第5話 楽々浦凌史
————人間は、生まれたまま何も考えずに過ごすと、心の中が、哀しい気持ちで満たされてしまうのかもしれない。
しかし、喜びに触れたその日から、さまざまな感情が、心のどこかから湧き出してくるのではないだろうか。
そして、それについて考えれば、楽しさにも出会うことが出来るだろう。
「それさぁ、ハルちゃんにしか言ってないつもりかも知れないけど、実際それ、オレへの悪口でもあるよ?」
声の主は、先程のホームルームで風夏に呼名されて立ち上がった、ライトピンクの少年、楽々浦凌史だ。
「オレだって中等部からアオコウにいたよ? でも、キミたちがそうやって攻めるのって、いっつもハルちゃんじゃん。何が違うの〜? それにさ、すぐそばに、ハルちゃんより、もっとたくさん椅子、持ってった人がいるんだよね? なんでそっちにはノーコメントなの? オレ、バカだから教えてもらわないとわかんないんだよね。教えて教えて〜」
凌史は『ねぇねぇ』と言いながら、満面の笑みを湛えたその顔を、2人に近づけていく。
そこには、狂花の笑みのような威圧感は感じられない。
ただ、心から知りたがっているような、好奇心しかないような、友好的な笑顔だ。
「「……チッ」」
根負けした2人は去っていった。
「もーハルちゃん! 前から、ちゃんと言い返さなきゃダメって言ってるでしょ〜?」
「あ、ごめんね……また助けて貰っちゃった……」
「友達としてとーおぜん! あいつら殴ってやりたいぐらいだけど、あの
そう言いながら、凌史は拳を『えいやっ』と、二人が去っていった方向へ突き出す。
『前から』ということは、凌史も中等部から上がってきた、そして、中等部時代から、ハルカとは友達なのだろう。
友人に助けられたハルカは、笑顔になった。
それを確認すると、凌史は薫の方を向いた。
「薫くん……なんか言いづらいな。『かおるん』でどう?」
「え? あ、うん。いいよ」
友好的なあだ名を付けられたのなんて初めてだったので、薫は困惑する。
「あのね、かおるん! ボクは楽々浦凌史っていいます! 今からキミの友達、いい?」
「え? あ、うん、もちろん」
ビックリするほどフレンドリーだ。
「実はね、ボクもすっっっっっっっっっっごく悔しい! ハルちゃんとおんなじでさ、去年までスポーツ総合主席だったから! 持ってかれちゃったから!」
凌史が、先程まで突き出していた拳を、引っ込め、下方向に振り下ろす。
真面目な表情が、凌史の表面を覆う。
「だけどね、オレよりすごい人がいるって知って、なんだか楽しくなった」
握られた拳は、凌史の顔の近くへ運ばれる。
そして、拳の奥の表情は、満面の笑みに変わる。
「だからこそ、オレ、絶対、授業では勝つからね! あいつらみたいに妬み嫉みぶつけて喧嘩すんじゃなくて、そうじゃなくて、ちゃんと実力で勝つから!」
1日で2人から戦線布告されるとは。薫は驚いていた。
しかし、これもまた、感じたことのない感情だろう。
楽しい。
確かにそのとき、薫の心には、その言葉が浮かんだ。
「2人とも」
ハルカと凌史が、薫の方を向く。
「僕も、本気で楽しませてもらうね。これからよろしく」
「「……うん!」」
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