第657話 私はなぜバンスが狙われたのかを考えていた。

「毒はツハダだったか」


 ヨシズミの報告を受けたネルソンはマルチェルと顔を見合わせた。


「猛毒ですな。暗殺稼業の人間に用いられることが多いとか」

「うむ。かすかに青臭い香りと苦みがあるが、料理に入れればほとんどわからないだろう」


 それこそバジルなど、他の野菜と混ざってしまえば判別は難しい。


「食堂の床で毒のついた吹き針を拾った。おそらくコイツでバンスさんを狙ったが、護身具タリスマンに跳ね返されたんだッペ」

「それで改めて住まいの水瓶に毒を入れたか」


 大胆な手口だった。護身具がなければ飯屋の食堂でバンスを殺していたはずだった。

 他に客がいたかどうかわからないが、犯人には捕まらない自信があったに違いない。


 マルチェルは殺しに手慣れた者の仕業という印象を受けた。


「ツハダと毒針という手口の特徴があります。『鴉』たちに探らせれば犯人を絞り込めるかと」

「そうだな。マルチェル、探索の手配を頼む」

「かしこまりました」


 ネルソンはただの薬屋の隠居でも、私塾の経営者でもなかった。事業の一線を退いた分、社会の裏側での活動が増えている。

 ギルモア家の諜報機関である「鴉」と接触する機会も多かった。


 恐らく数日の内に犯人の目星はつくだろう。「鴉」たちには十分な数の魔耳話器まじわきを配ってある。情報伝達の速度は国中のどんな集団よりも迅速だった。


「ですが、所詮雇われの殺し屋かと」


 マルチェルは抑えた声音で言った。


「そうだろうな。金で買われた小物に過ぎない。依頼人につながる線は残っておるまい」


 ネルソンも犯人の特定から事件の首謀者を割り出せるとは期待していなかった。それでも、直接手を下した犯人を野放しにはしておけない。

 歯がゆい話ではあるが、先ずは目の前のボヤを火消ししなければならなかった。


「私はなぜバンスが狙われたのかを考えていた」


 ネルソンの言葉に、ずっとうつむいていたステファノが顔を上げた。


「どう考えてもバンスを狙う意味は、ステファノに関する企みの一部に思われる」

「それは間違いないでしょう。そうでなければ田舎町の料理人が殺し屋に狙われるなど考えられません」


 マルチェルもネルソンの考え方に同調した。


「バンスの死を事故に見せようという意図にも見えない。ツハダの毒は自然死の兆候とは程遠いからな」

はどうでも良かったと?」


 残酷ともいえる一言を発しながら、マルチェルはちらりとステファノに目をやった。ステファノはぎゅっと右手を握った以外は反応を見せずに、ネルソンの言葉に聞き入っている。


「酷な言い方だがバンスが死んだとてステファノが困ることはない。既に家を出て、経済的に自立しているからな。料理人の道を捨てているのでバンスから学ぶこともない」


 家を出るとはそういうことだ。過去の人生と一旦決別し、新しい道を歩み始める。

 ステファノもそうだった。


「つまりバンスさんを殺した目的は、ステファノへの直接的な打撃を狙ったものではないということでしょうか?」

「うむ。利でも理でもない。ステファノの情を鞭打つことが狙いであろう」


 それがネルソンが考え抜いた結論であった。


「そんな!」


 思わずステファノが声を上げた。


「俺を苦しませることだけが目的で3人もの人を殺すなんて……」


 激高しかけたステファノだったが、最後は尻すぼみに声が小さくなった。自分で口にしたことの意味がしびれたようになっていた頭に染み込んだのだ。


「そんな……そんなことのために親父は……エリカさんとテラは……」

「ステファノ、私は医術を志す者だ。多くの人の死を見てきた。お前の家族が亡くなったことは痛ましいことだと思っている。悲しむ気持ちも持っている。それでも尚、死んだ者は二度と生き返らないということを知っている。死者よりも生者をこそ助け、いたわらねばならないと考えている――」


 ネルソンはステファノを真正面から見て言った。何のごまかしもなく、生き方の中心にある心をまっすぐに語っているのだとステファノにはわかった。


「3人の命を奪う目的がお前の心を乱すことにあるとすれば、お前は自分を見失ってはならない。それこそがお前にできる、お前にしかできない戦いなのだ」

「俺にしかできない……」


 ステファノは目を落として自分の両手を見た。バンスから料理のいろはをたたき込まれた手。

 来る日も来る日も水をくみ、皿を洗い、床を掃除してあかぎれだらけになった手。


 父親とは比べ物にならない、小さくて弱々しい手。


 しかし、ステファノの手にはバンスの教えが宿っている。きっとその命の一部も。


 ステファノは両手に拳を作り、力を籠めた。悲しみは大きなひび割れとなって心の中心にある。

 だからといって、仕事は――生きることは休めない。


(為すべきを為す。お客さんは待ってくれないからね。――そうだろ、親方?)


 ステファノは頬をつたう涙を拳で拭った。視線の端を白い包帯の残像がよぎる。


「大丈夫か、ステファノ。うん? どうかしたか?」


 涙をぬぐったままの姿勢で固まっていたステファノが、ビクンと体を震わせた。


「いけない! プリシラが! プリシラが危ない!」

「何だと? ステファノ、落ち着いて説明しなさい!」


 ネルソンが目配せし、マルチェルが素早くステファノの背後に回り、両肩に大きな手を乗せた。


「あわてるな、ステファノ。ゆっくり、深く呼吸をしなさい」

「は、はい……」


 ステファノは瞑目して呼吸を整え、体内に気をめぐらせた。心身一如。精神もまた静謐を取り戻す。


「プリシラが乗っ取られました」

「何だと!」


 今度はネルソンたちがステファノの言葉に驚愕する番だった。

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