第656話 何だか、傷の手当ばっかりさせているね。
「包帯を持ってきたから手を出して」
ヨシズミと入れ替わるようにしてプリシラが新しい包帯を手に戻ってきた。
言われるまま、ステファノは腕を差し出す。
「……傷痕が増えてる」
「ああ。心配事があると、夢の中でかきむしっちゃうみたいで……」
今回だけのことではない。何か心を痛める出来事があると、ステファノの手首に新しい傷痕ができるのだった。
ヤンコビッチ兄弟を討伐した後もそうだった。
「いつも手袋をしているから見えていないだけなのね――本当のステファノの心は」
「ごめん。隠してるつもりじゃないんだけど」
「ううん。責めてるんじゃないの。わたしが気づけなかっただけだから」
うつむいたままプリシラは小さく首を振った。話しながらも彼女の手は素早く動き、慣れた手つきで包帯を巻いていく。
「はい、できたわ。かさぶたが消えるまで、包帯は毎日きれいなものに取り換えてね」
「わかったよ。ありがとう」
両手首にきっちりと巻かれた包帯は傷口をしっかり守ってくれているような気がした。
思えば最初に傷ついた時も、プリシラが包帯を巻いてくれたのだった。
「何だか、傷の手当ばっかりさせているね」
「そんなことない! そんなことないわ」
顔を上げて否定するプリシラの目から涙がこぼれた。
「ステファノは自分のことなんて考えていないのに。いつも人のために傷ついて……今だって」
「プリシラ……」
「お父さんたちのこと、本当にお気の毒で……何と言っていいのかわからない」
再びうつむいたプリシラの膝に、ぽたりと涙が落ちた。
「ありがとう、心配してくれて。まだ気持ちの整理ができないけど、なるべく心配させないようにするよ」
ステファノは下を向いたプリシラの肩にそっと手を置いた。
「無理しないでね。つらいことがあったら言ってね」
ステアのの手に自分の手を載せ、プリシラは涙にぬれた顔を上げた。
「覚えておいて。わたしの
「君の真名……?」
「わたしの真名をあなたに捧げる」
かすれるような声でプリシラはそう告げた。その真剣なまなざしに、ステファノの胸がどきりと脈打った。
「真名って……何のこと?」
「え?」
「初めて聞いた。別名ってことかな?」
「真名を知らない? 本当に? そんなことが――」
プリシラは驚いて口を押さえた。こぼれんばかりに目を見開いている。驚きすぎて顔から血の気が去っていた。
「ごめんね。大事なことなのかな? ウチの田舎にはそういう習慣がなくて」
「えっ? う、ううん。いいの! 知らなければいいのよ。気にしないで。忘れてちょうだい」
気まずそうに謝るステファノの前で、プリシラは激しく首を振った。先ほどまでの真剣さとは打って変わった慌てようだった。
どうやら自分の反応が期待外れだったらしいと、プリシラの肩から手を引き戻しながらステファノは頭をかいた。こういうところがお前のダメな所だと、いつもドリーさんに叱られる。
「プリシラが心配してくれたのはありがたいと思ってるよ。うん。いつもありがとう」
「い、いいのよ。お礼なんか言わなくても。それじゃあ、ヨシズミさんのところへ行ってみましょうか?」
ぎこちなく立ち上がり、プリシラはステファノを先導した。
(おかしい! 奴は確実にわたしを信用したはず。真名を知らないだと? 一体どういうことだ!)
プリシラの精神を乗っ取った
バンス一家の殺害成功の知らせを受けて、ジェーンはすぐにシュルツの体を脱ぎ捨ててプリシラの体に乗り移っていた。
傷つき弱ったステファノから真名を聞き出すつもりで待ち構えていたのだ。しかし、ステファノは自分の真名を知らないと言う。
イドの動きを観察できる
(真名を持たないとすると、こいつは一体何者なのだ?)
強力なアバターを持つステファノこそゲームマスターとなるべきプレイヤーだと思った。その前提は間違っていたのか?
(わからない。
プレイヤーかNPCかを判断するためには憑依できるかどうかを試してみるしかない。しかし、それは危険な賭けだった。
もしステファノがプレイヤーであれば憑依は失敗し、ジェーンの正体が露見してしまう。
そうなったらステファノの真名を得る機会は二度と訪れないだろう。
(しくじるわけにはいかない……。もっとデータを集めてステファノの正体を確実につきとめなくては)
ステファノの前を歩きながら、
◆◆◆
「師匠」
「ステファノ。 毒の正体が知れたッペ」
水瓶に付着していた毒も、吹き針と同じツハダの毒であることがわかった。これほど早く特定できたのは、ステファノが置いていった時間短縮魔道具のおかげであった。
「ツハダという毒ですか。では、それを使う殺し屋を探し当てれば犯人がわかると」
「そういうこったナ。特徴ある手口の殺し屋なら見つけやすいんでネ?」
ヨシズミはネルソンたちに相談してギルモアの「鴉」を動かすつもりであることを告げた。ステファノはかつて第3王子暗殺未遂事件に関わった際、「鴉」たちと接触したことがある。
「確かに、あの人たちなら裏の世界のことに通じているでしょう」
そう語るステファノの目が焦点を失っているようにヨシズミには見えた。
「ステファノ、つらかッペ。俺には慰めることもできねェけど、無理だきゃすんなヨ?」
「はい。大丈夫です」
ヨシズミの目にステファノの手首を覆う真新しい包帯が見える。既に上から被せるようにつけた皮手袋に大半が隠れているが、わずかにのぞく白い帯が傷そのものよりも痛々しい。
(さて、これからどうしたもんか。調査の結果を遠話で報告するとして、その後はここにいても仕方がねェナ)
「鴉」の調査にはしばらく時間がかかるだろう。その間は、一旦サポリに戻っていた方がよさそうだった。
「ステファノ、サポリに帰って一度出直すッペ」
「……わかりました」
焦る気持ちを押さえつけるように、ステファノは目を伏せて答えた。
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