第568話 邪魔をするのはまだまだこれからだ。

 鴉のチームに見張りを任せ、マルチェルとステファノは早めに眠りについた。翌朝は夜明けと共に宿を出る。

 ヤンコビッチ兄弟に自分たちの姿を見せないためだった。


 敏感なトゥーリオなら2人の姿を見て、身の危険を感じ取るかもしれない。鴉たちにもくれぐれも姿を見られぬよう念押ししておいた。


 町を出たところで街道を離れ、草むらに潜む。もちろん「おぼろ影」で身を隠していた。


 ゴダール一座の馬車が通り過ぎたのは、夜が明けて1時間が過ぎた頃だった。明かりがなくては馬車を走らせることはできない。田舎町には街灯など存在しなかった。


 馬車の行く手はこの先10キロ以上一本道だった。馬車を見失う心配はない。

 ステファノはマルチェルを背負い、上空高く飛び上がった。


 あっという間に眼下の馬車を追い抜き、街道を先行する。5キロ先に達したところで街道に着地し、マルチェルと自分の体をつないだ紐をほどく。


「すべては打ち合わせ通りに。目指すはトゥーリオです」


 マルチェルの言葉にこくりと頷くと、ステファノは街道横の草原を突っ切って跳んで行った。街道から1キロの距離を取り、草むらに伏せた。体には「おぼろ影の術」を施し、姿を消している。


 10分ほどで見覚えのある馬車が近づいてきた。

 街道にぽつんと立つ人影を見て御者は不審気に目を細めたが、マルチェルが素手なのがわかり、そばまで馬車を寄せた。


「どうー。道の真ん中で何してる? 通行の邪魔だ。どいてくれ!」


 大方食いつめ者が馬車に乗せろと言うのだろうと、御者は蠅を追い払うようなそぶりをした。


「邪魔をするのはまだまだこれからだ」

「何だと――」


 御者の言葉が終わらぬうちに、マルチェルは4頭の馬を跳び越えてふわりと御者台に立った。


「何だ、お前? うっ……!」


 慌てて立ち上がろうとした御者の腹を、マルチェルは無言で蹴りつけた。体を丸めた御者は泡を吹きながら地面に転げ落ちた。


 マルチェルは馬車のブレーキを引き、手綱をナイフで切り離した。これですぐには馬車を走らせることができない。


 御者台後ろの小窓を開けてこちらを覗く者がいるのを構いもせず、マルチェルは馬車の壁目掛けて続けざまに拳を叩きつけた。

 たちまち車体が歪み、前部がつぶれかかる。それを見たマルチェルは馬車の屋根を跳び越えて車体の後方地面に降り立った。


 ひと蹴りで車軸を粉砕し、後ろ回し蹴りを背面扉に浴びせて車内に吹き飛ばす。後方に座っていた女が飛んできた扉に巻き込まれ、頭から血を流して倒れた。

 車内からナイフが飛んできたがマルチェルは何事もなかったようにそれをかわし、更に左右の壁に回し蹴りを加えた。


 立ち上がった大男が飛び掛かろうと身をかがめたが、マルチェルは馬車の屋根を越えて跳び上がり、空中で前転しながらかかと落としを屋根に叩きつけた。

 既にひしゃげかかっていた車体は衝撃を支えきれず、破裂するように砕け散った。


(残るは3人)


 メリメリと落ちた屋根が揺れ動く。マルチェルは屋根の下から這い出す者があれば、遠当てを食らわせるつもりで腰を落として備えた。


(トゥーリオが見えたら――他に誰がいても撃つ!)


 草叢のステファノは気合を高め、奥歯を噛みしめた。


(役割以外のことを考えるな。トゥーリオを討て!)


 決着は一瞬に訪れた。


 ◆◆◆


 潰れていた屋根がガリガリと音を立てて持ち上がった。屋根を放り捨てるようにして馬車の後方に降りてきたのは、巨漢のミケーレだ。素早くあたりを見回した視線が正面に立つマルチェルを捉えた。


「がーっ!」


 熊のように両手を持ち上げて襲い掛かってくるミケーレを、マルチェルは真っ向から迎え討とうとしていた。

 マルチェルにしてみればミケーレの巨体は格好の的でしかない。


(どこに手を出しても当たってしまうな……。うん? あれは?)


 ミケーレの体の向こう、馬車だったものの前方付近から足を引きずるように進んで行く人影があった。


(あれは、女か? 名は確か――テレーザ)


 女は頭から血を流し、首がぐらぐらと揺れていた。


「ごうっ!」


 吠えるような大声を発しながら、ミケーレが両腕をマルチェルに叩きつけてきた。怪力に任せた、技も何もない力づくの攻撃だ。


瓦礫がれきの下にあと2人)


 ミケーレの攻撃をかわすことは容易かったが、その先のことを考えてマルチェルはギフト「邯鄲かんたんの夢」で世界を観る。


 10分の1の速度にスローダウンした世界で、ミケーレが示す「可能性のビジョン」は1つしかなかった。両腕を上から下に叩きつける。それ以外に行動の選択が存在しなかった。


(むっ! あの女? ばかな!)


 視界の隅に映ったテレーザを観て、マルチェルは驚愕に目をみはりつつ、全力でミケーレにパンチを放った。


(間にあえっ!)


 ◆◆◆


 潰れていた屋根を吹き飛ばしてミケーレが立ち上がった。ステファノの眼はミケーレのイドまで捉えており、1キロ離れても見間違えることはなかった。


 両腕を振り上げてミケーレがマルチェルに襲い掛かるが、通用するはずがない。

 ステファノはミケーレを無視して、トゥーリオの捜索に集中していた。


(出た!)


 トゥーリオは女――テレーザ――を盾にしていた。テレーザは頭から血を流しており、ぐったりとトゥーリオに寄りかかっている。頭を打って気絶しかかかっているのかもしれない。


(イドが不自然だ)


 健康を取り戻したトゥーリオのイドは滞りなく全身に行き渡っていた。だが、本来混ざり合って渦巻くべき陰気と陽気が、脈打つように打ち消し合って動いていた。

 ある瞬間は陰気が強まり、次の一瞬には陽気が全身を染める。


(ギフトを使っているのか!)


 そうだとすると、マルチェルにはトゥーリオの姿が見えていない。テレーザの動きがどれだけ不自然であろうと、「トゥーリオの存在」という概念がマルチェルの脳裏から消し去られてしまうのだ。


(このままトゥーリオを撃てば、テレーザも巻き込んでしまう……)


 ステファノの目の前に雷気に打たれて焼け焦げるテレーザの未来ビジョンが閃く。


(だが、撃つなら今しかないっ!)


 全ての迷いを飲み込んで、ステファノはイドを飛ばした。

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