急.

「ご馳走様でした! いやぁー、美味しかったです!」


モミジ鍋に大満足の桃子。伸びをして周囲を見回すと、


「ちょっと亜美ちゃん! しっかりしてよ!」

「あぁふぅ〜ん……」

「もう! 亜美ちゃんったら!」


大量の空きビール瓶に囲まれた亜美、廊下で見たベリーショートをマコと呼ばれていた黒髪が揺すっている。亜美は完全に出来上がっているようで、動かすには重機が必要そうなほどアルコールで真っ赤になっている。男に毅然とした、というか強気な態度で対応していた時とは別人である。


「ぐふふふふ……」

「ぐふふじゃないよ亜美ちゃん!」


マコが亜美を引き摺って行こうとするが、見るからに華奢で弱々しい彼女ではどうにもならない。


「あーあ、お酒は飲んでも飲まれちゃあねぇ」


紡は紅差した顔で空のグラスを揺らす。横には大量の空き瓶と、


「ささ、せっかくだからご主人もどうぞ」


で始まった飲み合いで見事彼女に潰された野間が転がっている。彼の処遇については、たった今奥さんとつばきの合議によりテキサスクローバーホールドで叩き起こすことが決まった。


「紡さんは紡さんで異常ですから。飲み方改めないと肝腎膵一気にやられて地獄のような苦しみの中で死にますよ」

「そん時ゃコニャックの樽に詰めてくれ〜」

「あは。ダメだこりゃ」


マコの苦労を他所にやいのやいの駄弁っていると、彼女に近付くものがいる。


「お友達潰れちゃったかぁ。僕がお部屋まで運びましょうか?」

「あ、その……」


あの下心男である。彼はマコが許可しない内にもう亜美に肩を貸して話を進めようとしている。


「あっ、あの男!」

「まぁでも、あの人二階まで運ぼうと思ったら男の人の手はいるよね」


止めに行こうとした桃子だったが、紡は冷静に状況を見ているようだ。


「そんなこと言ってもですねぇ。あんな下心が服着て歩いてるようなのに任せたらどうなるか!」

「ってもご主人も冬眠してるしねぇ」


熊男はプロレス技で目覚めるどころかグロッキーになっている。


「じゃあもう桃子ちゃんが尾行して見届けるしかないな」

「えぇ!?」

「えぇじゃないよ警察でしょ? そもそもなんとかしたがってるのは君なんだから」

「それはそうですが……、さすがに運ぶの手伝いもせずに部屋にまで押し入れませんし」

「じゃあ手伝えばいいじゃん」

「負傷してるんですが?」


腕の包帯をアピールする桃子を横目に、つばきがすっと立ち上がった。


「じゃあ私が行きましょう」

「つばきちゃんが?」

「はい」


つばきは桃子にそっと耳打ちする。


「私なら姿を消せば部屋まで着いて行ってもバレません。そこで何かあったら皆さんを呼びに来ます」

「なるほど」

「それが一番穏当だね」


紡のお墨付きもあるので、つばきを派遣することに決まった。

その間にえっちらおっちら亜美を運び出していた男の後ろを、人目につかない所で姿を消したつばきが追っていった(多分)後で桃子は重大なことに気付いた。


「あ、つ、紡さん!」

「なんだい」

「もしつばきちゃんの目の前で十八禁なことが始まってしまったらどうしましょう! あんな小さい子の情操教育にピンチでは!?」


紡はプスーッと鼻で笑った。


「そんな本番までじっと見てないで助け呼びに来るでしょ」

「あ、そうか」

「それに大正時代の十四歳ならもう、ね。お嫁に行くのが近い年頃だろうし」

「うわぁドライ」






 そうして桃子と紡は自分達の部屋でつばきの帰りを待っていたのだが、彼女が戻って来たのは張り込みに行って一時間も過ぎてからだった。


「ただいま戻りました」

「お帰り。遅かったね。そんなに長く掛かるようなことあった?」

「えぇ、まぁ……」


なんだかつばきは、なんとも言えない表情をしている。なんとも言えないと言ったらなんとも言えない感じ。


「何があったんです」

「それはですねぇ……」


つばきは多少言い辛そうに身体を揺らすと、ぽつり語り始めた。


「別に男の人が無理矢理に迫ることはなかったんですけど……、まぁ多少のアプローチはありましたけど」

「ほう、それで?」

「暫く世間話みたいな会話を続けている内にいい雰囲気になっていって……、先程女性自らの意思で彼の部屋に行かれました」

「あらー」

「あの酔っ払ってしまったボディガードみたいなご友人は?」

「爆睡して置き去りです」

「ありゃー」


部屋の中になんとも気不味い雰囲気が充満する。三人とも他のメンツをチラチラ見ながらも、目が合いそうになると逸らす微妙な空気感。暫くそうしていた後、溜まり兼ねた紡がポツリと呟いた。


「ま、そういうこともある」






 そのまま三人は何も無かったように眠り、朝が来た。桃子が目を覚ますと時間は大体十時前、紡とつばきはまだまだぐっすり眠っている。


「うーん……」


寝起きで全然覚醒していない中、ふと喉の渇きを覚えた桃子は自販機に飲み物を買いに行くことにした。そのついでに少し周囲を散歩してみてもいいかも知れない。そう思った桃子が廊下に出ると、


「あの、せめて連絡先の交換とか……」

「いや、そういうのはちょっと」

「じゃあどういうのだったらいいんですか!」

「……チェックアウトの時間なんで」


男の部屋のドアの所で、完全に出発の支度が済んでいる男と半裸のマコが何やら押し問答をしている。


「酷い! 私は遊びですか!? 一晩だけの身体が目的で、弄ぶだけ弄んだら用済みですか!?」

「ちょっと、あんまりそういうこと大声で言わないで」

「酷い!」


マコは廊下に備え付けられているサイドボードをバン! と叩く。上に乗っている花瓶が揺れて、落ちないか心配になる。


「ちょっとちょっと、暴れないで……、あ、ごめん電話。失礼して出るね」

「こんな時に!」

「あぁもしもし? あぁ、花ちゃん? うん、今宿出る所。うん……」


男はマコを無視して通話を始めた。相手が彼女と知ってマコはガックリ項垂れる。


「あちゃー、やっぱりこうなりましたか……」


哀れに思うが桃子にはどうしてやることも出来ない。見ていても嫌な気分になるだけなのでさっさと飲み物買いに行こうと目を逸らした所で、


「ああ!!!」


マコの雄叫びと共にガシャーン! と甲高い音が鳴った。


「何事!?」


桃子が振り返ると、そこには底の方が砕け散って首だけになった花瓶を握り締めるマコと、ショッキングな光景が。


「今の音何……?」

「あはぁ……」


流石に今ので目が覚めたのか、紡とつばきが部屋から出て来た。


「おや、桃子ちゃん早起きだね。おはよう」

「お、おは……」

「で、何があったんです?」


警察官ではあるのだが、目の前で起こったことに動揺して声も無い桃子は、答える代わりにマコの方を指差した。紡とつばきも眠たそうな表情のまま首を伸ばしてそちらを見ると、


「おおぅ……」

「あは、メンヘラ」


と静かに呟いた。そして紡は桃子の肩に手を置いた。


「ね、桃子ちゃん。言った通りでしょ?」

「な、な、何が……」


紡はじっと、赤い絨毯に横たわる男を見据えている。


「不浄なモノには危険な蟲が付く、って」

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