第654話 ステファノ! 手を動かすんでねェ!

 ルドから話を聞き終わったステファノは、ヨシズミと2人で実家に戻った。家族が死んだ現場ではあるが、目をそらすわけにはいかない。

 生き残った者には先に逝った者の命を引き継ぐ役割があるのだ。


(この店は……どうなるのかなぁ?)


 表に面していることもあり、ステファノたちは店の入り口から実家に入った。事件以来、店の営業は中止している。

 たった14日。それだけで店には空き家の空気が漂っていた。

 

 店主が死んだというだけではない。世間から見れば、この店は「死人が多数出た店」ということになる。

 あれは毒殺だと言ったところで、誰が信じてくれるだろうか。


 田舎町の飯屋一家を毒殺する奴がいるなどと信じてくれるわけがない。


 生き残ったルドが料理人であることも不運に輪をかけていた。他人から見れば、ルドが作った料理を食べて他の家族が死に絶えたように見えてしまう。

 人は信じやすいもの、信じたいものを信じる生き物なのだ。


(すぐには店を再開できそうにないな。兄さんはどうするつもりだろう?)


 この場所での営業をあきらめて他の町に移るか? それとも時間をかけてでもこの場所にこだわるか?

 すぐに結論が出せる問題ではないように思われた。


(兄さんが店を再開する時には、及ばずながら手伝おう)


 料理人としては半人前で終わってしまったが、店の手伝いくらいならできるはずだ。生活魔法が役に立つだろう。

 そう思って広くもない店を見渡すと、床のところどころに埃が溜まり始めていた。


(人が入らなくても埃はたまるんだな。どれ。掃除魔法でもかけるか)


 詠唱もなしに術式を発動すると、床面をさっと風が動き、埃がころころとした玉にまとまった。ブドウの粒ほどのそれを拾い上げようとかがみ込むと、床板の隙間がキラッと光った。


(何だろう?)


 顔を近づけてみると、どうやら短い針が床板の継ぎ目に挟まっている。飯屋に針とはおかしな組み合わせだ。


(誰かが繕い物でもしたのだろうか?)


「ステファノ、どうかしたのケ?」


 複雑な思いがあるだろうとステファノをせかさず見守っていたヨシズミだったが、床板に顔を近づけた姿を見て声をかけてきた。


「あの、妙な物を見つけたもので……」

「何だッペか?」


 手袋を外し、爪の先を使って摘まみ上げてみると、縫い針にしては妙に短く細い針だった。どちらかというと「しん」に似ている。


(そうだ。糸を通す穴がない)


 尖っていない方の端はつるりと丸まっていて、縫い針が途中で折れたものとは明らかに違う。


「ステファノ! 手を動かすんでねェ!」


 目を凝らしてステファノの指先を見つめていたヨシズミが顔色を変えた。


「そいつは吹き針だ! 毒が塗ってあっかもしンねェ!」

「えっ!」


 驚いたステファノは針を取り落としそうになった。


「用心して匂いサ嗅いでみ」


 針に鼻を近づけてみると、かすかに青臭い匂いがした。


「これは……バジルの香り」

「おめェ、そいつは!」


『使ってもいないバジルの香りがしたような……』


 それは先程別れたルドが語った言葉。毒に冒された家族の吐しゃ物から漂った匂いのことだ。


「これが親父たちを殺した毒か? なぜここにある?」


 水に入れられた毒とつながりがあるはずだ。ステファノはそう考えて、毒針を布で包み道具入れにしまった。


「くれぐれも気をつけて扱えよ。そいつは殺し屋が使う暗器だッペ」

「殺しの道具……」


 ステファノは毒針を納めた腰の道具入れを見下ろして、息を飲んだ。


 ◆◆◆


住居こっち側はきれいに掃除サされてて、事件の名残は残っていねェナ」


 辺りを細かく見回った後でヨシズミは言った。そう言えば、この世界に迷い込む前は衛兵のような仕事をしていたのだったな。ステファノはぼんやりとその事実を想い出した。


 ヨシズミはテーブル付近の検分を終え、キッチンの竈に足を向けた。


「魔道具でなくて、ふつうの竈サ使ってたのケ?」

「はい。こっちにはほとんど帰ってなくて」


 家を出た息子と店を守る父親。親子の間には微妙な遠慮があった。昔気質の料理人として魔道具の竈を使いたくなかったのか。それとも家を出て行った息子に対して距離を感じていたのか。


 今となってはそれを尋ねることもできない。


「鍋釜の類はきれいに洗われているノ」


 汚れのない鍋肌は既に乾いていて、証拠となる毒の名残などは見られなかった。


「怪しいのは水瓶だということでしたけど……」


 見れば水瓶は空になっている。衛兵隊が中身の水を試したところ、確かに毒が入れられていることを確認したそうだ。

 科学捜査の概念が存在しない世界である。調べた後の水は既に「危険物」として処分されていた。


「現場保存なんて言葉もねェンだからなァ。証拠として残しとくなんて考えもねッペ」


 言いながらヨシズミは空の水瓶をのぞき込んだ。


「どうだッペ? 中まできれいに洗っちまってたらお終いだけット」


 瓶の口に鼻を突っ込むようにして匂いを嗅ぐ。


「んー、よくわかんネナ。ステファノ、おめェどうだ?」


 ヨシズミと場所を代わって、ステファノが水瓶の内部を嗅いでみた。


「ほんの少しですが、バジルの香りがします」


 目を閉じて嗅覚に集中していたステファノが顔を上げて言った。

 どうやら衛兵は水瓶の中身を捨てただけで、洗っていなかったようだ。


「やっぱりケ? よし。この瓶サ、ウニベルシタスまで持って帰ッペ」

「師匠、それよりもネルソン商会に持ち込んではどうですか? あそこなら毒の正体も調べやすいでしょう」

「なるほどナ。本職に聞くのがよさだナ」


 2人はルドの許しを得て、水瓶を持ち出した。縄をかけ、ステファノが釣り下げて空輸することにした。


 サン・クラーレでの調査結果をネルソンに遠話で報告し、ヨシズミとステファノはまじタウンに向けて飛び立った。

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