第631話 ルールの隙を突かれたか……。
「えーと、属性は水しか使いませんが、イドを補助に使わせてもらいます」
「イドとは確か気功のことだったな? ならば良いだろう」
ステファノはサレルモ師に断りを入れた。イドは属性でも魔力でもない。魔術を使う時もイドを練るところから術が始まるわけなので、本来は断るまでもないことだった。
サレルモ師は若干戸惑いながらそれを許した。
「イドを補助にな……。面白そうだ」
あのステファノが当たり前の使い方をわざわざ断るわけがない。何をやらかしてくれるのか、ドリーは期待を更に大きくした。
(サレルモ師が仰天する表情が楽しみだ)
「では。生活魔法、
先程と同じように両手で作った三角形をのぞき込むようにして、ステファノは魔法を発動した。
「む、またか? どうなった?」
上級魔術師であるサレルモ師にはステファノの
やはり、標的の足元に魔法円が光り輝き、太極玉が回転している。
(何が起きている? むっ?)
鎧の表面が白く曇り、凍り始めていた。
「凍結か。だが、相手は鎧だぞ?」
サレルモ師は眉毛を寄せて、不信の念を漏らした。
凍らせたところで鎧には何のダメージも入らない。生物とは違うのだ。
40メートル彼方に冷気を生じる術は見事だが、それは評価の対象にはならない。
「これでは勝負にならんな。勝者は――」
ビキィイイン……。
耳障りな金属音が響き渡った。音はステファノの標的から聞こえていた。
「ひび割れが……!」
氷が張った鎧の胴が横にひび割れていた。
ビキッ、バキッ! ギギギ、バガッ!
見ている間にひび割れは広がり、鎧は上下真っ二つになって地面に落ちた。鎖にぶら下がった上半分からバラバラと氷の欠片が落ちてくる。
「鎧の中に氷がっ……!」
割れた断面から、鎧の内部にみっちりと氷が詰まっているのが見えた。
「そうか。鎧の内側に氷を作って、それを成長させたのか!」
いくら鎧を凍らせてもダメージは通らない。ステファノは冬の朝に大地を持ち上げる霜柱をイメージした。
限られた空間に水を取り込んで凍らせ、体積を膨張させる。その力なら鉄を割ることもできる。
「だが、どうやって氷を閉じ込めた?」
鎧は上下に口が開いている。氷を成長させても、開口部からはみ出してしまうと内圧は上がらない。
『イドを補助に使わせてもらいます』
「そうかっ! 開口部をイドでふさいだのか!」
だが、それでは水が得られない。鎧の内部にあれほどの水分が含まれているはずはないのだ。
サレルモ師は鎧の断面をもう一度見た。
「空気管を通しただと!」
鎧の内部空洞の中央に煙突のような空間ができていた。ステファノはイドの管を内部に通し、外気を取り入れながらその周りに氷を創り出したのだった。
もちろん人が鎧を着ていたとしたら、そんなことはできない。この標的、このルールだからこそ成り立つ術式であった。
「勝者、ステファノ! くっ! ルールの隙を突かれたか……」
公平であるべき審判の立場で、思わずサレルモの口から愚痴がこぼれた。
「変わった術だ。ステファノが使うのを見るのは初めてじゃが……」
「恐らく今思いついた技でしょう。見たことがないのは当然です」
ステファノの不思議な術を見て、身内であるマランツが当惑していた。それをステファノが使う魔法を熟知したドリーが肯定した。
「ぶっつけ本番であの威力か?」
「それでもあれは『生活魔法』なんです。ステファノめ、この勝負は生活魔法で押し通すつもりか?」
ただ威力を求めるのであれば、標的の上から巨大な氷塊を落としてやれば済んだ。だがステファノはそれをしなかった。
わざわざ「製氷蔵」の魔法を改造し、氷が膨張する力を利用して内側から標的を破壊して見せた。
「先程の鍛冶魔法といい、今の製氷魔法といい、あいつは対人戦闘魔法を使っていない。『鎧を壊す』という課題に合わせて生活魔法をアレンジしているんです」
それが「不殺」という信条を奉じたステファノの戦い方だった。
「逆に恐ろしくなるな。生活魔法であれ程のことができるとは」
マランツは改めて魔法の奥深さに身震いした。
「ステファノだからできることだ。距離を超越し、得たい事象だけを結果として呼び出す。上級魔術などより余程凄まじい」
身近にいたからこそドリーにはステファノの異質さがわかる。おそらくこの場にいる誰よりもその意味を知っていた。
「次は風属性だ。スグリ、出ろ」
サレルモ師に促されて前に出たのは、小柄な中年男性だった。
「あの筒で何を飛ばす気かな?」
マランツが目に留めたのはスグリの身長よりも長い、鉄製の筒だ。相当な重さがあるはずだが、ずんぐりとした体躯に丸太のような腕をしたスグリは、ふらつきもせず支えていた。
「耳をふさいでください」
スグリはぼそりと言うと、鉄の筒を肩の上に載せて標的に向けた。
「枝を震わせる風よ、板戸を叩く風よ。細く、長くため息をつけ。耳に聞こえぬ歌を載せよ。滅びの鈴を鳴らせ!」
ピィイイイ――。
蚊が飛ぶようなかすかな音が見守る人々に聞こえてきた。音はだんだんと大きくなりながら、高く、更に音程を上げていく。
イイイイ――。
モスキート音は標的から聞こえていた。音が大きくなるにつれ、鎧の輪郭がぼやけていく。
コォオオオ――。
モスキート音が消え去るのと入れ違いに、鐘の余韻のような唸りが立ち上がった。鎧のブレが大きくなり、生きているようにうねり出す。
ゴォオオ、ギィイイイ――。
鎧から発する金属音がより硬質なものに変わり、音程を高め、やがて蚊の羽音に帰っていく。
ィイイイ――ン。ボゴッ! バリッ!
鎧の胸部にこぶし大の穴が開き、小石のような破片が地面にこぼれ落ちた。
「うっ!」
鉄筒を構えていたスグリがうめき声をあげ、筒を取り落とした。見れば、筒先が赤熱していた。
「音は振動。振動は熱」
そこまでを見ていたステファノがぽつりとつぶやいた。
「ふむ。似たような話を聞いた覚えがあるな。あれは拡声器を作った時だったか?」
風魔術とは風を起こす魔術ではない。ステファノはそう言ったはずであった。
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