第541話 そんなことがあってはならないんだけど……。

「死刑で死人が出るのは普通じゃありません?」


 怪訝に思ったステファノが問い返した。


「普通は罪人が処刑されて死ぬんだけどね。死んだのは役人なんだ」


 ◆◆◆


『最後に言い残すことはあるか?』

『てめえのツラは忘れねえぜ。あの世で待ってるからなっ!』


 目をぎらつかせて罵る罪人の顔に麻袋をかぶせ、処刑人はその上から首に縄をかけた。

 外れないように結び目を耳の後ろできゅっと締めると、喉を圧迫された罪人がむせてせき込んだ。


 処刑台の後ろで、処刑人の助手が輪胴に取りつけたハンドルを回し、たるんだ縄をピンと張り詰める。罪人がつま先立ちになったところで輪胴に歯止めをかけ、縄が緩まぬようにした。

 準備が整ったことを見届けて、役人は処刑人に死刑執行の合図を出した。


 広場で処刑台を見上げる群衆が静まり返った。


 張り詰めた空気を感じて、罪人が麻袋の中で何事か叫ぼうとしたその時、処刑人が思い切り踏み台を蹴り飛ばした。


『ぐ、ぐぅー……!』


 のどを潰されて声にならない音を発する罪人。後ろ手に縛られた手は動かせないが、支えを求めて両足が宙をさまよう。

 麻袋に覆われた顔面は紫色に変わっているであろうが、幸いなことに人目には触れていなかった。


 見ようによっては滑稽な踊りを踊る姿を見ても、笑う人間は誰一人いない。恐ろしさに目を背けては、思わずまた目を戻してしまう。


 早く終わってくれと人々が思った頃、罪人の全体重を支えていた綱がぷつりと切れた。


「そんなことがあってはならないんだけど……。事前の点検がいい加減だったんだろうね。暴れる死刑囚の重さに耐えかねて、首をつった縄が切れてしまったのさ」


 縄が切れても刑は終わらない。新しい縄にかけ替えて、絞首刑を再執行しなければならない。役人が顔色を変え、処刑人に向かって叫んだ。


『新しい縄を! 早く持ってこい!』

『へいっ! すぐに!』


 処刑人も想定外の事態に慌てて走り出した。処刑台の裏には予備の縄が備えてあった。

 助手と2人で、新しいロープを処刑台にかける作業に取りかかる。


 処刑台の上では倒れた死刑囚が、弱々しく体をよじっていた。切れたとはいえ、首には縄が食い込んでおり、呼吸を妨げていた。


『ヒュー、ヒュー……』


 隙間風のような音を立てて、死刑囚はなけなしの空気を貪った。頭にかぶされた袋が空気の流れを邪魔する。

 手を使えないもどかしさの中、罪人は顔を処刑台の床にこすりつけて麻袋をずらそうとした。


 使い古された床材は塗装も剥がれ落ち、雨風に打たれてひび割れ、ささくれ立っている。浮き上がった釘に麻袋の織り目が引っかかった。

 釘の頭が頬に刺さることも構わず、罪人は力任せに麻袋から頭を抜き出した。


 頭を動かした方向が良かったのか、麻袋はその上からかけられた縄ごとすっぽりと抜けた。


『ガッ! ガヒュー! ごほおっ……!』


 ようやく気道を開放された死刑囚は、唾を吐き散らしながら胸を大きく動かした。

 

『チッ! まだ生きておるか! しぶとい奴め』


 罪人の様子に気づいた役人が、いまいまし気に舌打ちした。


 床に這ったままそれを見上げる罪人。ガラスのように宙を見ていた瞳がようやく焦点を結ぶ。

 真っ赤に血走った目が飛び出しかかっていた。


 その目を更に見開き、舌打ちをした役人を睨みつけた。


『ひっ! は、早く縄を! 早くっ!』


 役人は膝を震わせて、作業中の処刑人に叫んだ。

 それがかえってきっかけになったものか。虫のようにもがいていた死刑囚が、芋虫のように体を縮め、うめきながら立ち上がった。


 自分の足で処刑台まで歩かせるため、両足をつなぐ縄は40センチほどの長さがある。その足を小刻みに動かして囚人は役人に迫った。


『何だッ? 貴様どうするつもりだ?』


 相手は手足を縛られている。役人は怯えながらも、その場に踏みとどまって甲高い声で囚人を威圧しようとした。


『う、ううう……』


 低く唸りながら、死刑囚は足を引きずって役人に近づいた。あと一歩というところで顔を上げ、無言で役人を上目づかいに睨んだ。


『何だ、貴様は? 何が言いたい!』


 睨まれたことで怒りが怯えに勝ったのだろう。役人は片脚を上げ、囚人を正面から蹴りつけた。


『がああーっ!』


 役人には武術の心得がなかった。不格好な蹴りにはスピードも威力もない。死刑囚は余裕を持って蹴りをかわし、肩口から役人に体当たりをかました。

 片脚を上げて踏み込んでいた役人は、たわいもなくバランスを崩して倒れ込む。


『ああーっ!』


 情けない悲鳴を発してあおむけに倒れた役人に、死刑囚は鬼の形相で覆いかぶさった。押しのけようと伸ばした役人の腕に、死刑囚は大口を開けて噛みついた。


『いやあっ! 痛い―!』


 役人は痛みに我を忘れた。逆に囚人は冷静になり、役人の手首をかみ砕きながら右手を役人の腰に伸ばした。

 そこには安物ながら短剣を身につけていたのだ。


『ぎゃあー!』


 手首の激痛に絶叫を上げる役人を押しのけて、死刑囚は処刑台の上をゴロゴロと転がった。


『旦那! 大丈夫ですか?』


 処刑台上の騒ぎに気づき、処刑人が準備作業を放り出して台に上がってきた。


『大丈夫なわけない! 見ろ! 腕から血がっ!』

『一体全体何が……。とにかく血止めを』


 処刑人は自分のシャツの袖を引き破って、役人の腕を縛った。


『あ痛たたた……。馬鹿者! 強すぎるわ!』

『へっ、すみません!』


 大騒ぎで役人の手当が行われている傍らで、のそりと立ち上がる人影があった。

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