第256話 あなたチューターという制度を知っている?
「ステファノ、ちょっと残ってくれる?」
「はい。わかりました」
片づけの手伝いでもするのかなと、退出する生徒たちを見送りながら、ステファノはぼんやり考えた。
夕方落ち合うことになっているチャンが、後ろ髪を引かれるような顔をしてステファノを見ていた。
軽く手を振ってやると、急に周りの目を気にしておどおどと出て行った。
「さて、あなたチューターという制度を知っている?」
「あの、知りません」
「チューターというのは生徒の中から優秀な者が選ばれ、講師と共にクラス指導に当たる制度のことよ」
副担任とか助教に相当するアシスタント役であった。そう言えば、工芸入門や商業簿記入門の授業で講師の手伝いをしている人がいた。
(あれがチューターかな?)
「あなたにこの講義のチューターを務めてもらいたいのだけど、どうかしら?」
「えっ? 俺ですか?」
おそらく全生徒の中で最も教育レベルの低い自分が、チューターなどに選ばれるとは。ステファノは思わず動転した。
「俺が人を教えるなんて、無理じゃないでしょうか?」
「あら、今日の授業を見た限りでは、ちゃんと指導できていたわよ?」
「あれは薬草を刻むだけだから……」
「調合とはつまるところ、そういうことです」
イボンヌはステファノの謙遜を切って捨てた。
「後は煮たり、焙煎したり、蒸留したり。結局料理と変わらないでしょう?」
イボンヌが言う内容は、確かに料理でも行うことであった。
「薬の調合でも、レシピと言う言葉があるくらいですもの。医食同源と言う言葉は伊達じゃないのよ」
火を扱い、刃物を扱う。ステファノの技能は確かに薬剤調合に不可欠のものであった。
「知識はともかく、技術を見れば他の生徒よりも高いレベルにあるとは思います」
「生徒どころか、そこらの教員より上でしょうね」
本職の調剤師や錬金術師と比べるならともかく、並の教員などよりはるかに多くの場数を踏んでいることは間違いない。1日12時間以上、9年間毎日続けて来たのだ。
人生の半分以上である。
「チャレンジの課題、あなた簡単だと思ったでしょう?」
授業の最後にイボンヌがクラスに課したチャレンジ・テーマは、指定されたレシピに沿って調剤を正確に行うというものであった。切るだけではなく、すり潰し、蒸留し、正確な分量で溶液を混ぜ合わせるという複雑なレシピであった。
「はい。難しいところはないと思いました」
蒸し物や、ソースの調合の方がよほど微妙な火加減を必要とし、神経をすり減らすだろうと思った。
「あなたにとってはその程度の内容だということよ、この講座はね」
1学期を掛けて学ぶだけの意義がない。イボンヌはそう言った。
「チャレンジでスキップすることはできるけれど、それじゃ進歩がないでしょう? もっと深い調合の技術を知りたいと思わない?」
「もちろんです」
料理人の弟子として生きて来た日々がそうさせるのであろうか。ステファノは自分が生きていく道は、やはり何かの物作りに携わることだろうと感じていた。
魔道具師、錬金術師、薬師。自分に適した職業をアカデミー在学中に見つけることができれば、それが一番良いと考えていたのだ。
「だったら丁度良いわ。お昼前の1時間、この講義の準備を手伝ってくれるなら、その後の1時間はあなたに上級の調合技術を教えてあげられる」
火曜2限めの時間帯を作業補助と自分のための勉強に充てないかという誘いだった。
「それはありがたいお話だと思います」
「でしょう? 1学期の終わりにテストをして、必要なレベルに達していたなら、調合の中級と上級について単位を認定して上げられるわよ」
時間を大幅に短縮しながら、マン・ツー・マンでイボンヌの指導を受けられる。早期卒業を目指すステファノにとって、得しか存在しなかった。
「俺で良ければ、ぜひやらせてください」
「決まりね。書類を作っておくので、来週の2限めに研究棟へ来て頂戴。よろしく」
「よろしくお願いします」
アカデミーには勉強しに来たはずなのに、なぜか人を教える機会が増えていくステファノであった。
◆◆◆
柔研究会も一方的にステファノが教えを乞う場ではなくなった。
前半はミョウシンが柔を教え、後半はステファノが鉄壁の型を教える。そういう相互教授の場となっていた。
瞑想法から太極
こうなるとなまなかなことでは崩せない。投げ技の形に入る手前、ミョウシンは多くの手順を重ねなければならなくなっていた。
ステファノの攻めも変わった。意識しなくとも体が動けばイドも共に動く。ミョウシンの重心は、ステファノの誘導により微妙にずれていく。そこにいつの間にかステファノの体が入り込み、行き場をなくしたミョウシンの上体はステファノの体に勝手に乗り上げてしまう。
10本の打ち込み、その最後は投げ切ることになっていた。投げ切るも何も、ステファノが止めなければ早瀬の流れのようにミョウシンはマットに落ちていく。
それが最も自然なことであるかのように。あらかじめ決まっていたことのごとく。
今もステファノの背負いに載せられながら、ミョウシンは不思議な感覚の中にいる。
ステファノに投げられると、少しも苦しくない。
マットに落ちれば衝撃を受けて、息が詰まる。そこは変わらない。
不思議なのは途中だ。
普通投げられる時は「うっ」と苦しくなる。引っ張られたり、押し上げられたりして、筋肉や内臓が押しつぶされる感覚を覚えるのだ。
それが投げの頂点を過ぎたところで解放され、支えのない落下に変わる。
勝負の観点で言えば、投げられる方には「やられる!」という感覚が「やられた!」に変わる瞬間が、投げの途中で訪れるのだ。
ステファノの投げは違う。
最初は同じだった。圧迫から解放へ変わる感覚がそこにあった。
いつからか、それがわからなくなってきた。境目があいまいになるとともに、初めの圧迫が薄れていく。
自分は最初から早瀬を流れていて、ステファノという岩の表面をするりと滑っただけのような。
そしてその岩は、ますます角を失って丸くなっていく。滑らかになって行く。
ミョウシンは投げられることが気持ち良いとさえ感じていた。
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