急.

 熊代に『念』を吐き出させると、紡は熊代の許可を取ってそれを工房の炉で焼いた。


「『父神ゼウスはこの女神に、婚姻の喜びに代わる栄誉をお与えになった。故にヘスティアーは最良の座を選び、家庭の真中を占める……』」

「ゼウスとか、今までと違って洋風なんですね」

「これは炉ですから、日本の竈門神よりギリシャでも炉の女神を呼んだんじゃないですか?」


黒い塊が消えて無くなると、紡は振り返って笑った。


「ある意味お焚き上げだね」


『念』を始末して母家に工房の鍵を返しに行くと、一旦は横にさせられた熊代が元気そうに起き上がっていた。彼は晴れ晴れとした表情で笑った。


「いやぁ! よく分かりませんがお陰様で食中毒かなんかが治りました!」

「それはようございましたね」


それだけ答えると紡はさっさと工房を後にしたのだった。






 今はまたゴンドラお化け電鉄の車内である。ガタンゴトン静かに揺られながら山郷を行く。


「いやしかし、『念』ってああいう見た目してるんですね」

「そうでもないよ。処理し易く固めただけだから本来は不定形」

「そうなんですか。でもこれで一件落着ですね! 恨みつらみも吐き出して、これで後腐れ無しです! カチコミじゃなくて『念』を元から断ちに来てたとは、アフターサービスバッチリじゃないですか!」

「ん? そんなんじゃないよ?」


紡はキョトンとした顔をする。桃子も鏡合わせにキョトンとした顔になる。


「何故?」

「吐かせたのは熊代さん自身の『念』じゃなくて松葉さんが熊代さんに盛った『念』だから」

「なななななっ! なんとぉーっ!?」

「あは。驚き方がレベルアップしましたね」

「だから私は長居しなかったのさ。松葉さんの依頼の締めどころか、完全なボランティアだから。この私がタダ働きとはね……」


紡はやれやれと首を振った。納得しないのは桃子である。


「ど、ど、どういうことですか! 松葉さんが熊代さんに『念』を盛った!?」

「どういうことってそういうことだよ」

「説明! 説明を求めます!」

「では当日のプレーを振り返ってみましょう。実況は私つばき、解説は紡さんでお送りします」

「よろしくお願いします」

「待って下さい。変な小芝居はやめて要点を教えて下さい」


桃子は急に滝川クリ◯テルの角度になったつばきの顔を両手で挟んで真っ直ぐに戻す。


「何さ。私には小芝居やらせてくれないの。自分はよくつばきちゃんとキャイキャイやってるくせに」

「今することじゃないでしょう……」

「はいはい。熊代さんが包丁届けに来た日のこと覚えてる?」

「覚えてますよ? 私は界隈で一番記憶力がいいんです」

「君の界隈、町のおじいちゃんおばあちゃんばっかりじゃないのさ」

鶏口けいこうなるとも牛後ぎゅうごなるなかれ、とは言いますが……」

「それはいいんですー! 話進めて下さい!」


桃子が両手で挟んだつばきの頬をしながら抗議すると、ようやく紡は話を進めた。


「あの日のアラビアータ、味がキツかったねぇ」

「えぇ、味が極端に尖ってました。辛くて酸っぱくてしょっぱくて」

「人は肉体や精神の状態が料理に出る。調味料は文字通り『匙加減』で左右されるからね。『疲れてるから砂糖が多くなる』みたいなのから、『こいつ嫌いだから塩分多く取らせてしまおう』みたいなのまで」

「じゃああのアラビアータは……」

「あんなに味をキツくするからには、無意識でも相当強い『念』があったんだろうね。包丁と違って普通に料理作るだけでも移るような」

「そんな……」

「ショックで人のほっぺ捏ねくり回すのはやめて下さい」

「癒されてるんですよ」


つばきは桃子の手を引き剥がす。


「そう言えば『アッラッビアータ』の意味は『怒り』です。松葉さん相談役に落ち着いたとか冷静ぶってましたけど、案外自分を差し置いて付き合いだした二人にコメカミぴきぴきだったんじゃないですか?」

「愚痴聞いてる内につい……、みたいな言い方してたけど、結構ワザとなんじゃないかな?」

「うわぁ……、男の嫉妬って怖い……。と言うかですね」


再度もちもちを狙うのをようやく諦めた桃子。


「それだと一つ腑に落ちない点があるんです」

「なんだね」

「熊代さんはあのアラビアータ食べたからお腹の中に『念』がいて、それで体調崩してたんですよね?」

「そうだよ。よく分かったね」

「えらい!」

「それは馬鹿にし過ぎです! ……それは置いといて、となると、なんで同じ物食べた私達は平気だったんでしょう?」

「熊代さんの『念』も、より恨んでる元カノの方に大きい怪我をさせたんだ。松葉さんの『念』が全く恨んでない私達に触れても何も起こさないよ。もちろん特定の相手を取らない『念』や時間が経って攻撃的な感情だけが残った『念』ならアウトだけど」


電車が駅に停まるも、乗ってくる人はいない。この車内という密閉空間(しかも山間の田舎のローカル線)で自分以外が怪しい話をしている車掌さんの気持ちは如何許いかばかりだろう。


「でもまぁ一件落着ですよね! これでスッキリお店も包丁工房も再開です!」

「工房はともかく、お店はどうかなぁ?」

「えっ?」

「松葉さん、やたらと幽霊の存在を気にして、なんなら幽霊がいないことにショックを受けてすらいた」

「それはそうっぽかったですね」

「まぁ本人もはっきり言ってたよね。『包丁もまともに使えなくなるんじゃ料理人として終わりだ』って。独立しようがしてまいが、包丁を使えない料理人はちょっと厳しいのに。大きいレストランなら分業制もあるかもしれないけどさ」

「それが何か」

「要は独立したプレッシャーと忙しさに負けて、続けるのが辛くなってるんだ。それが言葉の端に出てる。でも今まで料理人として独立目指して頑張ってきた分、自分は店を持つのに向いてないから折れるなんて話認められない。だから……」

「……無意識に店を閉める理由を、店を持つことの苦しさとは関係無いものに求めていた」

「その通り。ある意味あの『念』包丁は彼にタイムリーなプレゼントだったのかもね。しかし、その全てが解決されてしまった今、彼は一体どうするのか……」


紡が一息区切ると共に電車が修学院しゅうがくいんを出発した。


「あ、そうだ。一乗寺いちじょうじでラーメン食べようよ」

「唐突ですね」

「せっかくここまで来たんだしさ」


すっかりその気の紡をつばきが制する。


「でもブルスケッタありますよ?」

「……まぁブルスケッタなんて前菜だし」

「紡さん、ラーメンはパスタじゃありません」


そうして迷っている内に一乗寺の駅のホームが近づいて来るのだった。

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