第483話 それにしても思い切ったことを。

 その瞬間、ジェニーは自分が守る台車を横に向け、思い切り足で蹴りつけた。台車はガラガラと競技場のエンドラインに沿って走って行く。

 一方、ジェニーは台車には目もくれず、フロントラインを目掛けて疾走した。


 アキが慌てて放った矢は、横行している標的から大きく外れてしまった。


「そうか! 前に出て20メートルの距離からダメージを稼ぐつもりか!」


 トーマが叫んだ。


 30メートルの距離から放った矢と、20メートルの距離から放った矢とでは当たった際の威力がまるで異なる。距離が遠くなればなるほど、空気抵抗を受けて矢の勢いがなくなるのだ。


「台車の側を離れてはいけないという規則はないからな。それにしても思い切ったことを」


 スールーはジェニーの思い切りに感心した。

 ジェニーはもう台車に戻ることはできない。1分という制限時間がそれを許さない。試合終了まで彼女の標的は無防備に揺れていることになる。


 フロントラインにたどりついたジェニーは、素早く矢をつがえ、標的に放った。

 息も乱さず、機械のように正確に、3秒に1射のペースで矢を放つ。


あの距離20メートルでは、誤差も何も関係ない。振り子の頂点を狙わなくても当てられるわけだ」


 ジェニーがフロントラインで射撃を始めたのは試合開始後45秒。残り時間を考えると5本の矢を当てられる。


「当てた矢の数ではアキの勝ちだが、与えたダメージの総量ではジェニーが逆転するぞ」


 素早く計算したスールーが声を上げる。


 その時、アキが逆襲に出た。自分の台車を強く蹴ったのだ。

 アキの台車もジェニーのものと同じようにエンドラインに沿って走り出した。


 アキ自身は、これまたジェニー同様前に向かって疾走する。


「むうっ! どうなる? これは微妙だぞ」

「アキが前陣から矢を当てたら、リードを守れるかも……」


 残り5秒、アキが最前線から標的を撃ち始めた時、ジェニーが動いた。


「馬鹿な!」

「えっ? それが狙いだったか!」


 スールーたちは驚愕した。ジェニーが弓を放り捨てたのだ。

 次の瞬間、アニーは愕然がくぜんとして口を開けた。


 腰の後ろに手を回すと、ジェニーは投げ斧トマホークを振りかぶった。


「決め手はそれか!」


 サントスが叫んだ。


「やぁああーっ!」


 気合もろとも、ジェニーは斧を標的目掛けて投げつけた。外せば後がない、乾坤一擲けんこんいってきの一投であった。


 回りながら頭上に放物線を描き、投げ斧が通り過ぎていくのを見て、アキは必死に矢を放った。もう彼女にできることはそれしかない。


 アキがフロントラインから2本の矢を的中させる間に、ジェニーの斧は深々と標的に突き立った。


 1分の試合時間が過ぎ、勝敗は審判によるダメージ評価に委ねられた。

 判定の結果、投げ斧によるダメージが貢献し、わずかにジェニーのポイントがアキを上回った。


「最後の最後に投げ斧とはね。正に作戦勝ちというところかな」

「よくも的に命中させたもんだぜ。20メートル先の動く的だ。余程自信があったんだな」

「技も見事だが、精神力の勝利」


 サントスの感想がすべてであった。残り5秒での1投にすべてを賭ける。

 作戦とはいえ、誰にでもできることではなかった。


「魔術試技会なんて、僕には関係ないと敬遠していたんだけどね。案外と面白いものだね」

「本物の戦いとは違うが、試技会には試技会なりの戦略ってもんがあるのさ」


 スールーの感想に、トーマが知ったような口を利く。他の2人に比べれば自分の方が詳しい知識を持っているという状況を、楽しんでいた。


「おっ? 次は面白い奴が出てくるぞ」


 トーマは見知った顔を見つけて言った。視線の先には競技場に入ろうとするジロー・コリントの姿があった。


「ああ、確かステファノに因縁をつけた・・・・・・お貴族様だったか?」


 スールーはステファノたちが入学した直後のトラブルを思い出していた。


「1学期は魔術試射場を出禁になったそうだが、十分な練習はできたのかな?」

「今学期は試射場に来ていたようだぜ。俺とは時間帯が違うので顔を合せなかったが」


 3人の中で唯一試射場に出入りしているトーマが言った。ジローが試射場に戻ったという情報は、クラスメイトから入手していた。

 ジローは仲間とつるむことを止めて、1人で現れ、黙々と試射を繰り返していたらしい。


「あいつの得意は風属性で、火もそこそこには使えるって話だったね」

「ああ。聞いた話では入学当時より腕を上げているそうだ。だとしたら、結構な実力者ってことになる」

「生意気なだけじゃない。これまでの出場者とはまとうイドの濃さが違う」


 静かに試合を見ていたサントスが、前髪の陰で目を光らせた。


「ん? そう言えば、あいつ雰囲気が変わったな」


 トーマも何かに気がついた。同じ魔術学科生徒としてトーマは毎日のようにジローの顔を見て来た。その彼がジローの変化を、今感じていた。


 17歳は成長期である。肉体的にはある程度大人の体になっているが、精神的にはまだまだ成長が続く。

 今日のジローは昨日のジローではない。


 それはアカデミー生の誰にでも起こりうることであった。


「妙に落ち着きが出たな。休みの間に何かあったか?」


 スールーがジローと顔を合わせる機会は少ない。ごく普通の学生が「変わる」としたら、長期休暇の間に事件が起こったのかと想像していた。


 ジローの相手、ウォルシュという男子生徒が競技場に進み、開始線に立った。


「こっちの男は2年生だな。顔に見覚えがある」


 さすがにスールーは顔が広い。学科が違う生徒でもある程度見知っていた。


「魔術師同士の試合。防御魔術の存在が作戦に影響するはず」

「そうだな。それに距離を取るのか、威力を重視するのか。それとも手数に頼るか?」


 サントスとトーマはそれぞれに試合の見どころを考えていた。

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