第543話 そういう時は『縛られても、縛らせるな』。それが極意だ。

「まずは基本を教えよう。縄抜けとは『縛らせないこと』だ」


 流派の極意は初伝にあり。その言葉がここでも正しいとするならば、「縛らせないこと」こそが縄抜けの極意ということになる。


「縛られなければ縄を抜ける必要がないからな。うかうかと縛られる奴は馬鹿だ」

「はあ」


 あけすけな言い草に、さしものステファノも押され気味だった。


「ふふ。そう言っても、縄目を逃れられないことがある。押さえつけられたり、気絶させられたり、怪我をさせられたり、刃物で脅されたり」

「人質を取られたり、ですか?」


 イドの鎧を持つステファノだが、抵抗を封じられる場面を想像することはできる。精神攻撃もその1つだった。


「そういう時は『縛られても、縛らせるな』。それが極意だ」


 ジェラートはなぞなぞのような言葉を吐いた。

 ステファノは一瞬俯いて考え込んだが、はっと顔を上げた。


「敵をだませということでしょうか?」


 ジェラートは小さく頷いた。


「良い線だ。敵に『縛ったつもり』になってもらうのさ」


 縛ったつもりだが、実は縛れていない。その状態を作り出すのが縄抜けの極意だと、ジェラートは言った。


 ステファノは見たことがないが、手品師の芸にも縄抜けがある。

 舞台上で客に自らの腕を縛らせ、一瞬でその縄から抜けるという芸だ。


 本当に縛られていたら、一瞬で縄を抜けることなどできない。縛ったつもりが縛れていない。それが芸としての縄抜けだ。


「腕と腕の間に隙間を作る。角度を変えて、縄が張り詰めているように錯覚させる。簡単に言えばそういうことだよ」

「縛られる時はできるだけ大きくなれということですね」

「そうだ。大きく縛らせ、小さく抜ける。やることはそれだけさ」


 縄を抜ける時は縛られる時とは反対に、できるだけ体を小さくする。小さく、そして柔らかく、しなやかに。


「関節の可動域は広い方が良いね。脂肪もなるべくつけないこと」


 関節を外すという荒業もあるが、下手をすると体を痛める。手のひら、ひじ、肩、ひざ、くるぶし。関節の曲げ方で体の太さを変える方法の方が実用的だと言う。


「縄の滑りをよくする工夫も色々ある。油や水を垂らしたり、体との間に滑りのよい物を通したり」


 肉に食い込むと縄は動かない。薄べらを挿し込んだり、糸を巻きつけたりして「皮」と「肉」を押さえつけて、縄の下をくぐらせる方法もある。


 乾燥すると縄を形作る繊維が縮み、湿らせると逆に伸びる。水が手に入らなければ小便をかける方法もある。


「そうすると、俺がやったのは随分力づくの方法だったんですね」


 ステファノが言うのは、「角指かくし」で縄を断ち切った方法のことだ。


「時間に余裕があるなら悪い方法ではない。後ろ手の縄目を解くのは難しいからね」

「縛られる時、手はなるべく前で縛らせた方が良いということですね」


 アメリカの司法機関では犯人を腹ばいに寝かせ、後ろ手に手錠をかけることが多い。抵抗や脱走を防ぐための措置である。

 縛られる手が体の前にくるだけで、行動が格段に自由となる。


「そういうこと。後ろ手に縛られるくらいなら、自分から両手を揃えて体の前に差し出す方が良い」


 ステファノが考え方を理解したところで、ジェラートは縄を抜けるための手足の使い方、体の動かし方を細かく教えた。

 ステファノはそれを記憶し、縛られている状況を頭の中で再現しながら、想像上の縄から抜ける動きを練習した。


「いいかい。落ち着くことが大切だ。焦って力めば縄が皮膚に食い込む。そうなったら皮膚が充血して体が太くなる。ますます縄から抜けられなくなるからね」


 呼吸を浅く、静かに行い。長く吐きながら脱力する。その時に体は一番小さくなる。


「全身に力を入れてはだめだよ。必要な部分にだけ力を入れるんだ。脱力と集中。脱力と集中だ」


 形や動きを真似ることと違い、これは難しかった。静と動を同時に行うような――。


套路とうろか!」

「うん? 何だって?」


 唐突なステファノの叫びを、ジェラートはいぶかしんだ。どういうことかとステファノに説明を求めた。


「なるほど。拳法の型ねぇ。ふーん。どんなものか、ちょっと見せてくれるかい?」

「人まねで良ければ」


 ステファノに拒む理由はない。自分の発想を確かめる意味でも、ジェラートに套路を見てもらいたかった。


 小屋の限られたスペースでも套路を練ることはできる。ステファノは静かに立ち上がり、呼吸を整えた。

 丹田に魔核マジコアを練りながら、両手を体の前に持ち上げる。


 実際にはステファノに「腕を持ち上げる」意識はない。魔核満ちる時、盃から酒があふれ出るように体は自然に動き出していた。


 柔らかく緩やかな動きは水の流れか、肌を滑る羽衣か。羽毛のように軽く見えていた手足が、一瞬空気を斬り裂く。ステファノの套路はイドの高周波化オーバークロックによりけいを発する。

 拳法家であればその働きを「内気功」と呼んだであろう。


 正確には武術家でないジェラートは気の動きを読み取ることはできない。しかし、表面的な動きを見極める目は持っていた。

 露出したステファノの首筋、手首周辺、くるぶしに一瞬現れる稲妻のような緊張に、ジェラートは瞠目した。


――――――――――

 ここまで読んでいただいてありがとうございます。


◆次回「第544話 道は1つではないんだねえ。」


「驚いた。僕は専門家じゃないが、なかなかの腕前に見えるよ。修行を始めて1年だって? 大したもんだ」


 掛け値なしでジェラートは言った。武術を学んでいると言っても1年未満だと聞いた。まねごと程度の腕前だろうと、ステファノの武術を侮っていたのだ。


「僕に武術の深奥はわからないが、仕事柄筋肉の使い方には敏感なんだ。弛緩から緊張へ一瞬で切り替わる、君の動きには一流の切れ味があるね」

そこ・・ですか。俺の場合は武術の実力よりも、イドの制御から来るものですね」


 ……


◆お楽しみに。

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