終章・共に

 私が竜胆さんに告白して、竜胆さんに好きと言ってもらった日の次の日。

 私は竜胆さんと一緒に夕菜さんのお墓の掃除をしていた。掃除自体は夕菜さんの命日に……つまり私と出会う前に竜胆さんがしていたとのことでそこまで汚れたりはしていなかったのだが、それでも綺麗にしたかったので二人で雑草を退けたりしていた。

「……このくらいでいいかな。優奈ちゃん、お花を持ってきてくれる?」

「分かりました」

 私は来る途中で購入した献花を持ってきて、花立にそっと入れた。竜胆さんがマッチで火をつけて、線香の香りが辺りに漂い始めた。

 私たちの前にあるお墓には、

『竜胆夕菜之墓』

 と刻まれていた。

『畳野夕菜之墓』ではないのは、竜胆さんが建てる際に色々としたから、らしい。

 生前彼女がその名前を名乗ることは無かったのかもしれないけれど、竜胆さんがその名前をお墓に刻んだということが、どれだけ夕菜さんを愛していたかが伝わってきて少し羨ましい。

 私たちは掃除道具を脇に置いて、二人で並んで黙祷を捧げた。

「…………」

「…………」

 静かな時間が流れていく。

 私は……昨晩から考えていた、夕菜さんへの言葉を伝えていた。


『……竜胆夕菜さんへ。

 初めまして、舞園優奈と申します。

 今から一月以上前の事ですが私は夕菜さんが亡くなった日に、夕菜さんが亡くなった場所で私も命を絶とうとしてました。

 誰も味方がいない毎日に疲れてしまって、嫌になって、死ぬしかないのかなって何度も何度も思って……あの橋に、小さな頃に一度だけ連れて行ってもらった綺麗な景色の見える橋に行きました。

 欄干の外に立って手を離すだけでいいというとこまできて……どうしても、手を離せませんでした。耳元で唸る突風や足元を流れる濁流なんかではなく、死ぬということが怖かったんです。

 そんなとき、竜胆さんが声をかけてくれたんです。飛び降りないのかいって。

 竜胆さんは見ず知らずの私の話を真剣に聞いてくれて、家に来ないかって誘ってくれて……私を助けてくれました。

 最初は怖いと思う時もありましたけど、いつも私に優しくしてくれて……気がついたらそんな竜胆さんのことが好きになっていました。ずっと一緒に過ごしていたい、ずっと笑っていて欲しいって心から思うようになりました。

 夕菜さんが……竜胆さんのことをどれだけ想っていたか、わかっているつもりです。

 ……ごめんなさい、夕菜さんの日記、勝手に読んでしまいました。謝ります。

 夕菜さんが綴った沢山の想い、竜胆さんへの好きって気持ち——羨ましいくらい真っ直ぐで読んでいるだけで幸せが伝わってきました。

 夕菜さんが思い描いていた幸せに辿り着けなくて、その命を絶ってしまったこと……本当に悲しく思います。

 ……竜胆さんから聞きました。夕菜さんが遺書の中で、『夕菜さんのことを忘れて竜胆さんに幸せになってほしい』と書いていたって。そんなこと、させません。夕菜さんへの想いや優しさが今の竜胆さんに繋がっていて、そんな竜胆さんを私は好きになったんですから。

 夕菜さんのことで苦しくなることも悲しくなることも沢山あると思います。

 それでも私は……竜胆さんと一緒に生きていきたい。一緒に幸せになりたいです。

 そして——竜胆さんのこと、幸せにしてみせます。

 いつの日か私が寿命を迎えたとき……その時は夕菜さんと沢山お話ししてみたいです。竜胆さんの好きなところとか一つずつ言い合って、数えきれないくらい話してみたいです。

 その時まで……見守っていてほしいです』



 竜胆秋夜は黙祷時、何度も読み返して一言一句覚えてしまった夕菜の遺書を思い返していた。


『しゅう君へ


 この手紙をしゅう君が読んでいるとき、きっとあたしはこの世にいないと思う。

 何も言わずただあたしのわがままでしゅう君の隣からいなくなること、本当にごめんなさい。

 どうしても耐えられなかった。我慢できなかった。

 しゅう君とあたしの子供がいない未来にいても、あたしは幸せになれないから。

 しゅう君はあたしがいればいいって言ってくれたし、その言葉は本当に嬉しかった。

 しゅう君は子供がいなくても、あたしと二人だけでもずっと変わらず優しくしてくれるって思うし、きっとあたしが自殺せずにその未来を選んだとしても幸せになれたと思う。今までと変わらずに、二人で笑って過ごせたと思う。


 でもね、あたしの望んだ幸せは、そうじゃないの。そうじゃなかったの。


 しゅう君といっぱい愛しあって、しゅう君の赤ちゃんをお腹の中で感じたかった。

 しゅう君の赤ちゃんをお腹痛めながらも産んで、その小さな身体を愛情いっぱい込めて抱きしめたかった。

 その子と色んなところに行って、色んなことを教えて……あたしはあまり頭よくないから、勉強はしゅう君に見てもらうことになるかもだけど、沢山のことをその子に教えてあげたかった。

 あたしがどのくらいしゅう君の事を愛してるかとかも当然教えて、いつか大きくなった時、「お母さんは呆れるくらいお父さんのことが好きだね」って言われたら「もちろん」って笑って答えられるような日が来ればいいなって思ってた。


 あたしにとってはその未来を実現できないことは何もかもを諦めたことと同じなの。

 ずっと子供を諦めたまましゅう君と生きていくことに耐えられない、あたしの弱さを許してください。

 本当に、ごめんね。


 最後に。

 もしもしゅう君があたし以外の誰かのことを好きになったら……あたしのことは忘れて、その子と幸せになってください。

 本当はあたし以外の子と仲良くしてるしゅう君を見たくないし嫉妬しちゃうけれど、あたしはしゅう君が幸せになってくれることが一番だと思うから。

 しゅう君は優しいし、きっとあたしが死んでもあたしのことを思ってくれるんだろうけど、いつまでもそのままじゃ、だめだよ。

 あたしに向けてくれたその優しさを、しゅう君が好きになったその子に向けてあげてください。

 あたしに向けてくれたその優しさで、しゅう君が好きになったその子を幸せにしてあげてください。



 しゅう君。竜胆秋夜君。

 あたしと出会ってくれてありがとう。

 あたしを愛してくれてありがとう。

 しゅう君と過ごした時間は本当に幸せでした。

 本当に大好き。心の底から愛してる。

 いつまでも元気でいてください。

 さようなら。



 死後の世界からもこの愛が届きますように


 竜胆夕菜

(最後くらい、こう名乗ってもいいよね?)』


 何度も読んで、その度に泣いた。

 何度も謝られて、その度に謝らないでと叫んだ。

 何度もさようならと告げられて——その度に死にそうにさえ、なった。


 それでも……沢山の思い出が、共に過ごしてきた時間が、通じ合った気持ちが次々と心に浮かんできて。

 そして……一緒に暮らしている一人の少女のことを思い出して、死ぬことだけは出来なかった。

 夕菜のことを忘れてという文を読んだとき、秋夜はそんなことできないと強く拒絶した。だけど自分の優奈に対する好意も、幸せにしたいという気持ちも自覚していて、酷く葛藤した。

 しかし彼女は——舞園優奈は、竜胆秋夜に言ったのだ。


『私は、竜胆さんに夕菜さんのこと忘れてほしくないです』


 その言葉でどれだけ秋夜が救われたのか、優奈は知らないだろう。

 その優奈は今、秋夜の隣で共に黙祷を捧げてくれている。

 彼女の存在を肌で僅かに感じながら、秋夜は夕菜への言葉を送り始めた。


『夕菜へ

 君が居なくなってから七年もの月日が過ぎて、いつの間にか君と過ごした時間より別れた時間の方が長くなっていたよ。僕はその間ずっと、何もできずにただ無為に時間を過ごしていた。夕菜が死んだことを頭ではわかっていたのに心のどこかで受け入れられていなかった。

 夕菜が自殺したあの日の七年後に、同じ場所から自殺しようとしている少女に逢ったんだ。舞園優奈って言う、夕菜と同じ音の名前を持つ子なんだ。もし君が生きてたら運命とか言ったのかな?

 僕は……最初は本当に気まぐれで、夕菜がよく言ってた『女の子に優しくすること』って言葉を思い出したのもあってさ、優奈ちゃんを家に招いたんだ。結構警戒されたよ。当たり前だけど。

 優奈ちゃんとの生活はさ、とても温かみのあるものだったけど、最初の頃はどこか苦しかった。姿も考え方も仕草も、夕菜とは全然違う子なのにね、どうしても夕菜の事を思い出してしまうことが多かったから。

 ……けれどね、段々と一緒に暮らしていく中で彼女を大切にしたいって思うようになってきたんだ。僕の人生で二度目なんだ、誰かを大切にしたいって心から思ったのは。

 彼女の笑う顔が見たくて、泣いてる姿を見たくなくて、僕にできることはなんでもしたいって色々頑張ったんだ。

 一緒にいて楽しいし、安心する。

 優奈ちゃんには本当に感謝してるんだ。

 もしも優奈ちゃんと出会ってなければ、僕は今も夕菜のことを引きずったままだったし——夕菜の本当の気持ちに触れることもなかったと思う。あの手紙……夕菜の最後の思い、優奈ちゃんが見つけてくれたんだ。僕一人では決して見つけることは出来なかったと思う。


 夕菜の本当の苦しみをわかってあげられなくてごめん。

 夕菜をあそこまで傷つけてしまってごめん。


 君も書いていた通り、僕と夕菜では思い描いていた幸せの形が違っていた。

 僕は……夕菜が傍にいてくれれば、ずっと一緒にいてくれれば、例え子供を授かることができなくてもそれが幸せなんだって思ってた。

 夕菜は違ったんだね。夕菜は子供を諦めきれなかったんだよね。よく話してたもんね、どんな子がいいかって。

 ……ちゃんと話しあえなくて、理解することが出来なくて、ごめん……ごめんね。

 もしも死後の世界というものがあるのなら必ず夕菜の元に謝りに行くよ。約束する。

 だけど、しばらく待っててくれないかな。

 わがままなのは理解してる。けれどお願いしたい。


 今は——優奈ちゃんを幸せにしたいんだ。


 夕菜のことを忘れたりはしないよ。忘れることなんて出来ないしね。

 けれどこれからは夕菜のことじゃなくて、優奈ちゃんのことを考えていかなくちゃいけないからさ……しばらく、お別れだ。


 さようなら、愛していた夕菜。

 僕は、優奈ちゃんと一緒に歩んでいくよ。


 夕菜と出会えて、本当によかった。

 あの日話しかけてくれてありがとう。

 あの時の出来事が無かったら、その後の夕菜との時間がなかったら、今の僕はいなかったと思う。

 夕菜と出会えて、一緒に過ごせて、笑えて……恥ずかしくてあまり言葉にできなかったけど、僕も本当に幸せだったよ』



 私が長い黙祷を終えて目を開けると竜胆さんも丁度終えたところなのか、ゆっくりと顔を上げていた。

 その頬には僅かに一筋、涙の跡が光っていた。何気ない仕草で拭ってから、竜胆さんは私を見た。

「……待たせてしまったかな」

「いえ……私も、今終えたので。夕菜さんに言いたかったこと、ずっと言ってました」

「そっか……僕もだ」

 そう言うと竜胆さんは首の後ろに手をやり——ロケットペンダントを、外した。

「それ……」

 私がいいのかと問うより先に、竜胆さんはバッグからケースを取り出して、丁寧にロケットペンダントを仕舞った。

「……しばらく、お別れだ。僕なりのケジメだよ」

 そっとケースをバッグに仕舞い、持ってきた掃除用具を拾った。

 そして空いている片方の手を私に差し出してくれて……

「行こう、優奈ちゃん」

「……はい」

 私は愛しい人の手をとった。

 夏の近づいてきたある日のこと。

 私は竜胆さんと共に歩いていく。


 終

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

「ゆうな」という少女の物語 どんぐり@猫派 @Donguri-Nekoha

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ