第629話 生活魔法、『鍛冶屋の竈』!

 試射場に集まった魔術師協会のメンバーたちはステファノの一挙手一投足に注目していた。協会長でもある上級魔術師サレルモとほぼ互角に渡り合った男が目の前にいる。どんな術を使うのか、見逃すまいと目を凝らす。


 多くの人間にとってステファノは初めて見る術者だ。どこにでもいそうなあか抜けない若者は、今からどんな術を使うのか? どんな詠唱を行うのか? どのような魔術発動体を用いるのか?


 試射場の期待と緊張が高まり切った時、ステファノはすっと両手を前に上げ、手のひらを前方に向けた。

 両手の親指と人差し指で三角形の窓を作り、その中に標的の鎧を納めた。


「生活魔法、『鍛冶屋のかまど』!」


 鋭くそう叫んだが、ステファノの手から炎は飛ばなかった。


「何だ?」

「失敗か?」


 観衆がざわざわと騒ぎ始める中、サレルモ師は標的のに気づいた。


「何だと! 鎧がっ!」


 つるされた金属鎧の真下に魔法円が出現していた。光る円の中に描かれたのは六芒星ではなく二つ巴の太極玉だった。陰陽二極が互いを追ってぐるぐると回転して溶け合っていく。


 そして鎧は全体に赤く色づき、急速にその色を濃くしていった。やがて白い光を発し始め、オレンジから純白に色を変えた。

 その頃には分厚い金属鎧は飴のように変形し、どろどろと地面に流れ落ち始めた。


 ぼたっ!


 鎖が切れ、溶けた鎧が地面に落ちた。なおも鉄は溶け続け、大地に広がって元の形もわからなくなった。


「――こんな感じです」


 ステファノは術を解くと、両手を下ろして振り返った。


「どういうことだ? 術のからくりを聞いてもよいかね?」


 静寂を破ってサレルモ師はかすれ声で尋ねた。


「はあ。別に隠すようなものではありません。今のは『鍛冶屋の竈』という生活魔法です」

「アレが生活魔法だと?」


 今見た術の威力と目の前にいる純朴な若者との釣り合いが取れない。直接手合わせをしてステファノの実力を知っているにもかかわらず、サレルモ師は強い当惑を覚えた。


「普通の竈は煮炊きができる熱があれば十分なんですが、鍛冶屋の竈は鉄を溶かすだけの熱量が必要です。今のはそれを起こしてやっただけです」

「いや、待て! あの距離だぞ?」


 魔法の何たるかを知らないサレルモ師は我にもなく混乱した。

 炎を省略したところまではまだよい。彼女の上級魔術「シヴァの業火」も炎を省いて高熱を直接呼び出す術だ。


 しかし、40メートル離れた物体を対象にすることなどできない。ステファノの遠隔魔法は、サレルモ師の常識にはない術だった。


「距離は本来魔法の制約事項ではありません。イデアの認識ができれば、どこにあろうと術の対象とすることができます」


 通常、離れたものをイデアとして認識するのが難しいだけなのだと、ステファノは言う。


「お前が言うことはわけがわからん。あんな術は……異常だ」


 サレルモはメシヤ流魔法の現実を前にしてたじろぐ。自らの常識を覆す現象を見せられ、それでも伝統的魔術にしがみつかずにはいられない。

 長い年月をかけて積み上げてきた技術であり、それこそが自分を支える基盤なのだ。


「うーん。やっぱり言葉で説明するのは苦手ですね。いくつか術を見てもらえば魔法のありようが何となくわかってもらえるかもしれません」


 魔術界の常識を覆す遠距離高熱魔法を駆使したはずの男は、気まずそうに頭をかいた。

 地面に広がる溶けた鉄――先ほどまで鎧だったもの――とステファノとの対比が異常すぎる。どうにもその2つが結びつかないのだった。


「サレルモ師、戸惑うのも無理はない。メシヤ流でもこいつは異端なのだ。細かいことは一旦置いて次の試射に進もう」


 ドリーはサレルモ師を慰めるように話しかけた。彼女としては「同類相哀れむ」という心境だった。

 ステファノの被害者として。


「……そうだな。次は水属性だ。ミライ、用意をしろ!」


 進み出たのは若い女性だった。短い茶髪だけ見ると少年のようだが、体の線を見れば間違いなく女性だとわかる。

 細めに開けた伏し目がちな目からは、どんな感情を抱いているか読み取れなかった。


「水属性か。鉄鎧を狙撃するにはあまり向かんのじゃが、どうするつもりか?」


 ぽつりとマランツが呟いた。


 火属性にはそれだけで対象を燃やす攻撃力がある。当てさえすればなにがしかのダメージは通るのだ。

 しかし、水ではそうはいかない。対象が生物ならともかく、鉄鎧にダメージを与えるにはただの水では無理だった。


「普通なら土属性で圧縮して吹きつけるところじゃが」

「それでは複合魔術マルチプルになってしまうからな」


 単一属性での試技と条件が付けられている。相応の工夫がなければ、この場に立つことはできないはずだった。


「氷よ! ここに集いて的を撃て!」


 ミライは腰の鞘から短剣を抜いて、標的目掛けて投げつけた。


 ゆるく回りながら飛ぶ短剣はたちまち氷をまとい、一抱えの氷柱に育った。


 ドガッ!


 氷柱のとがった先端が鎧の胴部分に音を立てて突き刺さった。穴こそ開いていないが、鉄板を大きく凹ませたのだ。氷柱を中心に鎧の表面を氷が覆っていった。


「短剣を発動体にしたか。見事な技じゃな」


 マランツは短く称賛の言葉を贈った。短剣の投擲と強力な水魔術がぴたりと重なっていた。厳しい修行を経たとうかがわれる手練の技であった。


「確かに。20メートルの的に短剣を当てるだけでも至難の業だからな」


 自身も短剣を使うドリーが頷いた。


「さて、ウチの異端児はどんな水魔法を見せてくれるのかな?」


 標的に向かうステファノの背中を見て、ドリーは口角を上げた。

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