五.念と包丁とお百度参り

「念?」

「念ってなんですか紡さん」


桃子の質問に、紡は一旦包丁を置いてシンクに両手をつき、厨房から客席側に向き直る。


「なんか、三分クッキングみたいな絵面ですね」

「あは。今日は三分で出来る丑の刻参りの紹介で〜す」

「ブフッ! そんなの放送出来ないでしょ! ヤバ過ぎですよ!」

「そこ、三分でクッキングするぞ」

「「すいませんでした」」


小娘共を黙らせた紡は軽く咳払いを挟むと仕切り直した。


「まぁ、雑に言えば『強い感情』ですか。つまり正式な呪詛や方術の類ではないということです」

「……どういうことです?」

「松葉さんの案件なのに何故桃子ちゃんに時間かなきゃいかんのだ?」

「つばきちゃ〜ん! 紡さんが意地悪するよぉ〜!」


急に紡が冷たくなったので、桃子はつばきにの◯太がドラ◯もんにするように抱きついた。


「仕方無いなぁ桃太くんは」

「なんか桃太郎みたいですね」

「あは。つまり意図して呪ったわけじゃない、本人に呪う気は無かったんだけど気持ちが強過ぎて似たような効力を発揮してしまうのが『念』です」

「その念が込められていると」

「と言うよりかは移り香のように勝手に包丁に染み付いてる、ですかね。さっきも言ったように故意ではないので」

「はえ〜。聞いといてなんですけど、つばきちゃんも詳しいですよね。そういうの」

「あは。生前は霊能力少女だったので」

「え?」


さらっと爆弾発言するつばき。もし桃子の目が義眼だったら、衝撃のあまり月まで飛んで行っていただろう。


「え、ちょ、え?」

「あは」

「紡さん!?」

「この前の椿館の招待状、切手も何も無かったでしょ? あれはつばきちゃんが術で飛ばして来たの。非力だけどその程度には術者だよその子」

「てっきり封筒にでも入ってたのかと……。と言うか手紙飛ばせるのに非力なんですか」

「そ、そんなことより!」


松葉が厨房から出て来る。そしてまた客席に崩れるように座った。


「その包丁で手を怪我するってことは、熊代は俺のことを恨んでるってことですよね?」

「そうなりますね」

「そうか……」


松葉は顔を覆って黙り込んでしまった。


「恨まれることに心当たりは?」

「……あります」

「教えていただけますか? 貴方がこの包丁を使うにしても手放すにしても、一度はこの『念』を払わなければならない。その為にはどういう由来の『念』か分かっておきたいので」


紡がじっと松葉を見据えると、彼はしばらく黙っていたが、やがて観念して語り始めた。


「紘子……、俺の彼女、実は元々熊代の彼女だったんです。元々俺らは仲の良い三人でよくつるんでたんですけど、二人が付き合うようになってからは俺が二人の相手に言えない愚痴を聞く立場になったんです」


松葉は前髪を掻き上げる。手が通り過ぎた後にパラパラと額に戻る髪を、また掻き上げる。


「それで俺、紘子の愚痴聞いて慰めてる内に一線越えちゃって、その、えぇ、寝取ってしまいました。親友から親友を」

「なるほど。それで手の甲ですか」

「なんの話ですか、紡さん?」


紡は桃子の方を振り返った。


「松葉さんは絆創膏で済むような怪我なのに彼女さんには手の甲に突き刺さった理由。元々親密で愚痴聞く立場だった彼より、自分と付き合ってたのに裏切った彼女の方を恨んでる」

「だからあんな派手に行ったんですか。まぁ直接見てないですけど」

「俺は、俺はどうしたら……。どうしたら熊代は許してくれるでしょうか……」


松葉は遂に両手で頭を抱えた。紡はその肩にそっと手を置いた。


「それに関しては心配要りませんよ」

「えっ……?」


松葉が顔を上げると、紡は爽やかに微笑み掛けた。


「何度も言うように『念』は故意に込められたものではありません。つまり事故です。貴方に『呪詛を込めたものを渡して害をなしてやろう』などとは考えられていないのです。むしろ本人の中では純粋にお祝いとして持って来たプレゼントなのです。つまり貴方の独立祝いをするくらいには、熊代さんは貴方を許そうと思っているわけです」

「く、熊代……」

「でもやはり傷付いてはいるわけですから、そんな消化し切っていない感情がこうして溢れてしまっただけなのです」

「熊代……! すまねぇ……!」


松葉はまた俯いてしまった。両手で顔を覆って。


「この包丁は一旦お預かりして『念』を落とします。その後引き取るか手放すかはその時にお聞きしましょう」


松葉から返事は無かった。彼はひたすら身体を震わせており、顔を覆った指の隙間からは液体がサラサラ流れ出て来るのだった。

紡は包丁を桃子に渡す。受け取りながら桃子は呆れたように息を吐いた。


「しかし紡さん、人なんて大なり小なり誰かに腹を立てて生きてるもんだと思いますけど、それが物に染み付くなんて相当強い『念』なんですねぇ」

「もちろん強い『念』だろうけど、包丁ってのもあるだろうね」

「と言うのは?」


包丁を受け取ったはいいが何処に仕舞うか困っている桃子に、つばきは自分の懐を指差した。幽霊なら身体に刺さらないからって、流石に桃子でもそれは遠慮する。


「包丁って作る最中に何度も何度も槌で鋼を打つでしょう?」

「それが何か」

「お百度参りとか聞いたことない?」

「あの願掛けで同じ神社に百回行ったり参道を百往復したりするやつですよね?」

「そうそう。ああいう感じでさ、『同じ行動をひたすら繰り返す』っていう『呪』は『がん』や『念』に強い力を持たせたるんだよね。しかも鋼を鍛える動きは『念』を何度も『叩きつける・叩き込む』形になるわけで」

「なるほど。作る過程で特別そうなり易いと」

してやその『念』の元凶たる相手へのプレゼント作ってる最中だ。色々強く思い出すでしょう」


紡は松葉に歩み寄って、依然泣いている彼の耳元で話し掛けた。


「では我々はここでおいとまします。それと、熊代さんの住所を教えていただけませんか?」

「熊代さんの住所ですか!? そんなの知ってどうするんです!?」


松葉の代わりに桃子が質問する。


「どうするって、熊代さんに会いに行くんだよ」

「なんの為に!? こんな包丁作りやがって、ってカチコミですか!?」

「あは。警察官なのに暴力団みたいなこと言ってる」


桃子には答えず紡は松葉にメモ帳を差し出す。


「ここに住所を書いて下さい。あ、あと」


紡は厨房を見てにっこり笑った。


「ブルスケッタはお弁当に包んでもらえます?」

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