第473話 人を10人も殺せば、名は残る。

「先生、これは……?」


 ジローは差し出された指輪を前に、戸惑いを隠せなかった。


「これは我が師より受け継いだアーティファクトだ。次の世代であるお前に託す」

「先生、わたしはそのようなものを引き継ぐ資格など……」


 アーティファクトすなわち国宝級の遺物である。ジローは戸惑い、受け取ることを躊躇ためらった。


「資格? 資格とは何だ? 生きるためには資格が要るのか? 誰が資格を認めてくれるのだ?」

「先生、わたしはまだ何者でもありません」


 ジローの言葉を聞いて、マランツは口をつぐみ、目を細めた。


不遜なことだな・・・・・・・。お前は『何者かになれる』つもりでいるのか」

「そんな……」

「何者とは誰だ? どこにいる?」


 マランツはごまかしを許さなかった。鋭い語気でジローを追いつめる。


「わたしはただ、世に名を残すような魔術師になりたいと……」

「人を10人も殺せば、名は残る」


 マランツの唸るような言葉を聞き、ジローは息をのんだ。


「ふん。そうではないのだろうな。『偉大なるジロー・コリント』として人々の記憶に残りたい。大方そんな夢を描いているのだろう。違うか」

「……はい」

「覚えておきなさい。人間の価値は『誰であるか』では決まらぬ。価値を決めるのは、『何を為すか』だ」


 マランツは一転して優しく語った。


「お前が誰であるかなど、どうでもいい。この指輪にふさわしいかどうかは、お前がこれから何を為すかによって決まるのだ」


 マランツはジローの手を取り、指輪を握らせた。


「名前を残すかどうかなど、どうでも良いのだ。お前の価値はお前自身が決めることだ。この指輪にふさわしい人間として行動すれば、それで良い」


 そこまで行って、マランツは目を落とした。


「……わしは到底ふさわしいなどと言えなかったがな」

「先生、そんなことは!」

「気を使わんでいい。わしが残したのは人殺しの二つ名と、空の酒瓶だ。……いや、そうでもないか? 良き弟子を残したと言ってもらえるかもしれん」


 マランツは傍らのヨハンセンを見やって、微笑んだ。


「アーティファクトを生かすも殺すも、持ち主次第だ。お前が思う通りに、価値あることに使えば良い」

「先生、わかりました」


 ジローは指輪を握り締めて頷いた。


「指輪の名を『虎の眼』という。魔力を籠めれば、相手の精神に押しつぶすような威圧を与えることができる」

「先程の攻撃は、この指輪によるものでしたか」

「いかにも。威圧の大きさは籠める魔力の大きさによる。敵が近ければさほどでもないが、距離が遠くなるほど籠める魔力は大きくなければならん」

「敵に近い程、効果が大きいということですね?」


 ジローは指輪に顔を近づけた。金で作られたと思しき指輪には、「眼」のような意匠が彫られていた。


「威圧の効果を得るためには、その『眼』に相手の姿を映す必要がある」


 マランツはジローに威圧をかける際、さりげなく指輪を動かしてジローに「眼」が向くようにした。


「他にも制約がある。指輪を使っている間は、魔術を使うことができん。魔力の全てを指輪に集中させる必要がある。そして、もう1つ――」


 マランツは悲し気な表情を浮かべた。


「指輪は使う度に、使用者の精神をもむしばむ」

「先生、それは!」


 ヨハンセンが驚きに声を上げた。


「使い過ぎれば心が病む。いわば諸刃の剣だ」

「では、先生はその指輪のために……」


 ヨハンセンはマランツが酒におぼれた理由を初めて知った。

 それまでは戦いに心を折られたのだと思っていた。すべては心の弱さによるものだと。


 そうではなかった。


「わしの弱さが原因であることに違いはない。わし程度の術者が生き残るには、指輪に頼るしかなかったのだ」

「そんな……」


 何か言わんとするヨハンセンを手振りで押しとどめ、マランツはジローに語りかける。


「結局、わしは指輪の力に負けた。だから、ジローよ。お前はそうなるな」

「先生……」

「お前の心はわしよりも強い。お前はその肩に伯爵家次男という重荷を背負って生きてきた。ジロー、虎をねじ伏せて見せよ」


 マランツは重荷を下ろした者の表情で、ジローを見た。


「先生は負けてなどいません」


 何かをこらえるようにジローは言った。


「ジロー……」

「このひと月、身を削ってわたしを導いてくれたではありませんか? 酒を遠ざけ、わたしのために立ち上がってくれたではありませんか!」


 膝に置かれたジローの両手は、きつく拳を結んでいた。


「わたしは『疾風のマランツ』の弟子として、魔術試技会に全力を尽くします!」


 コリント伯爵家次男としてでなく、魔術師マランツの弟子として人の記憶に残って見せると、ジローは宣言した。


「ありがとう、ジロー。ならば、試技会までに『虎の眼』を使いこなせ。ヨハンセン、すまぬがお主がつき合ってやってくれ」

「わたしがですか? 構いませんが、先生が見てやった方が早いのでは……」

「そうしてやりたいのは山々なんだが――」


 マランツは目をつぶった。


「わしにはもう魔力が練れん」


 そう言うと、マランツはゆっくり崩れ落ちた。

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