第437話 ノリス、君は失格です。

 教室から出てはいけないという禁止事項は無かった。自分の順番までに戻ればチャレンジに参加できる。


(登場の仕方でわたしを驚かすつもりか? しかし、名前を呼ばれてからでなければ意味がないのだが……)


 アングリットはステファノの行動を視野の隅に納めていたが、逆に行動の選択肢が狭まり、不利になるのではないかと思っていた。

 それよりも他の生徒の動向を視野に入れて置こうと、チャレンジ開始までの5分間、特定の人間にはあえて焦点を合わせずぼんやりと全体を眺めていた。


「さて、それではチャレンジを開始します。ノリス!」

「あの、僕はパスします!」

「そうですか。では、次……」

「ダァアアアアアッ!」


 アングリットが次の生徒を指名しようとした瞬間、ノリスは会場を揺るがす大声を発した。彼は「大声」のギフトを持っていた。


「ノリス、君は失格です」

「えっ? でも、まだ次の生徒の指名前でしたよ?」

「君は自分で『パスする』と宣言した。その段階でチャレンジ権利を失っています。持ち時間を使い切ったのと同じことですね。その後の行動は審査の対象外です」

「そんな……」

「明確に述べたルールを理解できないのは、能力不足と言われても仕方ありません。ああ、君の行為は講義の妨害に当たりますので、受業態度不良として相応の減点となります。では、次。ミリア!」


 肩を落としたノリスを見て生徒たちは一斉に動揺した。彼と同じような不意打ちを考えていた者が複数いたのだ。

 ルール逸脱に対して罰則が存在することに委縮した者も多かった。


 結局、クラスの4分の3が棄権した。


 勇気を失わずチャレンジに参加した生徒は、変顔を見せたり、大きな音を立てたり、閃光を発するなどの工夫を示した。アングリットにとってはことごとく予想の範囲内であり、彼女を驚かせるには至らなかった。


 天井に向かって火球を放った者は、術をかき消された上、一発退場処分となった。


「やれやれ、器物破壊は禁止だと言っておいたのに。次は、ステファノ! 入って来なさい!」


 廊下に出たきり戻っていないステファノに、アングリットは声をかけた。


「持ち時間のカウントは始まっています。1分経ったら次の生徒に進みますよ」


 ステファノにというよりはクラスに向かって、アングリットは宣言した。

 その間も、いつ乱入されても驚かないよう、心の備えは忘れなかった。


 30秒が過ぎ、40秒が過ぎた。


 依然としてステファノは姿を見せない。


(このまま現れないつもりだろうか? それとも、諦めて逃げたのか?)


 残り10秒となり、アングリットは秒読みを始めようと口を開いた。


「じゅ……」

「ピー」

「えっ?」


 片手に持った懐中時計の上に、小さな白いネズミの様な生き物が乗っていた。


「何だ、お前は? どこから来た? うん? 確かステファノの――」

「そうです。俺の使役獣です」

「うわわっ!」


 てっきり廊下にいると思っていたステファノが、アングリットの隣に立っていた。


「戻れ、雷丸。ハウス!」

「ピー!」

「いや、頭じゃなくてハウスの方だって……」

「ピー……」


「お、お前。いつの間に?」

「えぇと、ずっとここにいました」


 陽炎かげろうの術であった。

 アングリットには教室を出る自分の姿を見せ、クラス全員からは自分の姿を隠した。


 ところが、実際は教壇に歩み寄り、アングリットの隣に立ったのだ。


「そんな……」

「ルールに従って、時間内に先生を驚かしたと思いますが?」

「ぐっ……」


 確かに数秒を残したところで、アングリットはステファノの気配に驚かされた。


 「いない者」をいると見せて、ステファノはアングリットに自身は教室を出たと錯覚させた。

 逆に、「いる者」をいないと見せて、隣に立つ自分をアングリットとクラス全員から隠して見せた。


 アングリットが言った心理誘導を実演したステファノであった。


「……合格だ。魔術心理学初級から上級までの3単位修了を認める」


 絞り出すようにアングリットは結果をアナウンスした。


「あれ? 上級まで合格ですか?」


 ステファノは意外に思い、問い返した。確かに心理の裏を突いたが、それほどの工夫ではない。初級か中級止まりだろうと考えていた。


「幻術が並外れていた。同時に2つの幻を見せるなど、学生レベルでは聞いたことがない。幻術マスターと呼ばれるクラスに相当する」

「ははあ。アバターに任せたお陰ですね」


 ステファノのアバターである虹の王ナーガは分身である。部屋を出る幻影と、本体を隠す幻影を2体の分身が操った。

 ステファノ本人は「指揮者コンダクター」として「そうあれかし」と願うだけで良い。


「たとえ視覚を奪われても気配けはいを見失うことはないと自負していたのだが」


 アングリットはイドを察知する能力を有していた。ステファノが透明になったとしても、居場所はわかる。


「隠形五遁の術ですからね。気配も偽装しました」


 ステファノは魔核混入マーキング逆・魔核混入デマーキングを駆使して、自分の気配を巧みに偽装した。

 そこまでやってのけてこその「飯屋流陽炎の術」であった。


「そこまで読まれていたか?」

「チャレンジのルールを聞いて、先生は気配察知ができると予測しました。なので、それを逆手に取れば意表を突けるかなと」

「ふふふ、見事だ。わたしの完敗だったな」


 アングリットのクラスでチャレンジ成功者はステファノ1人であった。

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