三.引っ張られるんです

 それからも桃子はちょくちょく『Pepperoni・peperone』に通った。アラビアータの味が微妙だったのはあの日だけで、それ以降はいつも通り絶品だった。他のパスタやピッツァ、アクアパッツァやカルパッチョなどのイタリアン、デザートも大満足のクオリティだった。お小遣いは消耗した。

まぁ桃子は実家暮らしで貯金はあるし、剣道も消耗品の竹刀はパパ(健全)が買ってくれるのでそんな困らないからいいや、と思ってたりする。


 それより問題だったのは『Pepperoni・peperone』が休業してしまったことである。

何だかあのアラビアータが刺激的過ぎた日以来、店長が少しずつアハ体験(つばきちゃんではない。が、意味合い的にはそう遠くもなかったりする)の変化する画像問題のように憔悴していくのに全く気付かないでもない桃子だったが、まさかこんな事態に陥るとまでは予想していなかった。






「短い夢でしたよ」

「独立して繁盛して、身体が追いつかなかったんでしょうか」

「ですかねぇ」


今日は一転ダボダボの白いタンクトップに黒いハーフパンツで打ち水しているつばきを相手に、桃子は縁側で扇風機を浴びている。煙草を吸う人が今別の部屋に引っ込んでいるので、強風起こし放題である。


「早く再開しませんかねぇ」

「あは。やっぱりイケメンさんに未練がおありですか?」

「うーん、目の保養にはなるかも知れませんけど、それよりお料理ですよ。レトルトソースが無いパスタはお店じゃないと食べられないじゃないですか」


胡座を組んで左右に揺れる桃子に合わせてつばきも柄杓を左右に揺らす。


「一々古風なのでお米派だと思ってたんですけどね」

「そりゃ私は白米ジャスティスですけど、港区女子の半分くらいはパスタ消費しますよ」

「なんですかその概算は」


曖昧に笑っていたつばきだったが、桶を縁側に置くと屋敷の方へパタパタ走っていく。程なくして


「つばきちゃーん!」


と紡の呼ぶ声がする。どうやらお客が来るようだ。






 今回もゴネでネゴって応接室に入れてもらった桃子だが。


「あっ」

「なんと!」


瑠璃色生地に銀糸刺繍のカフタンドレスを着た紡の対面に座っているのは『Pepperoni・peperone』の店主である松葉だった。


「貴方は常連さんの……」

「ご無沙汰しております」

「こんな所でお会いするとは」


意外な遭遇だったが、お互いそれではしゃぐ為にこの場にいるのではない。挨拶もそこそこに相談が始まった。


「ここは怪異やオカルトの解決、相談にも乗っていただけるとかで」

「はい。その通りです」

「一つお頼みしたいことがあるんですが」

「そうですか。ではまず貴方のお名前を伺っても?」

「名前ですか? 松葉奨悟しょうごです」

「マツバショウゴさん、ね」


あぁ、魂の支配権が……。紡がしっかりメモったのを見届けた桃子が残念そうに隣を見ると、つばきも眉を八の字にして閉じた口角がわざとらしく釣り上がった変な笑顔で見つめ返してくる。


「ではお伺いしましょう。何があったのか」


松葉はテーブルに肘をついて軽く身を乗り出した。


「あっ」


テーブルの上で組まれた手を見て、桃子は初めて彼の左の指や手の甲が絆創膏まみれであることに気が付いた。


「私はイタリアンシェフを生業なりわいとしているんですが、最近やたらと調理中に指を切るんです。もう何年もそんな怪我しなかったのに」

「そうでしょうね。独立するほどの腕前なんですから」

「ご存知なんですか!?」

「この前お邪魔しました。ご馳走様でした。それより、わざわざこんな所にご来店なさったのです。その怪我が何か、ただのミスとは思えないことがお有りなのでは?」

「え、えぇ、気の所為かも知れないんですが……」

「どうぞ」


松葉は居住いを正す。


「引っ張られるんです」

「引っ張られる!?」

「桃子ちゃんうるさいよ」

「すいませっ」


桃子が縮こまるのを律儀に待ってから松葉は続ける。


「何だか包丁を使っている最中にこう、手の方に刃先がグッと寄ってしまんですが、それが一瞬引っ張られる感覚で……」

「なるほど」

「それだけなら俺が疲れてるだけなのかと思うんですが、最近彼女が店に来て、定休日だったから厨房で料理を始めたんです。そしたら目を離した隙に悲鳴がして」

「彼女も怪我した」

「はい! それも指を切ったとかじゃなくて、その……」

「その」

「刃先が、手の甲に深々と突き刺さって……」


「いやあああああ!」

「きゃあああああ!」


桃子とつばきが抱き合って悲鳴を上げる。


「君らねぇ……」

「おかしくないですか!? 包丁をそんな、刺すような動きで使うなんてあり得ない! 彼女にも聞いたら、『引っ張られたみたいで……、何が何だか分からなかった』って!」

「なるほど」

「自分の時はミスだと思って踏ん張ってましたよ。正直、独立した直後に包丁もまともに使えなくなるんじゃ料理人として終わりだ、って苦しみましたけど。でも彼女まで『引っ張られた』とか言い出したら……! もしかしたら悪霊でもいるんじゃないかって思ったんです! そしたら話が違ってくる! お願いです! 霊の仕業なのかどうか、見てもらえませんか!?」


紡はゆっくり椅子から立ち上がった。


「はい、お店に伺いましょう。案内していただけますか?」

「ありがとうございます!」


「手の甲ですよね?」

「深々ってことは骨が無いこの辺?」

「でも桃子さん、思いっきり刺したら弱い骨くらい砕くかも……」

「ひえっ!」


「ねぇ」

「「はいぃ!」」


壁際で二人して手の甲を指先でなぞりながら勝手にビビり散らしている二人は飛び上がった。


「……どれだけビビってるの」

「あははぁ」

「えへへぇ」

「ついてくる?」


そういう紡だが、その目には「こいつら絶対連れていく意味無いじゃん」という見切りの色が宿っている。

そういうのに気付かないフリをするのは桃子の得意だ!


「是非お供します!」

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