第563話 俺は――見たかもしれません。

 速いといってもさすがに3時間の道のりは長い。後ろから抱きついた姿勢で黙っていることに気まずくなり、ドリーは世間話で誤魔化そうとした。


「見た目はそれ程でもないが、随分筋肉をつけたな」

「旅の間、体幹を鍛えました」


 音無しのジョバンニにあやかって体裁きの精度を向上したこと。滑空術での空中機動を磨き、軽業のような身ごなしを習得したことなどを、ステファノは嬉々としてしゃべった。

 一人旅が苦しいと思ったことは一度もないが、心のどこかには寂しさがあったのかもしれない。


 年相応のはしゃぎっぷりを目の前にして、ドリーは先程覚えた怖れのような感情は何だったのかと、不思議に思う。


(まるでステファノが人外の存在に思えたものだが……)


「新しい術でも身につけたか?」

「ううーん。魔法の方は滑空術を磨いたくらいですねえ。主にイドを鍛えていました」

「そう言われれば、身にまとう気配が変わった気がする」


 ギフトを使ってステファノのイドを見直すドリーに、ステファノは高周波化オーバークロックの話をした。


「精神攻撃を跳ね返す目的でイドの稠密ちゅうみつ化を狙ったものです。それが身体強化や反応速度向上という効果をもたらしまして」

「武術で言う内気功という奴か? それは興味を引くな」


 ドリーは魔術師であると同時に、武術の道を志す者でもある。主に剣を振るってきた彼女にとって、拳法者が語ることの多い気功という力は遠い世界のことだった。今までは――。


「体にまとうイドを硬質化したり、飛ばしたりすることが外気功だとすれば、体内のイドを制御することで身体能力を向上させるのが内気功ではないかと考えています」

「そう言われるとわかりやすい」


 イドの存在を前提とすれば、ステファノの解釈は納得しやすかった。ともすれば怪力乱神の類、つまり迷信扱いされがちな気功という概念に、理論的な裏づけを与えてくれる。


「そうだとすれば、気功は剣技にも応用できることになるな」

「そうですね。内気功はもちろん剣を振る体の動きを高めます。外気功は剣にまとわせることもできるでしょう」

「剣にまとわせる意味は何だ? 切れ味が増すわけではあるまい?」


 拳や杖とは異なり、剣には既に刃がついている。イドをまとわせなくとも、敵の肉体を破壊することができるのだ。


「武器術における外気功の用途ですけど、1つは『受け』にあります」

「手にまとったイドを盾として使う技には既に取り組んでいるが、剣でもそれをやるのか?」

「攻防一体の使い方ができると思います。敵からの撃ち込みを受け払うだけでなく、餅のように絡めとることができるのではないかと」


 ステファノが使う「蛇尾くもひとで」に似ている。あれを剣でやるということかと、ドリーは想像した。


「お前は杖を振って蛇尾くもひとでを飛ばしていたな。ああいうことが剣でもできるというわけか」

「そうですね。俺はイドで杖を作り出すことができるようになっています」

「杖そのものをイドで置き換えるのか」


 今ステファノはイドを翼の形に変えて風を受けている。それを杖に変形させることもできるのだろう。


「剣の場合はどうなる? イドの剣に刃を作り出せるのか?」

「――できそうな気がします。イドの高周波化オーバークロックを行えば」


 イドを薄く、稠密に固めれば刃として使えるのではないか? ステファノにはその予感があった。


「ただ、とても物騒な術になります。見えない刃を生むわけですから」

「そうだな。見えない矢でも飛ばされた日には、防ぎようがないな」

「はい。敵の無力化ならイドのつぶてを当てるだけで十分に思います」


 全力を籠めれば、イドの礫でも人は殺せる。形を留めないほど粉々にすることもできるだろう。

 それをしたくないために、ステファノは蛇尾くもひとでを編み出したのだ。


「『できる』ということと、『好んでそうする』ということの間には大きな隔たりがあるべきだな」


 殺人鬼になるためにドリーは武を志したわけではない。人を救い、邪を退けるためである。

 その気持ちは今も変わらない。


「そこを踏み外せば、ヤンコビッチ兄弟と同じ殺人鬼になってしまう」

「!」


 ドリーはかつての友クリードがかたきと狙う犯罪者のことを思い出していた。

 それを聞いたステファノの体に緊張が走る。


「ドリーさん……」

「うん? どうした、ステファノ?」

「俺は――見たかもしれません」


 言葉に詰まりながらステファノが何事かを告げようとした。何かわからぬながら、ただならぬ様子にドリーの動悸が早まる。


「何を見た? 言ってみろ」

「ヤンコビッチ兄弟――」

「何? ステファノ、お前……」


 思いがけぬ名前に、ドリーの顔が青ざめた。


「俺はヤンコビッチ兄弟に出会いました!」


 目を固くつむり、ステファノはそう叫んだ。


 ◆◆◆


 たどたどしく言葉に詰まるステファノを促して、ドリーは話を聞き出した。


「旅の芸人一座だと?」

「ゴダール一座と名乗っていました」

「その中に、あの兄弟が紛れ込んでいたのだな?」

「ポトスとアーチャーという名を名乗っていました」


 体の大きさ、年恰好から見て怪力芸人のポトスが弟のミケーレ・ヤンコビッチで、奇術師のアーチャーが兄のトゥーリオであろう。


「確かなのか?」

「たぶん間違いありません」


 言い切るステファノの声には、隠しきれない恐怖が含まれていた。

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