第632話 魔術発動体は既に手の内にある!
イデア界に接点を持ち、魔法行使に距離の制約を受けないステファノには、土魔法での標的破壊は簡単な課題だった。問題は破壊できるかどうかではなく、「どの方法で破壊するか?」という方法論だ。
しかし、キケルの方はそうはいかない。
20メートル先の標的を直接魔術の対象にはできないのだ。
「どっちだと思いますか?」
「何を飛ばすか、かね?」
ドリーはキケルが取る攻略手段をどう予想するか、マランツに問いかけた。
手が届かず殴れない物を破壊するには、何かを投げつけてやればいい。
魔術発動体を飛ばすか? それとも術で武器を飛ばすか?
キケルはそのどちらかを選ぶのだろうと、マランツは予想していた。
試射位置についたキケルは右こぶしを左手で包む拳法家のようなポーズで佇んでいた。その目は閉じられ、唇は小さく動いて無音で呪文を唱えている様子だった。
「投げる様子がない?」
「うむ。発動体にしろ武器にしろ、手に持たぬことには術を使えぬじゃろうに」
ドリーたちは動きを起こさぬキケルの様子に当惑した。
(いや、魔術発動体は既に手の内にある!)
ステファノの魔視は
握った右手の中からするすると水平に伸びた髪よりも細い糸。
肉眼で視認できなくとも、それに籠められたイドを第3の目が見逃さなかった。土魔術に支えられて水平に伸びる「糸」は、ついに標的まで到達した。
閉じられていたキケルの両眼が、かっと見開かれた。今までとは比較にならない密度のイドが
「鋼線か!」
ドリーの蛇の目がイドのうねりを知覚した。彼女の目にも宙に渡された細い線がまばゆく輝いて観える。
「押しつぶせ! 竜の手!」
ガボン!
低い音を立てて鋼線が触れた鎧の前面が陥没した。胸部装甲部分が背中まで凹んだ。
それがキケルのイメージなのだろう。鎧は爬虫類の手形を押されたように潰れていた。
「ほう。よく考えた工夫じゃな。目に見えぬ細さの鋼線を標的まで伸ばすとは」
「暗殺術としても、遠距離武器としても使えるわけか。応用が利く技だな」
ドリーは別の術への応用をも想像して言った。土魔術だけではない。雷魔術の実行手段としても役立つに違いなかった。
(とはいえ所詮20メートルが限界だろうがな)
それ以上の長さの鋼線を作るのは難しく、使いこなすにも無理があった。20メートルの鋼線は一流の職人が数カ月の時間を費やして、こつこつとたたき出したものだ。材料はただの鉄だが名剣に匹敵する価値がある。
操るキケルの方も、20メートルの鋼線全体を土魔術で支える術式を維持しなければならない。これもまた大変な集中力を必要とする技であった。
(さて、次はステファノの番だが、どういう術式を使うつもりだ?)
ステファノなら鋼線など使わずとも、魔法の遠距離行使ができる。
術の範囲ももっと広いはずだ。
「行きます。生活魔法、『麺打ち』!」
またもや標的の真下に魔法円が輝いた。
ステファノは標的の上下に手のひらを置いて、標的を挟みつけるように両手を動かした。
「麺打ち」とはステファノが工夫した調理用魔法だ。土魔法の本質である重力を操り、小麦粉などをこねた生地を押し伸ばす技である。
これを鎧の上下から同時に使い、ステファノは鉄鎧を容赦なく圧縮した。
ガゴゴゴゴ、ガコン。
鉄鎧はアイロンをかけた布のように、平たく潰れた。
ドスン!
ステファノが術を解くと、
「さすがだな。これでは勝負にもならん」
土魔術については最初からステファノの勝利を予測していたのだろう。悔しさも見せずにサレルモ師がステファノの手練を称賛した。
「ハンニバル師との土魔術合戦を見てみたいものだな」
サレルモ師は「
「とんでもない! 俺などではとても太刀打ちできません」
ステファノはぶんぶんと手を振って、サレルモ師の言葉を否定した。
ハンニバル師は常に剣呑な雰囲気を身にまとっている。あの人と技を競うなど、冗談でも勘弁してもらいたかった。
これまでの試射で、標的の鎧はその都度つけかえられている。特にステファノの標的は原型を留めぬほどに破壊されているので残骸をかたづけるのも大変だった。初めから鎧ではなく、鉄板を的として使用すべきだったかもしれない。
(何だかもったいないな……)
そうは言いつつ手加減するわけにもいかない。ステファノは頭を振って、次の「光属性試射」に気持ちを切り替えた。
(光魔法か。これが一番難しい)
「最後は光属性だな。何を見せてくれるものやら」
ドリーはこの種目を楽しみにしていた。光属性には自らが編み出した秘術がある。
「『光龍の息吹』なら鉄鎧を切り裂く威力があるが……」
ドリーはちらりとステファノに目を向けた。
「それではつまらないと思っているのだろうな、お前は」
ステファノは、じっと標的を見つめたままだった。
「光龍の息吹はすさまじい術じゃが、あれ以外に鉄鎧を貫く光魔術があるかね?」
光魔術こそ生活魔術にふさわしい術とも言えた。攻撃に用いても目くらまし程度の効果しか見込めないためだ。
パルスレーザーにまで調整して威力を高める光龍の息吹は、例外中の例外だった。
ウニベルシタスに身を置くマランツだが、他にそんな光魔法を見たことはなかった。
「そんな術はない――今までは。だが、ステファノがここにいるからな」
「あれは、何か考えている様子じゃの」
5人目の魔術師は若い女性だった。リリムと呼ばれた彼女は道具も持たず、手ぶらで試射位置についた。
「光に威力さえ持たせられるなら、遠距離でも術を使えるだろうが……」
興味深く見守るドリーの視線の先で、リリムは左手を持ち上げた。
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