第567話 相手は人ではない――けだものです。

「馬車を止めたら手綱を切って走れないようにします。中の人間が馬車から下りてきたらわたしが遠当てで倒します」


 魔視脳まじのうを開放したマルチェルは、近距離ならばイドを飛ばせる。


「お前が狙うべきはトゥーリオだけです。それ以外の相手は私に任せなさい」


 トゥーリオは「陽炎かげろう」でマルチェルの目を欺くことができる。存在を隠したステファノでなければ、彼を撃ち倒せない。


「連中が馬車に籠るなら、わたしが馬車を打ち壊します」


 イドの鎧をまとったマルチェルの手足は、以前にも増して破壊力を高めていた。5秒もあれば馬車を解体できる。


「トゥーリオを視認したら一切躊躇しないことです。他人を巻き込もうと、構わず撃ちなさい」


 初撃を外せばトゥーリオにギフトを使う機会を与えてしまう。ステファノの存在を知られないことが圧倒的有利の鍵なのだ。


「奴を逃せば将来何十人という犠牲者を出すことになります。絶対にここで止める覚悟を持つことです」

「わかっています。自分の心を殺して、『やらなければいけないこと』をやり遂げます」


 ステファノはそう言うしかなかった。それは処刑吏ジェラートが日々の覚悟としている心構えであった。


「狙撃の遠当てには何を載せますか?」


 マルチェルはステファノの攻撃方法を聞いた。攻撃が乱れ飛ぶ戦いの場では、味方の武器を知ることも重要である。そのつもりがなくても同士討ちが起きる場合もあるのだ。


「ピンポイントで標的を狙えるよう、雷魔法を載せます」


 通常であれば蛇尾くもひとでに載せる雷撃は敵を気絶させる程度に抑えるところだ。しかし、今回は即死レベルの威力を持たせる。

 死体は黒焦げになるかもしれないと、ステファノはその威力を想像した。


「わかりました。的中したら2秒で雷魔法を消しなさい。念押しでわたしが止めを刺します」


 殺す時は徹底的に殺す。それが鴉の戦い方だ。


「トゥーリオを倒してしまえば、残りの4人はどうとでもなります。お前は補助に回って、万が一逃げ出す者があれば捕えてください」


 馬車を壊してしまえば遮蔽物はない。1キロ離れていようと、ステファノの遠当てには何の支障もなかった。

 既に照準器も長杖スタッフも必要ない。遠見の術そのものが遠当てのガイドになっている。


「手順はこれで良いはずです。しかし、現場では何が起こるかわかりません。他の事に目を向けず、お前はトゥーリオを倒すことだけに注力しなさい」


 それが人間1人を討ち果たすということの持つ意味だった。


「相手は人ではない――けだものです」


 少しでもステファノの気持ちを軽くしようと、マルチェルは言った。


「いいえ、違いますね。獣は生きるために獲物を襲います。楽しみのために人の命を奪うトゥーリオはけだもの以下の存在です」

「人食い熊を退治するつもりでトゥーリオを撃ちます」


 鴉からの知らせを待ちながら、ステファノは日々遠距離狙撃の練習を繰り返した。

 手配書を配ってから4日めに、数少ない生き残りの被害者から姿絵の確認が取れた。ステファノが遭遇した2人はヤンコビッチ兄弟に相違なかった。


 サポリの東南、ポンテの町からゴダール一座発見の報が届いたのは、1週間後のことであった。


 ◆◆◆


  ステファノはマルチェルを背負って、ポンテの町に飛んだ。途中休憩を挟みながら2人は4時間で目的地に到着した。


「ふうー。鳥になるのも楽ではありませんね。長時間同じ姿勢でいるのはつらいものです」

「サポリから真っ直ぐ飛んでこられれば良かったんですが」


 目印のない場所を飛ぶと位置を見失う恐れがある。面倒でも街道の上空を飛ぶのが確実だった。


 2人は町から離れた場所に降りて固まった体をほぐし、「陽炎の術」を解いて徒歩で街に向かった。


「身を隠すのに陽炎の術は便利ですが、トゥーリオのギフトと紛らわしいですね」


 同じ名前でも中身がまるで違う。マルチェルのつぶやきを聞いてステファノは考え込んだ。


「殺人鬼のギフトと同じ名前は気持ち悪いですね。術の名前を変えましょうか」

「お前が編み出した技です。ステファノの好きなようにすればいいでしょう」

「空気の層で姿を隠す術ですから……『おぼろ影』というのはどうでしょう?」

「春の夜のおぼろ月のごとく、ですか。なかなか風流な名ですね」


 マルチェルが先に立って待ち合わせ場所である宿屋に向かった。昼飯時は過ぎている。1階にある食堂には客は1人しかいなかった。


「待たせたか?」

「とんでもねえ。予想よりずいぶん早いおつきで」


 馬を使ったとしても数日はかかる距離だった。この世界の常識では考えられないスピードで2人はポンテに現れている。


「『客』に変わりはないか?」


 煮込んだ豆とパンという昼食に手をつけながら、マルチェルはつなぎ役の男に尋ねた。


「向かいの宿屋におりやす。ここでの興行は今日で終わりで、出立は明日の朝だそうで」

「5人の顔は確かめたな?」

「へい。手配書の似姿通りの5人に間違いありやせん」


 ステファノが描いた似姿はゴダール一座の最新の外見を表している。服装も同じで、見間違えることはなかった。


「わかった。われわれ2人は今晩ここに泊まる。夜明けとともに引き払い、町の外で『客』の馬車をやり過ごす。お前たちは5分遅れて馬車の後を追え」

「本当に2人だけで『客』の相手をするつもりで?」


 マルチェルはともかくステファノの外見は頼りない若造だ。5人を相手にできるのかと、男は言外に疑っていた。


「問題ない。お前たちが5キロ先でわれわれに追いつくころには、すべて終わっている。くれぐれも『客』を警戒させぬよう、離れてついてこい」

「へい。差し出口をして申し訳ありやせんでした」


 静かに話しているだけなのに関わらず、マルチェルの声には場数を踏んでいるはずの男を黙らせる威圧感があった。

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