二.美味しくないアラビアータっていかが
「ということがあってですね、本当に美味しかったんですよ!」
「へー」
「へー」
紡邸の縁側にて。桃子はこの前のステキ体験を住人達に熱く語るのだった。
「それからちょくちょくお昼に行ってるんですけどね、やっぱり見る間に繁盛してますよあのお店。美味しいし店主もイケてるし、私の目に狂いは無かった」
「狂いは無いんだって」
「要審議ですね」
「なんと!」
「と言うかちょくちょく交番開けてるんじゃん。ちゃんと居ろよ」
縁側に腰掛け非喫煙者の桃子に容赦無く真横で煙を揺らすのは紡。昼顔(桃子には朝顔との区別がつかない)の浴衣はしっとり美しい。
「世のホワイトカラーだってお昼休みは外に食べに行ったりするじゃないですか! 公僕だからって何でも規制しないで下さい!」
「公僕だからと言うより、交番勤務だからなのでは?」
庭に桶から柄杓で光の粒を撒くのはつばき。相変わらずの振り袖袴ながら、今日は
「交番勤務だって人権はありますぅーそれより交番なのにワンオペなのがおかしいんですぅー普通は数人常駐するもんですぅー人事は『こ◯亀』読み直して下さいー」
「あは」
完全に市民を守る使命感に輝いていた頃を忘れている桃子であった。
「というわけで今日のお昼、みんなで食べに行きませんか? アラビアータ美味しいですよ」
「飽きないんですか?」
「つばきちゃんあなた白米に飽きたりしますか?」
「それもう主食じゃん」
「何言ってるんですか紡さん。スパゲッティは主食ですよ」
「そうだけどそういう意味じゃない」
「そこはいいんですよ。行きましょうよ〜」
桃子が紡の肩を揺すると、煙草の灰がジリッと落ちる。幸い落下地点には灰皿があった。
「そんなに通い詰めて何さ、そのイケメン目当て?」
「失礼な。私は紡さん一筋ですよ」
「それはヤバいな。私達いつからそんな関係になった」
「信者的意味では?」
「なるほど」
「ねぇ行きましょうよぉ〜! アラビアータ食べて下さいよぉ〜!」
「アラビアータ限定?」
「同じものを食べて気持ちを共有したい乙女心が分からないんですか!?」
「やっぱりヤバいな。私達いつからそんな関係になった」
桃子の斜め上方向からのアプローチにより、紡は重い腰を上げた。
店内には若い女性でいっぱい。今日も大盛況である。
「人気だねぇ」
「美味しそうな匂いしてますよ」
「そうでしょうそうでしょう。ま、座りましょうか。カウンター席しか空いてませんけど」
イタリアンに来るにあたって、紡は襟がナポレオンスタイルのワインレッドの半袖シャツをジーパンにインしたスタイルに、つばきは暑さを感じないからって何故かシャツの上に紺のボレロジャケットを着込んで下は同色の膝丈スカートとかいうスタイルに着替えた。紡は白人のルーツがある顔立ちから南欧の女性っぽく見えるが、つばきは学生服みたいなリボン付きベレー帽も相まって子供向け写真館の広告にしか見えない。
「じゃあ注文しましょうか」
「ボンゴレビアンコにしようかなぁ」
「プッタネスカも食べられるんですね」
「ちょっとちょっとちょっと!」
桃子は二人からメニューを取り上げた。
「注文いいですか」
「お決まりですか」
「アラビアータ三つお願いします!」
「ペスカトーレ食べたいな」
「アマトリチャーナ……」
「アラビアータ! 三つ! で!」
「か、畏まりました……」
「あ、桃子ちゃんワイン付けてよ」
ちょうど色男が注文を取ってカウンター向こうのキッチンに戻った時だった。ドアに付けられた鈴がチリンキリンと鳴る。来客のようだ。
現れたのは色男の店主よりは逞しい系の好青年だった。直方体の箱を手に持っている。男はその箱を頭上に掲げながらこちらに歩み寄ってくる。
「松葉!」
「く、
色男、松葉に熊代と呼ばれた男は三人の左側に座る紡の隣にどかっと座った。
「久し振りだな」
「あぁ……」
熊代は軽く店内を見回す。
「立派な店だな! 祝いに来るのが遅れてすまない」
「いや……。わざわざ来てくれたのか」
「気にするなよ。俺とお前の中じゃないか」
「熊代……」
「それとな、これ、お前の独立祝い」
熊代は直方体の箱を松葉に手渡す。
「マジかよ! 開けてもいいか?」
「応とも兄弟」
松葉が箱を開けると、
「こいつは……、結構な業物じゃねぇか」
「俺が鍛えたんだ。お前の門出に相応しい一本を持たせたくて」
ギラリと光る上等そうな包丁が入っている。松葉はうっとり刃に自分を映す。
「最高だ……。マジでありがとよ。嬉しいぜ……」
「喜んでもらえて何よりだ」
「今日は何でも食って行ってくれ! もちろんタダだ。最高の友が修行の成果を持って来てくれたんだ、俺も積み上げて来たものを食ってもらいたい」
「そりゃ嬉しいな。祝いに礼をもらうみたいでなんだが」
松葉はノリノリで料理を作り上げた。早速その包丁を駆使しながら。
桃子達にもアラビアータが運ばれて来る。
どうやら熊代にもアラビアータが出されたようだ。やはり最初の客が頼んだ思い出のメニュー故か。
「さぁ二人とも! 是非食べて下さい! 私激推しのアラビアータ!」
「いただきます」
「あは。美味しそう。いただきます」
三人揃ってアラビアータを一口。
「ん?」
「あれー?」
「はいぃ?」
「ありがとうございました。またのお越しを」
店のドアを
「……その、どうでした?」
「ちょっとトマトの酸味がキツくない? 唐辛子の辛味ももう少し控えめにした方が」
「塩も多いのかな、しょっぱくて全体的に味が尖ってました」
「ですよねぇ。あれー? おかしいな? 前はもっと調和が取れてて美味しかったのにな?」
「あは。きっと友人のお祝いで舞い上がって、いつも通りに作れなかったんですよ」
「そんなもんですか。そんな日もありますよね! また来ましょう! その時こそこの店の真のアラビアータを」
「次は食べたいもの食べるから」
「なんと!」
こうして三人は店を後にしたのである。
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