第384話 『可能性のビジョン化』というべきじゃないかな。
「未来予知ということになるのかね?」
マルチェルのビジョンを聞き取ったネルソンは、その意味を考えていた。
「予知と言うと言葉が強すぎる。『可能性のビジョン化』というべきじゃないかな」
ドイルの見方はやや慎重であった。
「僕は決定論という奴が嫌いでね。未来というものは決まっていないと考えたいんだ」
「決まっていないと言い切らないのか?」
マルチェルが尋ねた。
「論証が不可能だからね。論ずる価値がないのさ」
それでもドイルは未来は決定していないという前提で生きていきたいのだという。そうでなければ生きる甲斐がないと。
「『可能性のビジョン』とはどういう意味かね?」
「ステファノが言う『砂時計』に近いかもしれない。無数のパターンの過去から現在の1点が選択され、そこを起点にまた無数の未来に枝分かれして行く」
「イデアには揺らぎがあると言っていた件だね」
「マルチェルの場合はステファノよりもずっと近い未来、0.5秒とか1秒先の未来をビジョンとして幻視するのだろう」
未来に揺らぎがあるために、ビジョンも靄のように不確定要素を含んでいるというのがドイルの見立てであった。
「ステファノ、お前も組手の際相手の気を読むと言っていたが、感覚は同じものかね?」
「いえ、俺の場合体の一部に気が満ちるのを光として感じるだけです。動きとしては観えません」
陽気である「始原の赤」。そのきらめきが、これから動かそうとする部位に走るのだ。
「同じ知覚系のギフトでも現れ方は人それぞれなのだな」
ネルソンが感想を漏らした。
「恐らくギフトの特徴が進化の方向に反映されるのだろうな」
主観的時間の延長という性質を持つマルチェルのギフトは未来方向への知覚範囲拡大という進化をみせた。
イデア界への接続を特徴とするステファノのギフトは、イデア全般のより深い知覚をもたらそうとしている。
対象物の主観的価値評価を基本とするネルソンのギフトはどのような進化をもたらすのか?
「マルチェルにも
ネルソンは会話のほとんどをドイルに任せて、自身はマルチェルの健康状態を推し量っていた。
「私のギフトは地味だからな。あまり期待しないでおこう」
「ですが、俺には旦那様のギフトが一番魔術師向きに思えます」
控えめなネルソンの自己評価に対してステファノの見方は違うようだった。
「ほう? 魔術師向きとはどういうことかね?」
「はい。旦那様のギフト、『テミスの秤』は観察に集中しています。しかも、自分の役に立つかどうかという尺度での評価ができる。きっとイデア界への関与を前提としたギフトに違いありません」
「なるほど。根拠は弱いが、あり得ない命題ではないな。可能性として保留しておこう」
ステファノの考えをドイルは冷静に評価した。仮説と検証を繰り返すステファノの研究姿勢は、指導者として納得できるものであった。
「まあ、やってみればわかることだ」
その言葉とともに、ネルソンは太陰鏡を額に当てた。
「ステファノ、頼む」
「我、ステファノの名において
◆◆◆
「何を測りたいの?」
天秤ばかりを手にした少女が私に問いかける。年はせいぜい6、7歳であろうか。
金色の髪に、珍しい紫の瞳。この辺ではあまり見かけない外見だ。服装もゆったりとしたトーガのような白い服で、当世風ではない。
「あなたは何を測りたいの?」
少女は視線を動かしもせず、先程の質問を繰り返した。
「さて、私は何を測りたいのだろう。人の生死は随分見てきた。栄枯盛衰にも興味はないな。金も名誉もほしくはない」
自分の心の内を推し量りながら、ネルソンは少女の問いに答えた。
「それならあなたは何を望むの?」
「望みか……。飢えのない世界、戦のない世界を見てみたいな。誰もが薬を買える世界、誰もが教育を受けられる世界を見てみたい。誰もが望みを口にできる世界を、私は望む」
非現実感を覚えながらも、ネルソンは偽らざる本音で少女に答えた。夢の中だからこそ、隠すことなく己の願望を伝えた。
「そうなの。それじゃあ、この秤では足りないわ」
少女は
「これがいいわ。これならきっと『世界』を載せても壊れない」
「世界を載せるとは大仰だな。釣り合う重りがあるのかね?」
天秤ばかりは左右の重さが釣り合わなければ重さを測れない。世界に釣り合う重りがあろうか?
「あら、違うわ。『世界』が重りなのよ」
「はて、私は何を測るというのかね?」
少女はにっこりと微笑んだ。
「あなたが測りたいものは『希望』でしょう?」
そう言って少女は黒鉄の秤を差し出した。
◆◆◆
「夢を見た」
「旦那様?」
「どうやら私は勘違いしていたらしい」
不思議とネルソンは落ち着いていた。具合を案ずるマルチェルを逆に思いやる余裕すらあった。
「何か変化がございましたか?」
何かを察したように、マルチェルは尋ねた。
「変化か……。いや、変化は
「それはどのような?」
「私は測るべきものを間違えていた」
そういうネルソンをマルチェルは静かに見つめた。
「私は目の前のものが自分にとって価値あるものかどうか、それをギフトで測ってきた。そのつもりだった。しかし、それは逆なのだ」
「逆と申しますと?」
「測るべきは常に自分の目標であった。目標と釣り合う重りが何であるのか? 私はそれこそを問うべきだった」
さばさばとした表情でネルソンは語った。
「その目標とは?」
「誰もが願いを口にすることのできる世界。願望を追求しても許される世界。望みを奪われることのない世界。それが私の目標だ」
ネルソンには一切の迷いがなかった。
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