第583話 それを『信念』と言います。

「でも、その9年が無意味だったとは思いません。嫌いな仕事でも手を抜いたことはありません。魔法師として生きる今の自分の糧となっている。そうも思います」

「お前と俺では過ごした日々が違う……」

「もちろんです。過ぎた時が取り返せない以上、嘆いても意味がない。違いますか?」


 18歳のステファノと向かい合い、25歳のクリードが守勢に立たされていた。なぜ自分が引け目を感じなければならないのか、クリードにはわからなかった。


「過去を悔やんでも、自分を憐れんでも現状は変わりません。未来の道が開かれることもない。それこそが意味のない行動だと言ってるんです」


 ステファノの言葉は容赦なかった。クリードの現実逃避に指をさし、ぐいぐいと鼻先に押しつける。


「俺にどうしろと言うんだ?」

「どうも言いませんよ。酒でも食らって頭を空っぽにしたらどうですか? くだらないことを考えるより余程マシでしょう」

「……糞っ」


 クリードは椅子を蹴る勢いで立ち上がった。ステファノを睨んではいたが、飛び掛かることはなかった。

 一瞬何かを言いたげに口を開いたが、結局思い直して踵を返し、部屋を出て行った。


「厳しいことを言い過ぎたでしょうか?」

「いいえ。すべて彼自身が一番強く思っていることでしょう」


 終わってみればかたきを求める9年の歳月はまったく無駄なものだった。それは自分の手でヤンコビッチ兄弟を討ち果たしたとしても同じだったのだ。


「だが、クリードさんが追わなければ誰も兄弟を倒せなかったかもしれない。わたしたちはたまたま機会に巡り合っただけのこと」

「人生に意味を求めるのは無駄なことでしょうか?」


 ステファノは若者らしく性急に答えを求める。マルチェルはゆっくりと口を開いた。


「さて、どうでしょう。過去を振り返って意味を求めるのはむなしいこと。それよりも意味のある未来を求めて今を生きる方が有意義でしょう」

「意味とは未来に求めるべきもの――」

「過去を選ぶことはできません。未来には無限の選択肢がありますからね」


 過去、現在、未来。そのあり様をステファノはギフトの能力でその眼にしてきた。無限の可能性が交差する現在という点を誰よりも実感することができる。

 その彼にして、自分の人生を評価することは難しかった。


「お前は『行いが人の価値を決める』、そう教わったと言いましたね?」

「はい。旦那さまから」

「行いを決めるのは『意志』です。ならば未来を選ぶのも、人の価値を決めるのも、その者の意志といえるでしょう」


 マルチェルの言う通りだった。ギフトの行使、魔法の顕現たる因果の改変は、すべて意志の為せる業だ。

 それは誰よりも魔法師が知っているべき真理であった。


「正しい意志を持つこと。それを『信念』と言います。信念を得れば行動は揺るがず、不安は去ります」

「クリードさんが持つべきなのは信念だということですね」

「たとえば彼の願いがかたき討ちでなく、『犯罪の撲滅』であったなら、過去の9年間は信念に従った日々となったでしょう」

「同じ行動でも意味が変わるということですか?」


 結果が同じでも動機が異なれば行動の意味が変わる。ステファノはこれまでそんなことを考えたことがなかった。

 高い所から低い所へ水は流れる。世界とはそういう単純なものだと、心のどこかで考えていた。


「人が関わることで世界は初めて意味を持つのです。主観と客観。内面と外面」

「あるいは陰と陽――ですか」


 魔法とは人のあり方に深く関係しているのかもしれない。ステファノは改めて世界の複雑さと、人の不思議さをかみしめていた。


 ◆◆◆


 クリードがサントスの店を出ると、見覚えのある後姿が佇んでいた。


「お前は……」

「話は終わったようだな、クリード」


 振り返ったのは引き締まった体つきの女性剣士だった。


「ドリーか」

「久しぶりだな」

「なぜ、お前がここに……?」


 旅に疲れ、すすけた風貌のクリードに対して、ドリーは生命感にあふれていた。濁りのない眼差しがクリードにはまぶしく映る。


「ふん。けじめがつかないだろうと思ってな」

「けじめだと?」

「どうせかたき討ちをしそびれたと燻ぶっているのだろう?」


 図星を指されてクリードは口ごもった。早くその場を去る言い訳を探しているところに、ドリーは言葉をかぶせた。


「つき合ってやる。行くぞ」

「何だと?」


 一方的に言い放つと、ドリーは先に立って歩き始めた。呆気に取られたクリードだったが、勢いに負けてドリーの後ろについていくことになった。


「どこに行くんだ?」


 背中からクリードが問いかけても、ドリーは返事をしなかった。ただ、ぐいぐいと足を進めて通りから通りへ移動していく。


「ここだ」


 ようやくドリーが足を止めたのは、一軒の居酒屋の前だった。


「入るぞ」

「おい、どういうつもりだ?」


 呼びかけるクリードに答えず、ドリーは店内に入ると奥のテーブルに腰掛けた。


「亭主、ワインを瓶でくれ。お前もそれでいいな?」

「へい、ただいま!」

「おい、昼間から酒を飲む気か?」


 困惑しながら腰を下ろしたクリードはようやく店内を見回した。テーブルが3つとカウンターのある店内に、他の客はいなかった。


「飲む理由などわかり切っているだろう。お前の『残念会』だ」

「何だそれは?」

「かたきを討ちそびれて残念だったなと、慰めてやろう」

「何を勝手なことを!」


 クリードは口では食って掛かったが、顔はむしろそむけるように横を向いていた。

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