第571話 それが世の中というものだ。
「そうか。トゥーリオは死んだのだな」
ウニベルシタスに残っていたドリーは、ステファノの報告に目を伏せた。
それ以上、何を言ったらよいのかわからなかった。
「クリードさんに知らせる暇もなくて……。勝手なことをしたと怒るでしょうか?」
どこにいるかわからない相手に連絡する手段は、この世界にはない。探すとなれば1か月単位の時間がかかるだろう。
「これで良かったのだろう。連絡が取れたとして、『はい、かたき討ちをどうぞ』と言うわけにも……な?」
勝っても負けても、それはクリードの自己満足でしかない。「社会」にとっては人殺しのヤンコビッチ兄弟を排除できればそれで良いのだ。
命を奪うのは誰の手であっても構わない。
「ただ、皮肉なことではある。殺したいはずの人間に機会が回らず、殺したくない人間が手を下すことになるとはな」
世の中は思惑通りに行くものではない。そんなことはドリーも知っていたつもりだったが……。
「現実を見ると、凹まされる」
ドリーは大きなため息をついた。
「すまん。愚痴を言ったな」
ドリーの中にも迷いがある。もうかたき討ちなど要らないのだと、クリードの肩を抱いてやりたい気持ちと。
魔法と言う新理論の探求に身を投じたい気持ちと。
ルネッサンスという大義を支える力になりたいという気持ち。
それらはすべてドリーの本心であり、彼女の本質、その一部であった。
「やりたいことと、しなければいけないこととは違うんですね。それがわかりました」
「そうだな。それが世の中というものだ」
2人は互いに目を見て、そこに同じ痛みがあることを知った。
王都の口入屋と衛兵詰め所にはクリードへの手紙を送ってある。
それとも、お尋ね者が討伐されたことを風の便りで知ることになるか……。
「クリードさんにはかたき討ち以外にやりたいことはないのでしょうか?」
「クリードのやりたいこと、か」
ステファノ流に言うならばクリードにとってのかたき討ちは「しなければいけないこと」だったはずだ。他にやりたいことはなかったのか?
せめてそれがクリードの救いになってくれないかと、ステファノは願った。
「アカデミー時代のクリードはひたすら剣の道を志す少年だった」
幼いころから
「家族を失ってからの彼は復讐のために剣を磨いていた。しかし、それは剣の道とは違うものだ」
武術は所詮人殺しの技術だとはいえ、術理にそれを含むことと、殺人を目的に剣を振ることとの間には決定的な違いがある。
目覚めている時間のすべてを人を殺すことに捧げる生活を人生と呼べるわけがなかった。
「剣の道、本来目指すべき道に戻ってくることができれば、クリードも人生をやり直せるのではないか」
願望を籠めて、ドリーはそう言った。そうあってほしいと心から願った。
◆◆◆
ウニベルシタスの開校に向けて、ステファノが一番時間を割いたのがマランツ師とのすり合わせだった。
「俺が習ったのはメシヤ流魔法なんで、世間一般の魔術習得方法とはだいぶ違うと思います。良かったらマランツ流のやり方を教えてもらえませんか?」
「言葉で説明することはできるが、実演はできんぞ」
マランツはそう前置きして、魔術修行の初歩について語り始めた。
「魔力が練れるようになったら、まず使える属性を見極める」
「アカデミーでもそうしていました。担任の先生は魔力を目で見て、見極めていたようですが……」
ステファノは「魔力操作初級」の授業を思い出していた。ディオール先生は生徒が呼び出した魔力の属性を言い当てていた。
「うむ。だが、皆が皆魔力を見極める目を持っているわけではない」
「やっぱりそういう人は少ないんですか?」
「多くはないな。魔術師協会とアカデミーに集中しているので、世の中に出れば滅多に見ない」
魔力視のギフト持ちか、魔力制御の熟達者でなければ魔力を見極めるのは難しい。マランツ自身は後者のタイプだった。
「魔力視ができない時はどうするんですか?」
「その場合は多属性持ちの魔術師が必要になる」
被験者の魔力を立会人の魔力で包み込むと、「魔力の干渉」が起きる。同じ属性の魔力を重ねると、「魔力の共鳴」が起きるのだと言う。
「属性が食い違うと立会人の魔力が抵抗を受ける。共鳴により強められる属性が被験者の得意属性ということじゃ」
「ふうん……」
ステファノが経験から導き出した知識で言えば、「魔力に属性は存在しない」。呼び出しやすい因果が存在するだけであった。
「言ってしまえば、立ち姿のバランスのようなものでしょうか? まっすぐ立っているつもりでも、人間は立ち方に癖がありどちらかに傾いているものでしょう」
「お前は魔力属性はただの『癖』だと言うのか?」
マランツはステファノの語る言葉をかみしめるように考え込んだ。
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