第542話 そういうところでも気の弱い人だったんだよ、じいさまは。
「死刑囚に刃物を持たせちまったのさ。どうなるかわかるだろ?」
手足のいましめを切った罪人は、役人と処刑人を滅多刺しにしたのだ。
血まみれのまま処刑台を飛び降りて逃げ出したが、すぐに衛兵に追いつめられて斬り捨てられた。
「首つり縄の点検が甘かったと問題になってね」
「ああ、それでお爺さんが……」
「そう。処刑人も死んでしまったもんだから、お前がやれと任されちゃったのさ」
気の弱い人間だったので、とても務まらないと断った。しかし、相手は役人だ。
他に人がいないと押し切られてしまった。
「そういうところでも気の弱い人だったんだよ、じいさまは」
さすがに衛兵隊長も気の毒だと思ったらしい。
「処刑人の仕事を未来永劫うちの家業としてさし許すという書付を、内務卿名で作ってくれたんだって。――ここだけの話、迷惑な話だよ」
一子相伝の処刑人になどなりたいはずがない。といって、国の命令では断るわけにもいかない。
「うちの家では子どものころからお役目のことを教えられ、『お務め』として慣らされるのさ」
「慣れるものですか?」
ステファノはこらえきれず、尋ねてしまった。
「――慣れないよ。いや、心の一部は麻痺しているのかな? それでも、頭を空っぽにして『お務め』を果たすことだけを考えるようにしないと、やっていけないのさ」
鎧を磨き終わったジェラートは手をぬぐいながら、声の調子を変えた。
「ごめん、ごめん。重たい話をしちゃったね。うちの流儀にとって、縛り方というものがそれだけ重要だと言いたかったんだ」
縄の管理も縛り方の一部だ。すぐに切れてしまう縄でどう縛ろうと、それでは物の役には立たない。
切れぬ縄、ほどけぬ結び目でなければならないのだ。
「ただ結び方を覚えるだけでなく、事前と事後の確認をおろそかにしてはいけない。それが極意だ」
「わかりました。肝に銘じます」
ステファノはジェラートが祖父のエピソードを話した理由を理解した。ほどけぬ結び目とは油断なき心のことなのだ。
そしてジェラートの一族にかけられた「呪い」でもあった。
無尽流を父から継いだネオンも、程度は違えど同じ「呪い」をかけられているのかもしれない。
(俺もそうだった。「飯屋」という呪いから逃れて今がある)
仕事が悪いのではない。初めから継ぐものとして自由を奪われることが呪いなのだ。
(俺は逃げることで呪いを解いたけど、ネオン先生やジェラート先生は乗り越えることで呪いに打ち勝とうとしている)
どちらが良い、悪いということではない。人それぞれに生き方がある。
それもまた、自由なのだ。
「君の捕縄術も大分形になってきたよ。明日からは修行の仕上げに入ろう」
「はい。どんな修行か聞いてもいいでしょうか?」
ステファノは研ぎ終えた短剣を拭き清め、鞘に納めた。
「明日からはジャン派捕縄術の秘技を教える」
「秘密の技ですか?」
「そうだ。これなくしては捕縄術を修めたということはできない。流儀の要と言える秘術だ」
謎めいたジェラートの言葉に、ステファノは緊張を覚えた。一体どんな縛り方を教えられるのだろうか?
「君に覚えてもらうのは『縄抜け』の技だ」
「え? 縛り方じゃなくて?」
「うん。縄抜けの術を知ってこそ、逃がさないための縛り方を極めることができる」
縄抜けは捕縄術への対抗手段だ。これが広まることは流儀滅亡の危機となる。絶対に漏らせない秘密であった。
しかし、対抗手段を熟知しなければ流儀を完璧にすることはできない。毒を知ってこその薬ということだ。
「――縄抜けですか」
ステファノが重たくつぶやいた。
「どうかしたか?」
何か気になることがあるのかと、ジェラートはステファノの眼を見つめた。
「実は、縄が怖いんです」
「うん? でも、君は縄を使って……」
「正しくは、縛られることが怖いんです」
ステファノは体を固くして言った。
説明を待つジェラートに、ステファノは両手を持ち上げて見せた。
「縛られて、殺されそうになったことがあって――」
ステファノは皮手袋を脱ぎ、両手首の傷痕をジェラートに示した。
「その傷は……。そうか。苦しい思いをしたんだね」
10カ月前の傷はまだ生々しい傷跡を残していた。ジェラートにとっては見慣れた傷だ。どうやってできたものかは容易に想像がついた。
「自力で縄を解いて、敵の1人を逆に絞め殺しました」
ステファノは覚悟を決めて、トラウマになっている出来事を事細かく語った。
それは自分にかけられた恐怖という呪いに向き合い、乗り越えるための作業だった。
ジェラートは話の途中から目を閉じて、ステファノの説明に聞き入っていた。口入屋の手下を絞め殺す場面では、眉を寄せて唇を引き締めた。
「わかった。君にとって縄はつらい記憶なんだね」
ジェラートは組んでいた腕を解いて、ため息をついた。
「お互いに因果な話だ。縄を嫌悪する理由を持ちながら、それでも縄を使う道を選んだ」
「はい。縄抜けを学ぶには、先ず縛られる必要がありますよね?」
ステファノは手首の傷痕をさすった。何もないにもかかわらず、ひりひりと痛みを感じるのだ。
「……できそうかい? 無理をしなくても君の捕縄術はそれなりのものにはなっているはずだが」
「俺は痛みから逃げてここまで来ました」
唇を震わせながらステファノは声を強めた。
「これは痛みを乗り越えるチャンスだ。ジェラートさんに捕縄術を教わることになったのは偶然ではない。俺はそう思います」
「戦う気なんだね」
ステファノは蒼白になった顔を、両手で叩いた。
「やらせてください!」
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