猫な幼馴染が毎晩うちをたずねてくるんだけど

久野真一

猫な幼馴染が毎晩うちをたずねてくるんだけど

「はあ。ゴールデンウィークに戻りたい」


 読書をしながら言っても仕方がないことをついつぶやいてしまう。


 5月11日、水曜日の夜。ゴールデンウォークが明けて数日経った何の変哲もない平日。学校が嫌なわけじゃない。とはいっても連休に身体が慣らされてしまうと少しだるくなってしまうのは仕方がないだろう。


達也たつやセンパイ。これからそっち行っていいですか?】


 一歳下の可愛い幼馴染な家内音子いえうちねこからのラインだ。

 幼稚園からの付き合いで今は同じ高校の可愛い後輩でもある。


【家でごろごろしてるし、いつでもオッケーだぞ】


 こうして音子が夜に家に来たがるのもしょっちゅうのこと。

 あっちの両親は娘が夜に男の家に行くのは大丈夫なのかと思うかもしれない。

 しかし、実は音子の能力、あるいは体質を使えば大丈夫なのだ。


 数分後。


 トントン。トントン。部屋の窓を叩く音がする。

 窓の外を見ると一匹の猫がいて、器用に前足で窓ガラスを叩いている。

 猫の種類は彼女・・に言わせると「ロシアンブルーっぽい感じ」だそうな。


「はいはいはい。今参りますよっと」


 ベッドから跳ね起きてガラガラと窓を開けると、


「フニャー」


 一鳴きして勝手知ったる我が家とばかりにするすると入り込んでくる。


「ちょっとは遠慮しろよ」


 目を合わせて遺憾の意を伝えてみるけど、一瞬だけ俺の方を見たかと思えば「知らない」とばかりにベッド脇に来て堂々と居座る始末だ。


「なー」


 早く遊べとばかりの鳴き声。


「仕方ないなー」


 高校一年生にもなってこういうことしたがるのはいかがなものかと思うけど、彼女・・曰く「猫になると達也先輩に遊んで欲しくなるの!」らしい。


「ほらほらほら」


 猫じゃらしをびゅんびゅんと振り回してみる。

 すると、前足を何度ものばして必死に捕えようとしている。

 こんな様を見てると、彼女とこの猫が同じだとは思えない。


音子ねこはさー。何考えてるんだー?」


 その問いに一瞬首を傾げたかと思えば「知らん」とばかりに再び猫じゃらしで遊べと鳴き声で催促してくる。


 音子が来たら遊び道具で30分程遊んでやるまでが日課だ。

 でもってひとしきり満足すると……


「あー、すっきりしました」


 笑顔で目の前にいるのはロシアンブルーの仔猫、ではなくてパジャマを着た小柄で童顔な可愛らしい女の子。

 俺の幼馴染である家内音子いえうちねこその人だ。


「音子は満足したか?」


 音子ねこがこうしてねことして(洒落じゃないぞ)

 家に来るようになったのが小学校高学年の頃だったか。

 それ以来定期的に猫として俺の部屋を訪れているのだ。


「やっぱりストレス解消には猫になるのが一番です!」

「俺は猫になったことないからなー。そんなにいいものなのか?」


 彼女が家を訪れるときはだいたいストレスが溜まったときだ。

 クラスの人間関係だったり親と喧嘩しただったり原因も色々。


「それはもう!人間のときと違って猫のときは感情を抑圧しなくていいですもん」

「なるほどなー。俺たちの歳になったら思いっきり感情を出せないことも多いよな」


 俺や音子に限らず人間なら仕方がないこと。

 ただ、猫でいるときは感情を素直に出せるのであれば。

 ひょっとしたら絶好のストレス解消手段なのかもしれない。


「……といつもこんなのに付き合わせちゃってすいません」


 時期はもう5月中旬。夏仕様の薄手で水色のパジャマは涼しげでしかも音子の身体のラインがはっきり見えるから恥ずかしくなって少し目を逸らしてしまう。


「い、今更だろ。俺も音子ねこねこモードと遊ぶの好きだし」


 音子が猫に変身できるようになったのは小学校の頃。

 あちこちを渡り歩くご近所の野良猫をうらやましく思っていたらある日猫になれることに気づいたらしい。猫としての姿も動物として大変可愛らしくて、思わず構ってしまいたくなる。


「ありがとうございます。ほんとに昔からずっとお世話になってますよね」


 はにかんだ音子はいつの間にかベッドの上で正座状態。考えてみればこれだけ可愛い女の子が俺のすぐ近くにいるわけで……でも、やっぱりそれは昔から一緒にいた音子だ。


「よしよし。よしよし」


 いつものように抱きしめてふわふわのショートヘアをなでなでしてあげる。


「にゃはは。こうするの大好きです……」


 ちょっとわざとらしく「にゃはは」なんて言いながら甘えてくる音子だけど、薄手のパジャマ越しに伝わってくる身体の熱やいい香り。夜中に部屋で二人きりというシチュエーションもあって不思議と落ち着く。


「俺もまあ……こういう時間はいいな」


 はっきり言うのは少し恥ずかしくて、そう誤魔化してしまうけど二人きりのこんな時間が好きなのは本当だ。


 チク、タク、チク、タク。しばらくの間、壁掛け時計が時間を刻む音だけが流れる。音子も俺もお互いに一言も発さずにただ抱きしめ合っていると―


「……最近、ぺしょん・・・・としたことがあるんですけど」


 何やら不満げな声だ。


「……ぺしょんって前から聞くけどどういう意味なんだ?いや、なんとなくはわかるんだけど」


 だいたい凹んだみたいな意味だろうけど音子以外からは滅多に聞かない。これに限らず音子はやたら擬音語を使いたがるので疑問を持つこともしばしばだ。他にはぴしゃん、ぽってり、などなど。


「大体凹んだみたいな意味です。それで、本題に入りたいんですけど?」

「いや、悪い悪い」


 つい音子の擬音には突っ込んでしまいたくなる。


「先週、私と達也先輩が一緒に帰ろうとした時に「そんな気立てのいい彼女がいてリア充だねー」なんてからかわれたの覚えてます?」


 確かにそういうことはあった。元々、音子は俺にべったりなので放課後になると一年上の俺の教室まで呼びにくることも多い。だから、それを見咎めた旧友が俺をからかったのだけど……。


「ああ、そういえばそんなこともあったな。で?」

「センパイ、「別に彼女じゃないっつーの」って答えましたよね。正直ちょっと凹んだんですよ」

「う。それは……」


 もちろん、名目上俺と音子が付き合っていないのは事実だ。ただ、二人で出かけるのが当たり前になっていて、しかもこうして夜のひと時を当然のように過ごす間柄は彼女よりよっぽど彼女らしい。


「悪い。俺たちの関係ってさ。なんていうか彼女か彼女じゃないかはっきりしないからついな。傷つけて悪い」


 友達以上彼女未満。そんな間柄ですらなくて、お互いに異性と二人っきりになるときは事前に知らせておくのが暗黙の了解になってたりもする。


「お互いに告白はしてないですけど私は付き合ってるつもりだったんですから」

「じゃあさ、音子は俺のこと好きなのか?」

「好きですよ。ずっと前から。達也先輩は?」

「俺もずっと前から好きだったよ」

「なら両想いですね」

「だな」


 普通のカップルなら重大な告白の儀式はこれにて終了。あとは寝る時刻になるまでひたすらいちゃつく、ただそれだけの時間。


「そういえばさ。これまでやってみたかったけど出来なかったことがあるんだけど」


 抱きしめて髪を撫でながら耳元で囁く。

 音子はぴくっと反応したかと思えば大きく後ずさる。


「ちょ、ちょっと。耳元で囁くの止めてくださいよ!」

「なんでだよ」

「ぞわぞわってくるんですよ」

「別に悪い気はしないならいいだろ」

「悪い気はしないけど恥ずかしいんです!」

「わがままだなあ」


 仕方ないので耳元で囁くのはやめてやるか。


「それで。センパイは何をしたいんですか?言っておきますけど、エッチなこととかはその……もう少し先にしてもらえるとその……助かります」


 音子は何を想像したのか耳まで真っ赤にしている。いや、夜遅い彼氏になったばかりの部屋。しかもベッドの上で抱き合っている。音子が卑猥なことを想像するの無理はないのか?


「いやエッチなことの前にさ。普通の彼氏彼女としてキスしてみたいんだけど」

「……あ」

「完全に忘れてたな?」

「そ、そんなこと言っても仕方ないんです!こんないいムードでしかも微妙に明かりが薄暗いし、女の子がそういうこと想像しちゃうのも自然なんです!」


 細長い抱き枕を振りかざしたかと思うと、何度も何度も俺にたたきつけてくる。当然ながら全然痛くないけど。


「いやー、音子がそういうこと想像するような女子だったとはなー」

「これ以上言うと枕じゃなくてバットで殴りますよ?」

「それは勘弁」

「センパイはそうやってやたら私のこと弄ろうとするのが悪い癖ですね」


 なんて言いつつ音子も全然怒っていないくせに。

 ま、いいや。再び彼女の身体を抱き寄せて、今度は顔を彼女の目の前に持ってきてじっと見つめる。音子は……目を逸らした。


「あの、ちょっと。キスにしてもいきなり過ぎです……」

「本気で嫌ならしないけど、単に恥ずかしがってるだけだろ?」


 それなら身体ごと引きはがしにかかってるはずだ。


「それはまあそうですけど……わかりました。でも、その代わりゆっくり、ゆっくりですからね!」

「じゃなかったどうなるんだ?」

「恥ずかしすぎるので猫に戻って逃げます」

「それは困るな」

「だから、ゆっくりお願いします」


 と言ったきり目を閉じてひたすら俺からのキスを待つ体制。時々顔や瞼がぴくぴくしてる辺り相当意識してるらしい。


「じゃあ……」


 まずは唇同士が触れ合うまであと30cmというところまで近づく。


「ええと……まだですか?」

「あと30cmくらい」

「わかりました」


 その間にさらに10cmくらい顔を近づけてみる。


「まだですか?」

「あと20cmくらい」

「そ、その。ゆっくり過ぎませんか?」

「音子がゆっくりって言ったんだろ」

「それはそうですけどー」


 というわけであと5cmくらいまで近づけてみる。ここまで来ると彼女の表情も唇や瞼の動きもよりはっきり見える。頬は赤くなってるし耳も真っ赤で見てて面白い。なんて言うと後で音子に色々言われそうだ。


「まだ……ですか?息とかかかって恥ずかしいんですけど」

「あと5cmくらい」

「そ、その。そこで止めないでくださいよ」

「じゃあ、一息にやっていいんだな?」

「言い方!でもまあ……そういうことです」


 やっぱり音子はかわいらしいなあと思いつつ、後ろから顔を引き寄せて、唇にちゅっと唇を合わせる。俺にとっても初キスなのに緊張しないのが不思議だけど、たぶん音子がすごい緊張しているせいだろう。


「あ……あ……あ……」


 キスが無事に終わったかと思いきや、身体中をぷるぷると振るわせて何やら独り言を口走っている音子。


「あーーーーーーー」


 そう口走るなり猫の姿に変身。


「お、おい。音子。ちょっと待て」


 追いかけて捕まえようとするもののさすがに猫の方が遥かに人間よりも機敏だ。器用にも俺の部屋の窓を開けてびゅーんという効果音がしそうな勢いで部屋から去って行ったのだった。


「よっぽど恥ずかしかったんだな」


 これまで俺の目の前で猫に変身するときは大体羞恥心が限界を超えたときだった。だから、きっと音子のことだ。キスが恥ずかしすぎたんだろう。


「でも、音子と正式に恋人になったわけだよな……」


 さっき音子と触れ合った唇に触れながらにやついている俺自身に気づく。

 余裕そうに振舞ってはいても、キスできたことは俺もどうやら嬉しかったらしい。

 そして、先ほどのシーンを反芻しながらベッドの上で幸せな気分に浸っていると。

 ラインで音子からの通信。


『さっきはすいません。つい、逃げちゃって……』

『別に気にしてないって。単に恥ずかしくなったんだろ』

『見通されてるのが不服ですけど。そういうことです』

『変なところで臆病だからなあ、お前』

『センパイが堂々とし過ぎなんです!もう!』

『悪い悪い。で、キスはどうだった?』

『感想をいちいち聞くデリカシーの無さも昔からですね』

『わかってて付き合ってるんだろ?』

『はぁ。そりゃ嬉しかったですよ!幸せでしたよ!幸せ過ぎてにやけてる顔見られるのが恥ずかしくて猫になっちゃったくらいには!』


 やけくそ気味な告白を聞きながら、幸せな気分に浸りながら俺は、


『なら良かったよ。俺も、今幸せ過ぎてさっきの感触何度も思い返してる』

『ちょ、ちょっと。嬉しいですけど恥ずかし過ぎます』

『これからもっと恥ずかしいことだって待ってるのに保たないぞ?』

『センパイの意地悪』

『音子だから意地悪するんだよ』

『わかってますよ。他の女の子にこんなことしてたら、絶対に許さないですから』


 さっき彼女になった後輩である彼女は独占欲も強いらしい。


『あ、そうそう。恋人になったわけだけど、これからも猫になって来て欲しい』

『え?そ、それはどういう……』

『いやさ。音子が猫になってる時ってどういう風に思考してるかとか知りたかったんだよ。これまでは聞くのも無粋だと思ってたから深く聞けなかったんだけど今ならいいだろ?』

『はぁ。センパイはほんとーに昔から変人なんですから』

『その変人に惚れてしまったんだから諦めろ』

『とっくに諦めてますよ。これからもきっと、猫耳をつけて欲しいとか色々変なこと要求されるんでしょうね……』

『いやいや。猫は好きだけど猫耳は興味ないぞ?』


 猫耳をつけた彼女はそれはそれでいいものだけど、猫の可愛さとは別物だと強く主張したい。


『もういいです』


 溜息をついた声が聞こえてきた辺り、諦められてしまったらしい。


『恋人として改めてよろしくお願いしますね、達也たつやセンパイ』

『こちらこそよろしく、音子ねこ


 ただ猫になれるという特技があるだけの女子高生と。

 その先輩である俺のちょっとした一日が終わったのだった。

 

「しかし、結局なんで音子は猫に変身できるんだろうな」


 ま、別にそれもどうでもいいか。

 それより明日からどうやって弄ってやろうか。

 そんなことを考えている俺はちょっぴりサドなのかもしれない。


◇◇◇◇


「猫になったときは思いっきり甘えられるから……なんて言えないよね」


 達也センパイの家から帰った私は一人つぶやいていた。

 わざわざ猫に変身してセンパイの家に通っていたのには一つ大きな理由がある。

 猫の時は本能の赴くままセンパイに甘えることができるのだ。

 なんせ私は結構な恥ずかしがり屋だ。

 キスしただけで逃げ帰ってしまうくらいに。

 猫になれる力を授かったときは天の贈り物かなと思ったものだった。


「でも、これからは私として向き合わないといけないんだよね」


 今日みたいにキスしたら恥ずかしくなって逃げるなんてやってたら始まらない。

 しかも、キスの先だっていずれはするわけで……。


「嬉しいけど恥ずかしいよーーー!」


 これからのセンパイとの日々を想像して一人身もだえしていた私だった。


☆☆☆☆あとがき☆☆☆☆

猫をテーマにした短編でした。

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