四.幽霊よりもブルスケッタ

「幽霊がいると思ったら怖くて、僕も暫く来てないんです。だから埃とかアレかも知れないですけど……」


松葉はゆっくりドアを開いた。


「うぅむぅ……」


思わず桃子の眉が厳しくなる。籠った空気に夏の温度がプラスされ、確かに幽霊でもいそうな空気が頬を撫でるのだ。紡はハンカチで口を覆っているし、つばきは「鼻血出そうです」と顔の前で手を振っている。幽霊なのにね。






 松葉がおどおど店内に入り、電気を点けて窓を開け放っていく。彼が歩いた後に舞い散る埃が差し込む光の筋に照らされてキラキラ綺麗汚い。


「どうでしょうか!? 幽霊はいますか!?」


松葉は多少恐慌状態なのか声が大きくなっているし若干震えてもいる。


「いえ、見た感じはいませんが、何にしてもしっかり探さない内に結論は」

「そうですか。そうですよね、すいません」

「じゃあ探すとしますか」

「つばきちゃんカウントしたらダメですよ……アイッ!」


桃子が紡に余計な耳打ちをすると、素早く尻に逆襲された。


「どうしました!? 幽霊ですか!?」

「いやぁ? あははぁ……」


松葉が慌てて振り返る。まさか年頃の乙女が年頃の男性に対して「お尻つねられた」とか言えないので、桃子は曖昧に笑って済ませた。


「虫にでも咬まれたかな?」

「あは」


幽霊が見える組も適当に流して捜索を開始している。






 あらゆる部屋から建物の裏手、なんなら冷蔵庫の中や壁との隙間まで探したが、


「幽霊はいませんね」

「そうですか……」


松葉はがっくり項垂うなだれると、立っていられないかのように客席の椅子に座った。


「変ですね?」


桃子は小声で呟く。それがつばきの耳が拾ったようだ。


「何がです?」

「いやですね? 普通は幽霊がいなかったら一安心なのでは? なのに店長、逆にショック受けてるように見えるんですが」

「あー……、それはきっと……」

「それより松葉さん」

「はっ、はい!」


紡の声に松葉は反射的に顔を上げる。紡はにっこり笑った。


「お料理作っていただけませんか?」

「えっ」

「えぇーっ!?」


松葉より大声を出したのは桃子である。


「紡さん話聞いてましたか!? 料理中に怪我するから悩んでるんですよ!? そんな人に何を言ってるんですか!」

「材料は桃子ちゃんが買いに行ってきます。必要なものをメモして渡してあげて下さい」

「紡さん!?」

「あの、この際作るのはいいですけど、どうして料理なんか……」

「確認したいことがあるからです」

「そ、そうですか」

「ブルスケッタをお願いしたいな」

「紡さん貴方、もっと遠慮というものをですねぇ……」


結局桃子は暑い日差しの中一人で買い物に出された。






「では、作らせていただきます」


厨房に立った松葉の声は少し震えている。一瞬やめさせて欲しそうな目を紡に向けたが、彼女は取り合わずに微笑むだけだった。ちなみに桃子は冷房直撃の席に座り、大汗かいた真っ赤な顔でアイスコーヒー飲んでる。

松葉は観念するとパンナイフでバゲットを一口サイズに切り分ける。ブランクか恐怖か、少し動きがぎこちない。


「あ、あ、あ、わ」

「うるさいな。それが一番ミス誘うよ」


手を切らないか心配そうに覗き込む桃子が一番うるさい。そんな変な空気の中、松葉はなんとか無事バゲットを切り終えた。

 バゲットにオリーブオイルを塗ってトースターに入れると、次は上に乗せる具材である。松葉はまな板の上にトマトを置くと包丁を取り出し……


「それはダメ」

「えっ」


紡がストップを掛けた。思わず停止した松葉の手元を指差している。


「ダメ。そっち」


紡はそのまま指先を別の包丁へ向ける。


「こっちですか?」


松葉は訳が分からない、といった顔をしている。それもそのはず、紡が指差した包丁は今松葉が握っているものと特に変わりない、どころか松葉が持っている方が立派ですらあるのだから。


「そっち」


紡が短く、しかしはっきりと指定するので松葉は包丁を持ち替えた。そして暫く停止していたが、意を決したようにトマトにきっさきを入れる。


「包丁変えたからって意味あるんですか?」

「まぁ見てなって」

「わふっ」


紡は桃子の方を見もせずになだめようと手を出したので、掌が顔面に直撃した。

その間にも松葉はトマトを器用に一センチ角に切り、バジルを細かく細かく叩いていき、ニンニクの石突きを落とし……、


「後はこれをオリーブオイル、黒胡椒、塩で和えて冷やせば」


遂に包丁を流しに置いた。そして少し震えながら、


「け、怪我せずに出来た……」


感慨深そうに自身の両手を見つめるのだった。


「おめでとう」

「おめでとう」

「そんな、一回くらい偶然なのでは?」

「水差し野郎」

「水差し野郎」

「私は女の子ですが」


ずれた反論の上反省の様子が無い桃子は右すねを紡、左脛をつばきに蹴られた。


「おっ、おお……」

「失礼しますね」


紡は桃子を放置して厨房に入り、最初に松葉が使おうとした包丁を手に取った。


「一つお聞きしたいんですが、貴方が怪我をするようになったのは、熊代さんでしたっけ?」

「熊代を知ってるんですか?」

「えぇ。お店に来られていた時私達もいたので。その熊代さんが包丁をくれた時からではありませんか?」


紡の言葉に松葉はハッとした表情を浮かべる。


「た、確かに……」

「そしてこれが熊代さんがくれた包丁ですね? 先程もこれを一番に手に取った辺り、貴方はプレゼントされて以来調理ではこれを使っている」

「そうですが、どういうことですか?」

「『念』を感じますね」


包丁の刃に紡の顔が怪しく映る。

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