第383話 3月の研究報告会を楽しみにしていよう。

「ドイルが言うことにも一理はある。だが、ステファノがアカデミーを卒業できるまでは十分な保護を与えてやれない。せめて卒業まで自重しろ」


 ネルソンがドイルに引導を渡すように言った。


「まあ良いさ。2学期が終わるまでだな? 3月の研究報告会を楽しみにしていよう」

「それで結構だ。報告会が終われば後の日取りはおまけ・・・のようなものだ。堂々とステファノの周囲を警備で固めるさ」


 平常のアカデミーに外部の人間を送り込むことには限界がある。ステファノを狙う「敵」とてそれは同じことであった。

 単独行動の襲撃や誘拐であれば、今のステファノなら十分迎撃できる。仲間への加害は護身具タリスマンで対応できるだろう。


 問題は研究報告会の特殊環境であった。


 報告会には各界の勢力が様々な名目で調査人員を送り込む。単なる調査であれば実害はないが、調査を隠れ蓑にした襲撃隊を送り込まれるケースが考えられる。


 こちらもそのつもりで守りを固める必要があった。


「3月の研究報告会は1年の総仕上げであり、魔術競技会を兼ねているからな。あの熱気は祭りのようなものだ。どさくさ紛れに何が起きてもおかしくない」

「どうせお祭りだ。仕掛けられたら返り討ちにするまでさ」

「勇ましいことだ。まるで自分で戦うようなことを言う」

「まさか。戦闘だの、闘争だのと血なまぐさいことは僕の好みではない。君たち肉体派諸君に任せるさ」


 血気盛んなことを言いながら、ドイル自身が戦いに身を投じるはずもない。高見の見物を決め込むだけであった。


 ドイルの主戦場は研究報告会で様々な新技術を打ち出した後、その実用化フェーズであった。実験で成功したものが、実社会で使える技術として成り立つとは限らない。

 実用システムには何にもまして「堅牢性」と「経済性」が求められる。


 そしてこの2つは得てして両立しない。しばしば二律背反を起こすのだった。

 両立しがたい2つの要素をなだめすかして収まるところに収めるのがエンジニアリングである。


 革新的なエンジニアリングには、革新的な発想が必要である。そこにこそドイルの存在意義があった。


「並列処理とやらが手に入りそうなんでね。なるべく難しい問題を見つけてほしいものだね」

「いい気なものだ。次はわたしの番ですな」


 ご満悦なドイルを横目に見ながらマルチェルが太陰鏡ルナスコープを手に取った。


「ステファノ、万一ということがある。太陰鏡をつけ終わったら、わたしの手足をイドの戒めで縛ってください」

「マルチェルさん……」

「気にする必要はありません。ヨシズミ、もし私が暴れ出したら雷気で気絶させてください」

「引き受けた」


 マルチェルはヨシズミと視線を交わし、太陰鏡を額に装着した。

 

「ステファノ、お願いします」

「心の闇を払え。太陰鏡発動!」


 瞑目したマルチェルの目蓋がぴくりと震えた。


 無数の蝶が目の前を舞っていた。蝶の羽ばたき一つ一つが、おいでおいでをする手のひらのようにゆっくりと動いて見える。

 太陰鏡発動の瞬間、マルチェルはギフト邯鄲かんたんの夢を呼び出していた。


 引き伸ばされた時間の中、マルチェルは蝶の羽ばたきに目を凝らす。移動した意識もなく、1頭の蝶が眼前に迫る。

 その羽ばたきに意識を集中すると――。


(これは何だ?)


 震えながら動く羽の動きが靄のようにぼやけている。


(なぜぼやける? 蝶の羽ごとき止まって見えるはず……)


 マルチェルは意識の目を更に凝らした。


 (これは……残像のような。いや、違う)


 残像であれば、動いた後に像が残らなければならない。しかし、目の前のこれは違った。


 (動く前の位置に薄い影が見える)


 これから羽が動くであろうその場所に、実態より先に幻影が見えていた。


 (これはイドだ! 動こうとする意を影として捉えたビジョンだ!)


 マルチェルがこれまで見ていたのは「スローモーション」であった。その動きを経験と照らし合わせて、最善のカウンターを出す。それがマルチェルの 戦い方であった。

 それに加えてマルチェルは攻撃の瞬間に高まる相手の「気」を察知することができた。


「気」の察知は体術の鍛錬を積み重ねることにより得た能力である。しかし、察知できる内容は「攻撃の意志」のみであり、どんな攻撃をするつもりなのか、その内容までは推し量れない。


(出される前にパンチの軌道まで読める。これがイドの知覚か……)


 ステファノが自由組手においてマルチェルの動きについていけたのは、この先読み能力によるものであった。


 マルチェルの意識は更に蝶の羽に集中した。蝶の羽が視界いっぱいに拡大され、羽を覆うもやもやしたものが見えてきた。


(これがイドか? なるほど薄っすらと赤い……)


 ステファノが始原の赤と呼ぶ陽気をマルチェルは視覚に捉えていた。


 眼の前の蝶が一輪のバラに止まった。花弁に溜まった朝露が一粒こぼれて地面に落ちる。

 クリスタルであるかのように輝きながら砕け散る水滴のきらめきを最後に、マルチェルの意識は現実に戻った。


「どうだ、気分は?」

「驚きました。わたしのギフトは時間の制約から部分的に解き放たれたようです」


 体調を尋ねるネルソンに、マルチェルは自らが得たビジョンを伝えた。

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