第452話 ミョウシンさんに鎧は似合わない気がします。

「ステファノ、観てください!」


 ある日の柔研究会でのこと。ミョウシンはうきうきした様子でステファノを手招きした。


「どうしました、ミョウシンさん?」

「わたくしもイドの繭をまとえるようになりました!」

「おお! 本当ですか?」


 ミョウシンは目を閉じて口中に真言マントラを唱えた。


「オム・マニ・ペメ・フム……開け、紅蓮華ぐれんげ!」


 薄い、薄い絹。ベールのような布をふわりとまとうように、ミョウシンの体をイドの繭が覆った。

 紅蓮華と呼んだ名前の如く、薄紅に染まっていた。


「これは……羽衣のような」


 昔話で天女がまとっていたという羽衣を思わせて、ミョウシンのイドは薄絹のように軽く見えた。


「今の呪文は何かの祈りでしょうか?」


 ミョウシンの表情は神に仕える巫女の様であった。


「遠方の山国に伝わる祈りの言葉と聞きました。『心を清め、慈悲をたたえる時、真理に至り悟りを開く』と」

「始まりと終わりが『阿吽あうん』に似ていますね。同じ1つの真理を指し示しているのかもしれません」


 ミョウシンにふさわしい成句だと、ステファノは思った。


「ステファノにはわたくしのイドが観えるのですよね?」

「ミョウシンさんには観えませんか?」


 イドの繭、いやイドの衣をまとうに至ったが、ミョウシンにはそれを観る第三の眼が開いていない。

 皮膚の感覚として、「そこにもやもやとしたものがある」と感じるのみであった。


「わたくしのイドはこれ以上厚くも硬くもできないようです。鎧にするのは無理でした」


 少し悲し気に、ミョウシンは呟いた。


「良いんじゃないですか? 柔に鎧は必要ないでしょう。それに……」

「何ですか、ステファノ?」


「ミョウシンさんに鎧は似合わない気がします」

「まあ……ふふふ。そうですね。いかつい鎧はわたくしには不似合いでしょう」


 ステファノの何気ない一言でミョウシンは元気を取り戻した。


 その日、ステファノはイドの鎧ならぬイドの羽衣を動かす練習方法を、ミョウシンに指導した。ミョウシンのイド操作はいかにもミョウシンらしく、堅牢な防殻にはならないものの、するりと攻撃をそらせる目的に適していた。


(なるほど。こういう使い方もあるのだな)


 ステファノが感心するほどに、ミョウシンには「イドの羽衣」が似合っていた。油でもまとっているように、ミョウシンを掴みに行く手は滑り、そらされてしまうのだった。


 ミョウシン自身は――実際に油をまとっているわけではないので――相手を掴み、投げることに何の支障も存在しない。滅法組手に強くなったという結果だけが残る。


 ステファノが魔核混入マーキングを使えば、ミョウシンのイドを侵食することができる。しかし、掴みかかった一瞬でミョウシンのイドを染め変えることはできない。魔核マジコアを同調させようとするわずかな時間に、ミョウシンはステファノの手からすり抜け、技を仕掛けることができる。


 ステファノは「掴まずに投げる」という高度な技を繰り出すしかなかった。これは柔の鍛錬である。柔研究会では「当て身技」を禁じ手にしていたので、投げが修練の中心なのだ。


(たとえイドの守りがあっても、バランスが崩れれば人は倒れる)


 それはどんな達人でも避けられない、宇宙の法則であった。


 ステファノ側に傾いていた組手の力関係が、再び互角に戻っていた。

 ミョウシンは流れるように自然な足運びで襟、袖を取りに来る。対するステファノは組むことを諦め、接触した瞬間にミョウシンの重心を崩そうとする。


 掴めばミョウシンのペース、離れればステファノのペースという高度な攻防が繰り返された。


 接触の瞬間に投げるという努力はステファノの技に精妙さを加えた。タイミングとポジション取り、そして力の角度が物を言う。


 それを受け流して掴みに行くという努力はミョウシンの体裁きと組手手順を、未だかつてない高みに押し上げる。


 ステファノがイドの繭でミョウシンの腕を絡め取ろうとすれば、ミョウシンは羽衣を脱ぎ捨てるようにその罠から脱出した。

 懐に踏み込んだミョウシンが襟を取ろうとすれば、ステファノは胸を守るイドを厚くしてその手をはねのける。


 ミョウシンの上達に合わせて、ステファノが使うイドの技も、より厳しいものになって行った。


(イドで守りを固められると、普通に手を伸ばしただけでは掴めない)


 ステファノに対する攻めを繰り返しながら、ミョウシンは次の一手を考えていた。


(イドに対するはイド。わたくしもイドを動かせれば、ステファノに迫れるはず!)


 ミョウシンは工夫を試みた。まとったイドを硬くしてみた。先をとがらせて、力を一点に集中してみた。大きく広げてステファノを包み込もうとした。

 そのすべてをステファノの第3の眼が観極め、虹の王ナーガが無効化した。


(ミョウシンさんのイド制御がハイレベルになって来た。次はどう来るか?)


 その時、ミョウシンは天啓を得た。イドの本質に逆らってはいけない、と。


(オム・マニ・ペメ・フム……)


 ミョウシンの身を覆うイドの羽衣が、真紅に染まった。


紅蓮華ペメ」とは釈迦の故郷に咲いた蓮の花。そして、宇宙の真理を表わす――。


 ミョウシンのイドは薄く、頼りなく見えて、絶えず変化する。動き、流れてひと時も留まることがない。


 ステファノの胸元に触れたミョウシンの手から真紅のイドが流れ出す。それは厚く固められたステファノのイドに触れ、砂糖に白湯を注ぐようにするすると溶かし、流し去った。


 自然に伸ばされた細腕がステファノの襟を取ったかと思うと、いつの間にか袖も掴み取られていた。


(いかん!)


 背負い投げの動きで飛び込んで来るミョウシンに対し、ステファノは一瞬で脱力した。

 くたくたと古い毛布のような塊になり、重力に任せて床に落ちていく。


 ミョウシンに先手を取られた以上、投げのタイミングは外せない。体を硬くして抵抗すれば、むしろ柔の理合いで投げやすくなってしまう。無理な抵抗を止めて、扱いにくいぬかるみになる。

 ステファノが選んだのは、裏を取るための時間を稼ぐ道であった。

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