第451話 旦那様もかつてこの試練を乗り越えたはずだ。
「魔術医療(初級)」はステファノにとってつらい授業だった。
「今日は麻酔について学んでもらいます」
教卓には金網で覆われたケージが置かれていた。ケージの中には、一匹のモルモットが入れられている。
「今日の授業ではこのモルモットに麻酔をかけます」
講師のラフテルはクラスの生徒に宣言した。
「麻酔とは薬物を服用した効果によって、一時的に痛覚を失わせることです。試用薬物や服用量によって、全身麻酔、局所麻酔の区別があります。全身麻酔は脳に作用し、完全に意識を失います。一方、局所麻酔では意識を残しながら特定部位の痛覚のみ麻痺させます」
その日の授業ではエーテルを使ってモルモットに全身麻酔を施した。
「このように鼻と口を覆った布に液体のエーテルを垂らし、気化したものを吸引させます」
魔術での医療手段を学ぶためには、薬品などの通常手段がどのようにして働くかを実際に見届ける必要がある。用量が多すぎたり、少なすぎた場合に何が起きるかも自分の目で見届けなければならなかった。
教科書だけの知識では術理に落とし込むことができない。魔術でエーテルを合成するのではなく、
ほとんどの生徒は目で見たものを魔術で再現することができなかった。
これが「熱を加える」とか「雷気を流す」という内容であれば対応できる者もいる。属性魔術に近似しているからである。しかし、麻酔の効果を再現するとなると、その因果を認識することが難しい。
実のところ麻酔がなぜ効くかという疑問に、我々の世界でさえ医学は確たる答えを持っていない。生体の不思議というしかないのだ。
ステファノはエーテルを吸引したモルモットの体に何が起きているかを、第3の目で詳細に観察した。単に、物理的な変化だけでなく、イドのレベルの変化をも観察し、記録したのだ。
過剰投与や、投与不足のケースについてもモルモットの生体反応がどう変わるかを観察した。
眠りから覚めず、そのまま死んでいくケースや、麻酔が効かず体を切られる痛みに暴れるケースも観た。
それは肉眼で見るより数倍惨たらしく、悲惨なものであった。
(旦那様もかつてこの試練を乗り越えたはずだ。何百種類という薬種について、その性質を学び、確かめて来たんだ)
ひきつろうとする顔面を手で押さえながら、ステファノは目をそらさずにモルモットを観続けた。
◆◆◆
モルモットやラットの観察を続ける内に、ステファノの精神状態が変化した。感情を持った自我と、感情を持たない自我とが分離したような感覚を覚える。
感情を持たない客観的な自我は第三者の視点で自分の姿さえ俯瞰して見ていた。
(これは……
それは魔道具ネットを通じて
(それなら、ナーガに観察と制御を任せられる)
(有為の奥山、今日越えて……)
スタファノは内心に成句を
すると、微細単位での処方制御が可能となり、麻酔魔法の精度が劇的に向上した。
「おお! これは見事ですね。効果の持続も完璧です」
ラフテルは手放しでステファノの手際を褒めた。
それからの授業はステファノにとって順調に進んだ。心の柔らかい部分では実験体となる小動物を憐れみながらも、理性は知識のすべてを吸収しようと被験体の反応に目を凝らした。
その甲斐あってステファノは、救命治療を含む基礎的な医療法を魔法で再現できるようになった。
◆◆◆
ある日、ステファノは第2試射場にモルモットのかごを持ちこんだ。
「何だ、それは? また使役獣とやらを増やしたのか?」
「ドリーさん、違います。これは実験動物です。今日はこいつを標的に見立てて試射してみても良いですか?」
ステファノはモルモットをドリーに見せながらそう尋ねた。
「血なまぐさい真似はごめんだぞ? そいつを殺さないなら試射を許そう」
「ありがとうございます。もちろんこいつには怪我もさせません」
ステファノはいつもの通り、20メートルの距離にモルモットの入ったかごをセットした。
「医療魔法を使います」
「そういうことか。よし。5番、医療魔法。任意に撃て!」
ステファノは半身になってヘルメスの杖を構えた。
「飯屋流隠形五遁! 春花の術!」
目に見えた変化は何もなく、かごの中のモルモットも動き続けていた。
「ん? どうした。失敗か?」
ドリーが不審気に目を凝らすと、モルモットの動きに変化があった。動き回る勢いが弱まり、やがて立ち止まったかと思うとことりと横になった。
「む、何をした? 殺したのか?」
魔力の動きはドリーにも観えた。しかし、何をしたのかがわからない。属性魔術ではなかった。
「眠らせただけです。すぐに目を覚ますでしょう」
「春花の術と言ったな? 眠り薬をまいたのか?」
ドリーは思わず口を覆いながら、ステファノに尋ねた。
「薬ではありません。薬の効果を再現しました」
「薬の効果だと? また器用なことを」
それからステファノは医療魔法の何たるかをドリーに説明した。
「ふうむ。まるでクサッツの温泉だな」
「何ですか、それは?」
「山の中に湧き出る天然の湯だ。それに身を浸すと、万病に効果があるそうだ。『医者要らず』と呼ばれているらしい」
「へぇ。それは良さそうですね。機会があれば一度行ってみたいです」
無事に目を覚ましたモルモットを見ながら、ステファノは無邪気に瞳を輝かせた。
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