第255話 ちょっとみんなに見本を見せてもらいましょうか?

「調合とは単に材料を混ぜ合わせることではありません。まず素材を加工するところから始めます」


 素材には植物系の材料、動物系の材料、鉱物系の材料とが存在した。どのように調合するにしろ、初めに細かく粉砕して成分を抽出しやすくすることが多い。


「道具はいろいろです。鉱物系の素材には鉄床かなとことハンマーを使うこともあります。薬研やげんや乳鉢は見たことのある人もいるでしょう。石臼も材料をすり潰す時に便利です」


 もちろん普通にナイフやまな板も使う。これならステファノは誰にも負けない。

 何しろ相手はお貴族様にお金持ちだ。


「ええと、君は作業着……ではないけど、汚れても良い服を着ていますね? 都合のいいことに手袋まで」


 講師のイボンヌは変わった出で立ちのステファノに目をつけた。薬剤の調合は当然ながら汚れ仕事だ。

 作業用にエプロンが用意されているのだが、ステファノを見るとそれすら必要なさそうである。


「はい。このまま作業ができるようにしています」

「そうですか。丁度良い。ちょっとみんなに見本を見せてもらいましょうか?」


 もちろんステファノが平民であることはわかっている。肌の色、話し方から庶民であることも自明だ。

 まともに「生産道具」を使ったことがあるのは、このクラスにステファノしかいないだろうと、イボンヌは判断していた。


「3つの材料、素材を用意しました。乾燥ペパーミント、南天の葉、甘草かんぞうの根です」


 生徒たちは物珍し気にイボンヌの手元を見ていた。ステファノにしてみれば、見たことがないのは甘草くらいであった。


(南天は赤い実が目立つが、今回は葉の方を使うのか)


「最初は1センチ幅くらいに大雑把に刻みます。できますか?」

「はい。包丁には慣れています」


 慣れているどころか、10年近く包丁を握って厨房に立ってきた立派なプロである。

 借り受けたナイフの切れ味を爪の先で試すと、きれいな布で刃を拭い、まな板の前に立った。


 何か言われる前に自前の手拭いを取り出し、口元を覆った。薬剤の粉が舞い上がっても吸い込まないための備えである。


 それからペパーミントの枝を手に取り、手袋をした手でこそぎ取るように乾燥した葉をまな板の上に落とした。葉を落とし終わったら、ステファノは手袋を外し、手を洗った。

 

 散らばった葉を包丁で寄せ、適量を左手で押さえながら1センチ幅に刻んで行く。


 手際に一切迷いがない。


 瞬く間にペパーミントの葉を刻み終わり、元の皿に戻した。


 ナイフの刃に汚れはないが、ステファノは水場に移動し、ナイフとまな板を洗った。

 布で水気を拭い去った後、次に刻み始めたのは南天の葉であった。


 これも瞬く間に刻み終え、皿に戻す。


 乾燥した葉を刻んだだけなので、ナイフにこびりつくものなどない。だが、ステファノは律義にもう一度ナイフとまな板を洗浄し、水気を拭きとった。


 最後に甘草の根をざっくり20センチほどの長さに整えると、まとめて1センチ幅に切り刻む。


 使い終えたナイフとまな板を素早く洗い、水気を切って、ステファノは元の場所に戻した。


「先生、これで良いでしょうか?」

「結構です。手慣れたものですね。経験がありますか?」

「ハーブは使ったことがありますが、料理のためです。乾燥した材料を切ることはそんなにありませんでした」


 イボンヌは手ぬぐいを外したステファノの言葉にうなずくと、クラスに向かって言った。


「見ましたか? 手順は今の通りです。もちろん初めての人は時間がかかると思いますが、慌てずにやってみましょう。それから……」


 ちらりとステファノに目をやった。


「ステファノは一度使うたびに、ナイフとまな板を洗っていました。なぜだかわかりますか?」


 1人の生徒が手を挙げた。


「素材が混ざるのを防ぐためですか?」


 イボンヌは頷いて答えた。


「そうです。今日の材料は問題ありませんが、中には触れ合っただけで質が変わる材料の組み合わせもあります。またわずかな重量の違いで薬効が損なわれてしまうこともありますので、調合に使用する道具は常に清潔を保つ必要があります。必要がなくても洗う習慣をつけておくのは大切なことです」


 イボンヌはステファノに向かって言った。


「指示がないのに、良く気づきましたね」

「親方に厳しく仕込まれたもので」


 料理ではそこまで厳密に道具を扱わない。それでも清潔を保つこと、違う料理に調味料が混ざり込まないようにすることは厳しく教えられた。


『道具を見りゃ職人の顔が見える。鏡だと思って、いつも磨いておけ!』


 バンスはそう言って自分の包丁を見せた。使い込み、すり減った、曇りひとつない自慢の包丁だった。


(このナイフはそろそろ手入れ時だな。授業が終わったら先生に言って、研がせてもらおう)


 ステファノは1つ心覚えを書き留めた。


「それでは、各人、作業を始めてください。手を切らないようにゆっくりね」


 イボンヌは生徒たちが作業を始める様子を見渡しながら、横に立つステファノに話しかけた。


「あなた料理以外の心得もあるの?」

「薬師のお婆さんをたまに手伝ったことがあります。その代わりに簡単な薬草の知識を教えてもらいました」

「だから口元を覆ったり、道具の扱いにも気を使ったのね。わかりました」


「生徒たちの作業を見回るのを手伝って頂戴。危険なことをしないように見てあげて」


 そう言って、イボンヌはステファノと別れて生徒たちを見回りに行った。やることのないステファノも、反対方向の生徒を見回る。


「ああ、きみ、左手はこんな風に丸めた方が良いよ。指をナイフで切らないように」


「もう少し細かく。ゆっくりで良いから幅を揃えてね」


「ただ上から押しつけるだけじゃなくて、まな板の上で前か後ろにナイフを動かすと良いよ」


 ステファノは苦労していそうな生徒のところで立ち止まり、一言二言アドバイスをしてやった。

「何でこいつが」という顔をする者もいたが、先程の手際を見た後である。たいていは素直に言うことを聞いていた。


 ステファノにはそうさせるだけの、「プロの落ちつき」が備わっていた。

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