第570話 俺は大丈夫です。

「ミケーレはわたしが殴り殺しました」


 マルチェルの一撃はミケーレの心臓を正確に打ち抜いた。拳は肉体の表面を打っただけだが、衝撃は浸透し、心臓を押しつぶして鼓動を止めた。


「生き残りは御者台にいたナチョスと、座長のゴダールの2人ですね。ゴダールはそこら辺に埋まっているでしょう」


 潰れた屋根や壁を押しのけてみると、気絶したゴダールが現れた。

 ステファノがゴダールを縛り上げている間に、マルチェルは街道に転がっていたナチョスを引きずってくる。これもステファノが後ろ手に縛り上げた。


 そうする内に後から町を出発した5人の鴉たちが追いついてきた。大破した馬車を応急修理させ、捕獲した2名と3つの死体を積ませる。


「このまま立ち去るわけにもいきませんね。ステファノ、我々も町に戻りましょう」


 死人が3人も出ている。衛兵隊に事情を詳しく報告しなければならないだろう。


「馬車が一杯なので、我らの騎馬に分乗してください」


 鴉の1人にそう勧められたが、マルチェルは顔をしかめて断った。


「馬は性に合わん。我々は自分の足で歩く。――いいですか、ステファノ?」

「ああ、はい。わかりました」


 車軸のいかれた馬車に騎馬の歩調を合わせねばならない。それでも並の人間が小走りになる速さなのだが、マルチェルとステファノは遅れることなく歩き出した。


「ギルモア家の紋章があるので囚われはしないでしょうが、事情を説明するのは少々面倒ですね」


 風を切って歩きながら、マルチェルは世間話でもするようにそう言った。


「ヤンコビッチ兄弟を殺しただけならまだしも、女が1人死んでいますから」

「ゴダールに証言させれば、テレーザを殺したのはトゥーリオだと信じてくれるのでは?」

「そうですね。奴が生き残ってくれたのは幸いでした」


 帰りついた町は大騒ぎになった。馬車をぶち壊した上に3人死んでいる。一体何が起きたのかと、衛兵隊が色めき立った。


 マルチェルはギルモア家の紋章を示し、侯爵家の命令の下お尋ね者のヤンコビッチ兄弟を討ち果たしたと、衛兵隊長に告げた。


「何っ? ヤンコビッチだと?」


 急いで手配書を引っ張り出し、死体を検分する。


「むう。人相書きの特徴とは一致するな。だが、これだけでは断定できん。一緒にいた仲間を取り調べる」


 マルチェルとステファノは衛兵詰め所に留め置かれ、罪人扱いではないものの、ゴダールたちの取り調べが終わるまで監視の対象となった。


 残されていた荷物や所持品を調べた結果、いくつかの物が窃盗や強盗の被害品であることがわかった。


 ゴダールとナチョスにその事実を突きつけたところ、ナチョスがすぐに罪を認めた。それによると、ゴダール一座は旅をしながら盗みを働く窃盗団で、それを知ったヤンコビッチ兄弟が隠れ蓑にしようと近づいてきたのだと言う。


「あっしはただのコソ泥で……。切り取り強盗をやってたのはあの兄弟でやした」


 助かりたい一心でナチョスは脂汗を垂らしながら、洗いざらい吐き出した。

 始めは口をつぐんでいたゴダールもナチョスの自白を突きつけると、抵抗を止めた。


「あいつらに目をつけられたのが運の尽きさ。血なまぐさい事件を起こしちゃあ馬車に転がり込んでくる。飛んだ疫病神だったぜ」


 ゴダールはトゥーリオに脅されて苦しい思いをしていた。

 ゴダールが語る惨殺事件のいくつかはヤンコビッチ兄弟の仕業として手配されているものだった。


「何でそんな細かいことを知ってるかって? トゥーリオだよ! あのいかれた野郎が旅の道中で楽しそうに自慢しやがるんだ!」


 どうやって幼女を殺したか。その時両親がどんな顔をして、何を叫んだか。どこを刺すと、人間は一番いい声で悲鳴を上げるか――。


「殺しに使った短剣を磨きながら、そんな話をニタニタしながら勝手にしゃべってやがったんだよぉ!」

「もういい。黙れ!」


 ゴダールは洗いざらい白状し、ヤンコビッチ兄弟の正体も認定された。テレーザの首の骨を折って殺したのがトゥーリオであることも、ゴダールの証言で明らかになった。


「あんたたちは帰ってよし。兄弟の討伐ご苦労だった。これを両替屋に持って行け」


 衛兵隊長に労われ、書付を差し出された。何かと聞くと、ヤンコビッチ兄弟討伐の報奨金だと言う。


「金は要りません。この町の孤児院にでも寄付してください」


 マルチェルはそう言って、ステファノを連れて衛兵詰め所を離れた。

 街の出口に向かいながら、マルチェルはぽつりとつぶやいた。


「お前がいい大人なら、酒場に連れて行くところですがね。こんなことは酒でも飲んで早く忘れてしまうに限ります」


 関わりを持つほどに記憶が濃くなる。まともな人間であれば、覚えていて気持ちが良い出来事ではなかった。

 報奨金を断ったのもできるだけ関りを薄くするためだ。小さな出来事1つ1つが記憶の雪となって降り積もる。


「俺は大丈夫です」


 ステファノは俯くことなく言った。


「トゥーリオたちが生きていれば、また明日誰かが死ぬことになったかもしれません。マルチェルさんと自分がそれを知っている限り、俺は大丈夫です」


 ステファノは前を見つめたまま、表情を動かさなかった。


「そうですね」


 マルチェルはそれ以上語ることを止めた。少年は痛みを知らなければ大人になれないのだろうか。マルチェルは答えを持っていなかった。

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