急.

「本当に本当に、ありがとうございました!」


深々と頭を下げる唯と、いまだベッドに横たわるも元気そうな顔をしているご家族に見送られて三人は病室を後にした。唯は見送りに着いて来ようとしたが、それは


「ご家族との時間の方が大事でしょう。それか、スキピオに構ってやって下さい」


と固辞した。


「いやぁ〜、疲れた疲れた」

「あは、お疲れ様です」


大きく伸びをしながら廊下を歩く紡。桃子が後ろから顔を覗き込む。


「紡さん紡さん、解決したってことは、相手の正体が分かったってことですよね?」

「うん」

「あの骨が原因だったってことですかね」

「そうだね」

「あれはなんだったんでしょう」

「あれは『犬神いぬがみ』だね」

「スケッ!?」

「キヨッ」

「どんどん桃子ちゃんと息が合っていくつばきちゃんが、私ゃ心配だよ」


気を取り直して、という風に桃子は咳払いをした。


「犬神、聞いたことはありますけど、一体どういうものなんです?」

「名の通り犬を使った『呪』でね。その『呪』を行った主人を富ませるんだけど、その代わり大変な大飯食らいなんだ」

「ご飯ですか?」


桃子が白米を掻っ込むジェスチャーをすると、つばきがエア茶碗に蓋をする。


「あは。食べるのはご飯じゃなくてその家の富です」

「富。自分で富ませて自分で食べちゃうんですか」

「はい。最初は持って来る分の方が多いのでいいんですが、さっき紡さんが仰ったように『呪』を『行った主人』を富ませるので、主人が代替わりすると後はひたすら食べるだけ食べちゃうんです」

「なんと!」

「彼らはその犬神の土地に家を建ててしまった。だから新たな飼い主と見做みなされてしまい、最初に人ではなく『富』たる会社がやられた」

「なるほど……」

「そして富を食らい尽くした犬神は、次に飼い主の体を蝕む」

「それであんなことになってたんですか……」

「そういうこと」


病院のエントランスを抜けて駐車場へ。ちょっと先に登山鉄道のプライド(?)が見える。


「それはそうと、あれだけ正体を測り兼ねていたのに、何が切っ掛けで分かったんですか?」

「確信したのは資料の記述。村が周囲と完全に絶縁してたアレ」

「あの背徳えっちですか」

「嫌な切り取り方しますね。私という十四歳がいるのに」

「犬神筋は周りから絶縁される運命にある。誰だって犬神を抱えた人を家に入れたくないし、何より犬神は富を『稼ぐ』のではなく『他所からってくる』存在。周りからすれば敵でしかない」

「そりゃそうですね」

「無視!?」


紡はつばきの頭を雑に撫でながら、桃子の顔を指で指した。


「でも切っ掛けは桃子ちゃんのおかげなんだよ?」

「私ですか?」

「そう。寝込んだ佑君を見て『耳掻きがどう』とか言ったでしょ?」

「記憶にございません」

「言ったの。それで耳に掻き傷があるのを見つけて分かったんだ。犬神は人の体に耳から入ると言われている。『あ、これはその時に引っ掻かれたんだ!』って」

「耳ですかぁ……」


桃子は耳の穴に小指を突っ込んだ。


「四国は犬神の聖地メッカだからもっと早く気付くべきではあったかな。まぁそれはそうと、相手が分かれば後は大元を見付けて『呪』を祓うだけ、なんだけどその大元を見付けるのがまたね」

「と言うのは?」


紡は車のエンジンを起こす。つばきは桃子の肩に手を置いて下半身モクモク状態になった。桃子にはこれが、本当に他人には見えていないのか気になってしょうがない。


「犬神の作り方は、餓死寸前にさせて怨念を高めた犬の首を刎ね、それを四ツ辻に埋める」

「うわっ」

「そしてその上を人が行き来する度に、犬の首は足蹴にされ踏み付けられるのと同じ屈辱を受ける。そうして熟成された恨みが犬神の力になる」

「……最悪です」

「私もそう思う」


紡は車を発進させた。


「だから集落の航空写真を探していたんですね。四ツ辻の大体の位置を探る為に」


桃子の肩越しにつばきの声がする。なんだかゾワゾワする桃子であった。


「それが無かった時はもう最悪だったよ。こりゃ地獄になるぞ、ブルドーザが欲しい、って」


ブルドーザの何分の一パワーがあるか分かったものじゃない車のハンドルを撫でながら紡が笑う。そう言えば運転は式神だったな、と桃子は思い出した。


「でも紡さんでも分からない犬神の位置を、スキピオがよく分かりましたねぇ。トリュフ犬とか向いてるんじゃないですか」

「というか、犬同士だからじゃない?」

「……はい?」

「犬って縄張り意識や仲間意識が非常に強いんですよ」


急に桃子の後ろからつばきがにゅっと出て来る。視界のほとんどを背後霊に占領された桃子は飛び上がった。


「ぎゃっ!?」

「ひどいです。人の顔見て悲鳴を上げるなんて」

「いやだって貴方幽霊ですし。……じゃあ、犬だから他の犬の存在に気付いたってことですか?」

「はい。散歩なんかさせるとその能力は顕著ですよね。他の動物では気付かない他の犬のマーキングに目敏く反応します」

「そしてあの子はボールをあげたがってた。お友達になりたかったか、犬神にされた同胞を憐れんでたか、そういう仲間意識だろうね」

「なるほど。あ、それと」


桃子は何か思い出したように手を打つ。


「何かな?」

「埋めたお札と謎の呪文はなんですか?」

大威徳明王だいいとくみょうおう真言マントラだよ。唱えたのも埋めたのも」

「みょーおー。そのみょーおー様が犬神を浄化してくれたんですね?」

「カレーと一緒だね」

「はぁ?」

十二神将じゅうにしんしょうって知ってる?」


紡は両手を広げるが、人間に手の指は基本十本までしかない。


「知りません」

薬師如来やくしにょらいを守護する仏なんだけど、丁度十二体いるから干支にも対応してるんだ」


子、丑、寅と紡が指折り数えていく。


「その中でいぬに対応してるのが摩虎羅まごら大将。その本地仏、この前話したの覚えてる? 本地仏。それにあたるのが大威徳明王なんだ」

「それって?」

「『犬神』をより上位の『戌神』で制圧した」

「なんて雑な洒落! エクソシスト引き合いに出して『やり方が大事』とか言ってたのに、それで合ってるんでしょうね!?」

「実際家族全員回復したじゃん」

「ちなみに配置には諸説あるので、文献によっては戌神が摩虎羅大将じゃなかったりするんですよ」

「もっと雑じゃないですか!」

「あは」

「あと、大威徳明王自体も元はインド神話のヤマーンタカがやはり仏教に……」

「もういいです! 複雑!」


桃子がギブアップした所で、つばきは紡の方を向いた。実害こそないが、やはり人情としてそのまま背後霊も向こうに移ってほしい桃子であった。


「しかし紡さん。十二神将を用いられましたが、陰陽師ならそこは十二天将じゅうにてんしょうを用いる方が順当では?」

「いやぁ、そっちの戌神は天空てんくうだからさ……」

「なんですか? その十二店長って」

「十二天将。陰陽道六壬神課りくじんしんかにおける十二の象徴だよ。その中で天空は、それらを式として使役したとされる我らが大スター安倍晴明あべのせいめい

後六天空土神家在戌主欺殆不信凶将嘘ばっかで全く信用出来ない』って言われてる。だから使いたくなかったの」

「えぇ……。え、じゃあ」


桃子はチラッとハンドルを見る。


「この運転してる式神は大丈夫ですよね?」

「Ha-ha!」

「何故そこで有耶無耶うやむやにする!?」


紡がこんな態度なので、桃子は気を紛らわすために会話を締め括った。


「とにかく! 今回も一件落着ですね!」

「当座はね」

「は?」


紡がサラッと不穏な物言いをする。桃子は思わず詰め寄った。


「どういうことです?」

「いくらあの場ではそれしか用意出来なかったからって、紙のお札なんて地面に埋めたらすぐボロボロになっちゃう。そしたらまた再発するかもよ?」

「えぇ〜っ!? ダメじゃないですか!」

「だから後で大威徳明王の石像でも送っとくよ」

「あぁ、ちゃんとアフターケアも……」

「こうすることで二重に儲かる」


桃子の首がカクッとなった。シートベルトがなければギャグ漫画のようにずっこけている所だ。

久し振りに桃子の警官としての正義感が燃え上がる。


「悪魔! 明王の仏罰が降りますよ!?」

「そんなまさか。私は人助けをしたんだよ?」


紡はいかにも悪い商売で儲けているような大笑いをした。






 そして仏罰は降り、戦後十年製イタリア車は兵庫県の山中でエンコしたのである。

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