第584話 酒を飲む奴は全員馬鹿に決まっている。

「勝手はお互い様だ。学友に断りもなくアカデミーを辞めてあだ討ち旅に出たのだからな、お前は」

「……酒など要らん」

「それでは残念会にならん。いいからつき合え」


 渋るクリードに、ドリーはグラスのワインを押しつけた。


「酒の飲み方など知らん。飲んだことがない」

「奇遇だな。わたしもだ。知らん同士で飲み比べだ。まさか逃げんよな?」

「何をくだらん……」


 ぶつぶつ言いながらクリードはグラスに口をつけた。


「ははは。しみったれた奴だ。酒とはこう飲むもんだ」

「おい!」


 クリードに見せつけるように、ドリーはグラスのワインを一気に飲み干した。


「ふう、わたしは飲んだぞ。お前はどうする?」

「何を、こんな物」


 2人とも食事酒としてワインを飲むことがあるが、がぶ飲みしたことはない。それでも飲みなれたワインには抵抗感がなかった。

 たちまち瓶1本が空になる。


「よし! グラッパを持ってこい!」

「おい、ドリー!」


 グラッパはワインを作る際に出たブドウの搾りかすを原料にした蒸留酒だ。アルコール度数がワインの4~5倍ある強い酒であった。


「うじうじするな! そんなことだから、かたきを討ちそこなうんだ!」

「お前、いい加減にしろ!」

「本当のことじゃないか! いいから飲んで、何もかも忘れてしまえ!」

「ドリー、お前……」


 クリードは目の前のグラスに縁まで注がれたグラッパを、じっと見降ろした。覚悟を決めるように顎を引くと、グラスを口に運び、一気にあおった。

 アルコールがのどを焼き、クリードは思わずむせ返った。


「ぐふっ! ゴホッ、ガホッ!」

「わはは! よし、わたしも負けん!」


 ドリーもグラスをわしづかみにして一気に飲み干す。


「かはぁーっ! 効くなあ、こいつは」

「糞! 馬鹿な飲み方だ」


 むせた拍子に口から垂れたよだれを手の甲で拭い、クリードが吐き捨てた。

 歯をむいて唸っていたドリーは、両方のグラスを満たし直した。


「かっ、はっ。酒を飲む奴は全員馬鹿に決まっている。馬鹿なことを言うな、馬鹿なことを」

「お前の酒癖がこれほど悪いとは知らなかった」

「悪くなるのはこれからだ」


 にやりと口を歪め、ドリーは2杯目のグラッパをのどに流し込んだ。


「がぁー。胸が焼ける。亭主、つまみになりそうなものを2つ、3つ持ってきてくれ!」


 どうやら本気でつぶれるまで飲むらしいと、クリードもようやく覚悟を決めた。


「この9年、お前の方は何をしていた?」

「わたしか? アカデミーを卒業してから、剣と魔術を修行しなおした。ここ3年はアカデミーで魔術指導教官を務めていたよ」


 運ばれてきた料理に手をつけながら、ドリーは自分の過去を語った。


「相変わらずだな。今も上級魔術師を目指しているのか?」


 アカデミーに在学していた頃、伯父であるガル老師のような上級魔術師となることがドリーの目標であった。そのための努力を惜しまず、周囲にも望みを公言していた。


「……少し違うな。もっと大きなものを目指している」

「上級魔術師よりも大きな夢だと?」


 王国随一の魔術師よりも上を目指すとは。


「大きな口を叩くものだ」


 鼻で笑いながら、クリードはグラッパをあおった。のどが馬鹿になり始め、きつい酒が抵抗なく腹に落ちていく。

 ああ、これはダメなやつだと頭の片隅が警鐘を鳴らすが、クリードは耳をふさいだ。


「上級魔術師になる方法ならもう知ってしまった。今更興味はない」

「何だと? どこでその知識を仕入れた――まさか?」

「ステファノさ。あいつは既に上級魔術を使いこなすぞ」

「信じられん。どういうことだ?」


 1年前、クリードが出会った時のステファノは機転が利くというだけの少年だった。ただの飯屋のせがれ、どこの田舎にでもいる存在に過ぎなかった。

 たった1年で何があったというのか?


「あいつの周りには優れた師がいる。魔法を教えた師は世に埋もれた達人だ。彼もまた上級魔術を極めている」

「上級魔術師を育てる方法があるとでも言うのか?」


 上級魔術師とは神に選ばれし存在であり、人の手で育てることはできない。それがこの国の常識である。

 そうではなく、人の手で、しかも短期間に育成できるとしたら――。


「もし本当なら国を取り巻く軍事バランスが変わる」

「メシヤ流魔法という」


 火酒を飲んでいるにもかかわらず、クリードの顔が青ざめていた。ドリーはクリードが受けた衝撃などおかまいなしに、メシヤ流の名を告げた。


「その気になれば、彼らはそこらを歩く人間を連れてきて上級魔術師に育て上げることができる。おそらくはあっという間にな」


 ドリーの言葉は酔いが回り始めたクリードの頭に、歪んだ鐘の音のように鳴り響いた。


「そんなこと――あって良いのか? 下手をすれば国が亡びるぞ」

「その通りだ。だから、彼らはそうしない。代わりに生活魔法を広めるそうだ」

「生活魔法? なぜそんなくだらないことを……」


 お前もそう思うのだな。憐れむようにクリードを見るドリーの眼が、そう語っていた。


「まあ飲め。1年前はわたしもそう思っていた。生活魔術などくだらないとな」

「今は違うのか?」

「くだらないのはわたしとお前の方だ。いいや、世間全体というべきかな」


 ドリーは自分のグラスを満たし、今度はゆっくりとグラッパを味わい始めた。


「これから数年で世の中が変わるぞ。どうでも良い過去など忘れてしまえ」

「どうでも良いだと? 貴様、何を言うか!」

「落ちつけ。ご家族のことを言ったのではない。かたき探しも浪々の旅も忘れてしまえと言ったのだ」


 食ってかかろうとしたクリードだったが、ドリーの眼に浮かぶ悲しみに似た色に勢いを削がれた。

 ドリーはその様子を見て、言葉を続けた。


「戦争が終わり、新しい時代が始まる」

「戦がなくなったら何が始まると言うのだ」


 戦争の後には平和が来るのではないのか。それもつかの間の。

 クリードの常識ではそうとしか思えなかった。


「復興だ」

「それは……」


「ルネッサンスと、彼らはそれを呼ぶ」


 ドリーの眼の奥に、酒の力ではない熱が籠った。

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