第653話 これがバンスさんの墓だ。
サポリからサン・クラーレまでは馬車なら10日の距離がある。
ヨシズミとステファノが飛行して時間を短縮しようとしても、1日中飛び続けることはできない。
2人は日のある間に飛行し、夜は地上で休憩するというサイクルで一路サン・クラーレを目指すことにした。
もちろん食事や用便は地上にいる間に済ませる。それ以外に、杖術の稽古時間も1日の内に設けていた。武術の鍛錬は続けてこそ意味がある。1日休めばその分後退するとヨシズミは考えていた。
(こんな時だからこそ、考えすぎない方がいい)
ヨシズミが1時間の稽古を日々のスケジュールに組み入れたのは、そのような考えもあってのことだった。
急いだところで4日の行程を3日に短縮することはできない。これ以上無理をすれば飛行中に意識を失って墜落する危険がある。
ステファノもヨシズミの配慮を十分理解していた。
初日は焦りに突き動かされていたが、夕方ヨシズミと杖を交えて稽古を行うことで心を鎮めることができた。どれほど心を悩ませていようとも、杖を構えれば一振りの動きに没入することができる。
武術とは「目の前の敵を打つ」、ただその一事に全身全霊を傾けることだった。
初日の稽古を終わる頃には、ステファノは深く落ち着いた呼吸を取り戻していた。
(イドの流れが整ったナ)
汗を拭きながら息を整えるステファノの姿を見て、ヨシズミは静かに頷いた。
(どうしてこうなったと思い悩んでも、過去は変わらねェ。考えるべきは「今何を為すべきか」だ。ステファノよ、悩みは捨てろ! そして、為すべきを為せ。そこに道はある)
4日めの夕暮れ前、2人はステファノの実家であるバンスの店にたどり着いた。
◆◆◆
「10日前に葬儀は済ませた。親父は墓の下だ」
「うん。場所を教えてくれ」
兄のルドがステファノたちを迎えてくれた。1人命を取りとめたのは4人の中で一番体力があったせいだろうか。それでも、まだ中毒の後遺症が残っており、呼吸は浅く、脈も弱い。
少し歩くだけでめまいを起こすので、墓の場所までは知り合いのトニーに案内してもらった。
「これがバンスさんの墓だ。右隣がエリカさん母娘の墓石だ」
丘の上の共同墓地に真新しい土盛りが2つ並んでいた。子犬くらいの大きさの自然石がそれぞれ乗せられている。石の表面には名前さえ掘られていない。
変哲もない石と父親の顔を結びつけることができず、ステファノは戸惑いに顔を歪めた。
「ふう」
思い出したように息を吐き、今度は静かに息を吸う。父親がある日、石になるとは思わなかった。
戸惑いを感じつつ、ステファノは頭を垂れて黙とうをささげた。
バンスへの祈りが終わると、今度は兄嫁母娘に黙とうをささげる。ヨシズミはその後をついて、ひっそりと手を合わせた。
「案内ありがとう」
ステファノは傍らに控えていたトニーに礼を言った。トニーとは幼なじみといってもよいが、さほど親しくしていたわけではなかった。
こんな時、お互いに何を言ってよいかわからない。
「いや……」
気にするなと言うのも気まずく思われて、トニーは言葉の途中でぎこちなく頭を下げた。ステファノもそれ以上重ねる言葉もなく、同じように頭を下げて丘を下りるしかなかった。
土を踏む足音がやけに耳についた。
実家には長居したくないというルドの希望で、ステファノたちは少し離れたルドの家で話を聞かせてもらうことになった。
片づける人のいない家の中にはエリカとテラの気配が残っている。それはそれでつらいのだろうが、3人が死んだ実家の方にはいたたまれないのだろう。
「水しか出せないが、勘弁してくれ」
動こうとするステファノを手で制して、ルドは2人に水を出した。
「医者の話では、体は動かした方がいいそうだ。元通りになるかどうかはわからんが、暮らしていくには問題ないだろうとさ」
「そう」
それは良かったと相槌を打つこともできない。父親と妻子を失い、ルドは1人で生きていかなければいけない。
ルドが為すべきは「生きること」であった。
ステファノの問いに答える形で
「毒が入っていたのは水瓶だったんだね?」
「ああ。朝の内にくんでおいた水に毒を入れられたらしい。今思うと、少うし料理にえぐみがあった気がする」
あの晩のことを何度も考えたのだろう。痛みをこらえるような表情でルドは言った。
「エリカさんたちはいつ頃から実家に来ていたの?」
「料理の準備があるからな。3時頃から実家にいたらしい」
そうすると、犯人は朝の9時頃から午後3時頃までの間に実家に侵入して毒を仕込んだことになる。
しかし、昼間は誰もいない無人状態だ。犯人の姿を見たものはいなかった。
表の「飯屋」部分と裏の居住部分は扉1つで仕切られている。とはいえ、人1人が出入りしたくらいでは表にいたバンスたちが気づくことはなかった。
(旦那様の見立てでは、殺し屋の仕業だと言うしな)
侵入者は気配を消していたことだろう。
「毒の症状は? どんな感じだった?」
家族の命を奪った毒だ。目の前で見た苦しみを想い出すのはつらかろうが、毒の種類を推しはかるために必要な情報であった。
「だんだん胃の腑が焼けるように熱くなって……、それから吐き気がしてきた」
「実際に胃の中身を吐いたんだよね?」
「ああ。吐いた中には血が混じっていたな」
「胃から出血があったんだね。色とか臭いはどう? 変わったところはなかったかい?」
ステファノの問いにルドは目を閉じて眉を寄せた。みぞおち辺りを抑えているのは、あの時の苦しさを思い起こしているのか。
「何でだろう……。使ってもいないバジルの香りがしたような……」
「料理にバジルは入っていなかったんだね?」
ステファノの目がすっと細められた。
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