十.囲碁と文旦の飴の陰陽糾えること

 その後も部屋を巡って紙を貼るばかりで、紡が桃子に幽霊を教えることはないまま最初の広間に戻ってきた。


「飴食べる?」


広間の端の丸テーブルで紡が袖(どうなってるんだ)から取り出したのは、文旦が印刷された昔懐かしい顔の箱だった。


「わぁ! ください! 私これ大好物なんですよ!」


紡が投げて寄越した飴を桃子は掌の上でじっくり眺める。


「いやぁ、小さい頃はよくオブラートを剥がしてですねぇ、親に言われたもんです。『それ食べられるから剥がすんじゃない』って。子供心には『嘘け! こんなトレーシングペーパーみたいなのが食えるわけないだろ! そもそもそうだとしても自由だろ!』って思いましたねぇ。しかも食べたってオブラートなんだから美味しいわけでもない」

「箱の中でくっ付くの防止の為らしいから、食べる時に必要な要素でもないらしいね」

「えぇ、むしろモソッとするので結局剥がして食べてたんですが、いつからかそれこそがコレだと剥がさなくなりました。あの日私は大人になったのかも知れません」

「安心して。まだなれてない」

「なんと!」


「こちらでよろしかったですかぁ?」


結局オブラートを剥がそうとしているのか、桃子が飴を弄くり回しているところにつばきが大きな木製の台を抱えてやって来た。


「いいよいいよ、ありがとう。置いてくれる?」


つばきが持って来たのは年季の入った囲碁一式だった。


「囲碁ですか」

「桃子ちゃん打てる?」

「相手の石を囲ったらもらえるということは知ってます」

「そう」


紡は囲碁に手を着ける様子は無く、飴を口に放り込んだ。


「打たないんですか?」

「今はいいや」

「私は晩御飯の支度に戻りますので、御用があったら厨房まで」


つばきは広間を出て行った。


「打ちもしないのに忙しい人の手を煩わせて。何がしたいんですか」

「囲碁がしたいのさ。その内」

「えぇ……。そんなこと言わずに今遊びましょうよ、晩御飯まで時間ありますし。五目並べとかどうです?」

「やーだ」

「じゃあ囲碁でもいいですよ。いっぱい石取ったら勝ちですよね?」

「違うよ。いっぱい石が残った方が勝ち」

「一緒じゃないですか」

「一緒じゃないよ。黒と白、陰と陽がどう残るかが重要なんだ」

「陰と陽ですか?」

「『陰陽魚いんようぎょ』って知ってる?」

「ぎょ?」


頭の中で『おさ◯な天国』が流れてそうな桃子の為に、紡は懐紙をとボールペンを取り出した。


「『太極図たいきょくず』とも言うんだけど」

「あぁ、忠臣蔵ちゅうしんぐらのおでこに着いてる……」

「あれは右二つ巴。こういうやつ」

「あー、この白黒勾玉超神合体」

「なんだそれ」

「で、そのギョギョギョがどうかしたんですか」


紡はボールペンで図を指す。


「これを見れば分かるように、陰と陽はどちらが勝ってもいけない、同じバランスでなければならないんだ。世界の運行は陰陽のバランスが大きく関わってくるからね」

「はぁ」

「そして黒と白は陰陽を表す、碁石は黒と白である、よって碁石は陰陽である、の三段論法で碁石の意味が証明完了。よって世界を意味する盤面に対して、退けた数より残った数が重要になる」

「ほう。しかし囲碁は勝負事ですから、どちらかが勝ってしまうじゃないですか。バランスが壊れる」

「そうだよ。つまり囲碁というのは世界の陰陽を崩し大きな歪みを引き起こそうとする『呪』なんだよ」

「そんなことして何になるんですか!」

「単純に世界を破壊したい頭強炭酸な連中もいたかも知れないけど、多くは仁王立ちより片足立ちの方が押せば揺れる様に、不安定な状況を作ることでより別の『呪』の力を響かせようって魂胆だろうね」

「ヤバいじゃないですか! そんなのが娯楽や習い事レベルで日常的に行われてるなんて! 少年漫画も真っ青な周期で世紀末じゃないですか!」

「大丈夫だよ」

「と言いますと?」

「天気、月の満ち欠け、何月何日……、陰陽のバランスなんて取れてない日の方が多いから」

「大丈夫じゃないじゃないですか!」


コンコンコン、と紡は教師が指し棒で黒板を叩くようにペンで太極図を叩く。


「まぁまぁ、よくご覧。この『陰陽魚』、黒の中に白が、白の中に黒が小さく生じているでしょう」

「この勾玉の穴ですね」

「これが意味するところは、陰の中にも陽があり陽の中にも陰が含まれるということ。その上『陰陽魚』は渦巻くように絡んでいるでしょ? つまり陰も陽も極まれば結局もう片方に転じるということ。あざなえる綱の繊維、コインの裏表」

「へぇ〜」

「そういう意味ではこの飴も似ている。陰と陽が別の様で同じな様に、オブラートと中の求肥ぎゅうひ飴も別物の様で同じデンプン質の食べられる物」

「てことは、結局白が多かろうと黒が多かろうと陰陽のバランスになんら問題は無い、と?」

「そう。太古の術者共より世界のあり方の方が一枚上手だった。どれだけバランスが崩れても勝手に世界は回る」

「なるほど……。あ、でも最初はバランスが大事、同じバランスじゃないとって言ってませんでした?」

「言ったね」

「つまり、バランス悪くても世界は回るけど、それは回るってだけで悪いものは悪いのでは?」

「……」

「……五目並べしましょうか」


結局二人は夕飯まで五目並べをしたが、桃子は一度も勝てなかった。

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