむ人も結構いるらしいですが……」
そうこうしている間に鍋が煮える。しっかりした赤身の肉は脂肪が無くヘルシーな見た目をしている。
「いただきます!」
まずは野菜、なんて行儀の良いことはせずに肉から行くと、
「ありゃ! 思ったより柔らかくて素直なお味ですよ? ジビエは硬くて癖が強いって聞いたことがあるんですが」
「それは仕留めてからの処理方法が悪いからだよ。やっぱり設備が整ってる屠畜場と自然の限られた状況下で〆るのはだいぶ違いがある」
「血抜きがしっかりしてるんですねぇ」
「血抜きはねぇ、実は味自体に影響しないとも言われている」
紡はつばきがこっそり取ろうとしたビールのグラスをノールックで抑える。
「そうなんですか?」
「血抜きが適当だと腐敗し易くなるから、結果としてすぐ劣化するけど」
「同じことじゃないですか」
「まぁどの道、劣化してなかろうが腐敗してなかろうが血抜きの甘い肉は食べない方がいい」
「まぁ気分良い響きではありませんしね」
「そして不浄だから」
紡がグラスをカバーしている隙に、つばきはこっそり鹿肉を奪取した。桃子は敢えて何も言わない。
「不浄、ですか」
「前にも言ったけど、『食』とは身体の最も深く弱い所にダイレクトに『呪』を取り込み、吸収してしまう行為。つまり不浄不潔なモノを食べればそういう『呪』を血肉にしてしまうのさ」
「あーあー、そんな話もありましたね」
桃子は適当に流しながら肉を取る。
「だからそういう不浄不潔なモノや人には危険な蟲が湧くし付く。ジビエみたいに」
「血抜きが不浄だからも何も、ジビエは元から虫がいるでしょ」
「それじゃあ鹿が生きてるだけで不浄みたいじゃん。なんてこと言うの」
「そういう解釈になるのは紡さんの理論の所為なんですが……」
バ◯リースを飲み干したつばきが適当に纏めに入る。
「じゃあこれは血抜きがしっかりしてるので食べていいってことですよね」
「ま、それはそうね」
「うんうん。細かいことは抜きにして、美味しく楽しく命に感謝していただいたらいいんですよ。さすがつばきちゃん」
「あれ? 私の肉が無い?」
「あは。まだ鍋にたっぷりありますから、取ったらいいんですよ」
「肉のお代わりもありますよ!」
帰ってきた野間が笑顔でサムズアップする。気の良い熊男である。
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