第530話 今の感じ……。あれは何だ?

 スリングの稽古を始めてから4日めの朝、ステファノは遠的えんてきを前に考えていた。


(40メートルならもう的を外さない。だが、これで終わりとしていいのか?)


 当てるだけなら紐を使わなくてもできる。わざわざ道具を使うのは、素手では不可能な業を為すためではないのか?


 ステファノは、標的に背を向けて歩き始めた。1歩、また1歩と長机から離れていく。標的からの距離が100メートルに達した時、ステファノは足元の草が枯れ、地面がむき出しになった場所に到達した。


(ここは……。100メートル用の投擲位置か?)


 辺りを見回すと、つぶてにする石がいくつも小さな山を作っていた。


(間違いない。ここが本来の遠的練習場なんだ)


 紐投擲にとって40メートルは遠距離ではない。「遠的」と呼ぶなら最低でも100メートルの距離が必要だった。


 枯れ地の中心に立ち、ステファノは改めて遠的に向き合った。


(遠いな。だが、魔法の標的と考えたらどうだ? この距離なら……)


 外すわけがない。ステファノの心が確信を持って告げていた。玉子を割ってフライパンの外に落とすことがないように、ステファノの魔法が100メートル先の的を外すなどあり得ない。


(紐を使う投擲で、そこまでの確信を得られるか? とにかく稽古あるのみだな)


 魔法の稽古は何千回と繰り返した。その過程で魔核マジコア錬成の精度を上げ、魔法術式を磨き上げた。イドの制御を工夫し、魔核混入マーキング高周波化オーバークロックという技を得た。


 それら努力の成果が重なってステファノの中に核として存在した。


(観て、動くこと。それが俺の本質だ。何回でも投げてみよう)


 左右の上天、黄泉路よみじそれぞれ5投。その1セットを行ってみた。ネオン師が言った通り、黄泉路はひたすら真っ直ぐ飛んだ。


 しかし、上天は難しい。手放すタイミングのわずかな違いで、石が飛ぶ方向は左右に大きくぶれる。


(これはあれだな。「紐上天」の修業は離れてやるべきものだな)


 誤差が増幅する遠距離で稽古すれば、より正確なタイミングを鍛えることができる。走って石を拾い集めながら、ステファノはそれを実感した。


 リリースの瞬間には腕から力を抜くことの必要性も、稽古の中で感じ取れた。

 遠的を前にすると、つい力を入れたくなる。だが、それは紐投擲にとって邪魔なのだ。


 力めば軸がぶれ、旋回面が歪む。リリースのタイミングもぶれてしまう。


(紐に力は要らない。速さと安定、そしてタイミングだ。回そうとするな。紐は勝手に回るものだ)


 ステファノは威力にこだわる心を捨て、精度に集中した。


 思い出すのは「メレンゲ作り」のイメージ。泡だて器で卵白をひたすら攪拌かくはんする。

 腕に力みがあれば、1分と持たない。むしろ脱力し、道具に仕事をさせるのだ。


(腕はただの支点だ。回るのは石。回すのはスリング。石が行きたいところで放してやれ)


 初めに黄泉路が当たり始めた。数セット後に、上天が的を捉え始める。

 ステファノは「当たる」というイメージを、ひたすら脳に刻み続けた。


 100メートルの遠的稽古を3日続けた結果、上天の命中率が5割を超えた。黄泉路なら7割は的に当たる。

 ステファノは紐投擲に確かな手ごたえを感じていた。


 ◆◆◆


 次の朝、いつもの如くステファノは朝の基礎修練を行っていた。走り込みなどの基礎運動を終え、杖を振っている時のことだった。

 ふとした素振りの瞬間、ステファノは軽い衝撃に体を貫かれた。


(今の感じ……。あれは何だ? 何かがぴたりとはまったような)


 それはつぶてが指先を離れる瞬間に感じる「必中の確信」に似ていた。


(正しい「振り」、正しい旋回、あの瞬間にそれができた気がする)


 スリングに比べて、はるかに多くの回数長杖を振って来た。杖はステファノの体の一部となっている。


「杖ならばわかる・・・んだ。紐の代わりに杖で礫を飛ばせれば――きっと当たる」


 技術的に言っても、両手を使える分杖の方が旋回面が安定する。しかし、杖に礫を載せることはできない。

 常識で考えれば、杖で石は投げられない。


 それでもステファノは、手の内に残る必中の感触を捨て去れなかった。


(杖で石を投げる方法はないものか? イドを使わない方法で……。紐と杖を合体させたらどうだ?)


 杖の端に紐をくくりつけることはできる。問題は、どうやって石を放すかだった。杖には手のひらも指もない。


 その夜、目をつぶったステファノの脳裏には長杖と紐を結びつけるさまざまな方法が浮かんでは消えて行った。


 ◆◆◆


「何だそれは? 妙なものをこしらえたな?」


 翌朝、稽古の初めにステファノは杖を携えていた。ただの杖ではない。杖の先端に投擲紐が結びつけられていた。


「はい。昨夜考えた物を、今朝作ってみました」

「ふうむ。それで石を投げようというのか?」


 長杖の先端には断面の中央に溝が刻まれていた。紐の片端は杖の端近くに結ばれており、もう一方の端がこの溝に挟み込まれている。振り回しても抜けないように挟んだ紐の端には結び目が作られていた。


「この溝が紐を握る手のひらの代わりをするのか」


 常に結び目に荷重がかかり続けるように杖を振れば、紐が抜けることはない。手の代わりに杖が紐を握ってくれるのだ。


「放す時はどうする? 杖は開いてはくれまい?」

「杖の動きを止めれば、紐は勝手に離れていきます」


 紐を杖が引っ張り続けている間、紐は杖から外れない。しかし石と紐が杖を追い越した瞬間、結び目部分は溝から離れて自由になるはずだった。

 寝床の中で何度も脳裏に杖の動きをイメージした結果、ステファノが得たビジョンである。


「理屈はわかった。しかし、杖の長さに加えて紐の長さがある。果たしてそれを振り回せるのか?」

「縦に振るつもりですが、ぐるぐる回すことはできません。一撃で上天から投げます」


 一本釣りのように、後ろから前に一息で投げると言う。


「それで十分なスピードが出せるか? ――そこで長さが物を言うのか」

「はい。杖と紐を合わせれば、紐だけを振るより3倍から4倍の長さになります」


 角速度が同じなら周速度は半径の長さに比例する。杖と紐を使えば、一気に投げても十分な加速が得られるのだ。


「良かろう。やってみなさい」

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