第569話 トゥーリオ、お前は逃がさん。

 ステファノが放ったイドはわずか1秒でトゥーリオたちの下まで到達した。


「捕えろ! 蛇尾くもひとで!」


 空気を包み込んだイドの塊が生き物のように触手を伸ばした。5本の手でトゥーリオを包み込もうとする。

 その動きに伴うID波を察知したのだろう。トゥーリオは驚愕の表情を浮かべて、前方を見た。


 身に迫る危険の種類を正確に把握したわけではない。しかし、「何か」が前方から飛んでくるという脅威を全身に感じていた。


「むっ?」


 トゥーリオが取った行動はステファノの意表を突いた。

 抱え込んで盾にしていたテレーザを、思い切り前に突き飛ばしたのだ。


 このままでは蛇尾くもひとではテレーザだけを絞めつけることになる。トゥーリオを倒すには、もう一度攻撃を飛ばさねばならない。既に伏兵の存在を悟られた以上、それでは奇襲にならない。


(だめか!)


 一瞬弱気になりかけたステファノを更なる衝撃が襲った。

 テレーザの体が真横に吹き飛び、入れ替わりにマルチェルがトゥーリオの前に立った。


 マルチェルの背中に触手を広げた蛇尾くもひとでが襲い掛かった。


 ◆◆◆


 マルチェルの「邯鄲かんたんの夢」にテレーザの未来は映らなかった。

 彼女はすでに死んでいたのだ。


 マルチェルの襲撃が命を奪ったのではない。

 扉に吹き飛ばされて頭を打った彼女は脳震盪を起こして倒れていた。それを引き起こしながら、トゥーリオが首の骨を折って命を絶った。


 盾にするなら動かれては困る。死体の方が扱いやすいと考えたのだ。


 マルチェルの目にはテレーザの死体が立って移動するように見えたが、死体が動くはずがない。


(ならば、あれはトゥーリオが動かしている!)


 それを悟ったマルチェルは一撃でミケーレを吹き飛ばしながら、引き延ばされた時間の中をテレーザ死体に向かって走った。


(ステファノのイドが近づいている。蛇尾くもひとでか!)


 ぬかるみとなった空気をかき分けるようにマルチェルはテレーザに手を伸ばした。脇の下に手を添えるようにして、「気」を発散する。

 テレーザの体は真横に吹き飛んだ。


(トゥーリオ、お前は逃がさん)


 異なる時間の流れに踏み込んだため、マルチェルはトゥーリオの「陽炎かげろう」から解き放たれた。すなわち、トゥーリオを認識できるようになっていた。

 焦点を結んでいないトゥーリオの目を正面から見据えて、マルチェルは一歩踏み込んだ。


(ステファノ、構わん。わたしごとトゥーリオを雷気で撃て!)


 マルチェルは雷撃にイドの鎧で耐え抜くつもりだった。

 右足を深く踏み込みつつ大地を踏みしめ、膝を直角に曲げて体ごと右ひじを突き出す。


 真正面からのマルチェル最速の攻撃であった。

 肘が当たっても雷撃を受けても、トゥーリオの命は絶たれる。


(これで終わりだ!)


邯鄲かんたんの夢」の効果が終わり、マルチェルの時間が通常の流れに戻った。


 ◆◆◆


虹の王ナーガよ、彼を守れ!)


 蛇尾くもひとでがマルチェルに襲い掛かる瞬間、ステファノは咄嗟に護身具タリスマンのことを思い出した。マルチェルにもそれを渡してあったのだ。


 護身具に籠めた虹の王ナーガのアバターにマルチェルの守護を強く願った。その時、蛇尾くもひとでが発するID波が護身具のアバターと共鳴した。

 どちらもステファノのイドが生み出したものだ。細部まで一致した波形は重なり合い、増幅し、時空を超えて振動した。


 全ての実存は物質界とイデア界に同時存在する。共振したステファノのID波はイデア界でも強く震えた。イデア界に距離はない。大きさも時間も存在しない。すべてが一点に同時に存在する。

 ステファノのイデアとトゥーリオのイデアも重なって存在するのだ。


 イデア界で振動するステファノの意子イドンは籠められた意思を具現化した。

 すなわち、マルチェルを守り、トゥーリオを撃つ。


 ステファノの意子イドンは無限に重なり合うイデアの中から「トゥーリオ・ヤンコビッチ」を選び出して、因果を紡いだ。


 ◆◆◆


 蛇尾くもひとではマルチェルがそこにいないかのように通り抜けて、その先に立つトゥーリオに巻きついた。

 ほとんど同時にマルチェルの右ひじが、蛇尾くもひとでもろともトゥーリオを打ち抜いた。


 一瞬、トゥーリオの目が焦点を結び、マルチェルを視認したが、ひじ打ちの衝撃に意識が飛んでしまう。トゥーリオの両眼は再び濁って宙を見つめる。

 体がくの字に折れ曲がり、両足が宙に浮いた頃、蛇尾くもひとでが雷気を迸らせた。


 空間が真っ白に染まるほどの光を発して、トゥーリオの肉体と大地の間にスパークが走った。猛烈な温度上昇が大気の爆発を引き起こす。


 大地に根を下ろしたように構えるマルチェルが、爆風にあおられて一瞬よろめいた。


「マルチェルさん!」


 地面すれすれを滑空してきたステファノが、マルチェルの隣に降り立った。


「大丈夫ですか?」

「ああ、無事だ。終わったな」


 マルチェルはぶすぶすと黒い煙を上げる「トゥーリオだった物」に目を向けていた。


「トゥーリオは死にました。ミケーレとテレーザも」

「テレーザもですか」

「トゥーリオが殺したようです。死体を盾にしていました」


(ああ、あれはもう死んでいたのか)


 トゥーリオに抱えられたテレーザの姿を思い出し、ステファノは眉をひそめた。

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