第2節 情革研の始動
第211話 動き出した情革研。
(さて、商業簿記入門のチャレンジ、どうしようかな?)
週末は工芸入門のチャレンジに時間を割きたいと考えている。何しろ物作りの課題なので、試行錯誤が必要だろう。
魔術発動体のチャレンジはその場で答えられるもので助かった。合格するにしろ、不合格にしろ、課題に割く労力がセーブできた。
魔力操作初級に関しては、「見せ方」だけの問題だ。練習を積めば対応できるだろう。
魔術史の課題は不慣れな論文なだけに、てこずる可能性がある。内容の方向性は決まったので、書き方だけの問題であったが。
(工芸入門の次に、商業簿記のチャレンジが重い内容だな)
1年分の帳簿となると目を通すだけでも時間がかかる。果たして不正個所を見つけることができるだろうか。
(虻蜂取らずになるのが一番良くない。この週末は工芸入門に集中しよう)
来週受ける新授業の内、薬草の基礎と調合の基本はチャレンジで合格できるようなものではないだろう。きちんと知識を積み重ねて行くタイプの学科であるはずだ。
魔術学入門の方は内容次第だ。ドリーによると座学が中心になるらしい。それではチャレンジ合格は難しいだろう。
明日受ける予定のスノーデン王国史、神学入門、万能科学総論もチャレンジは無理だろう。内容の見当もつかない科目である。むしろ授業にしっかり出て、出会ったことのない知識を吸収するべきだろう。
残るは呪文詠唱の基礎だが、無詠唱で魔術発動ができるステファノならチャレンジ合格ができそうだ。
(よし。来週は簿記のチャレンジに集中しよう)
ステファノの長所は、割り切ってしまえばくどくどと悩まないところだ。
すっきりした気分でステファノはサントスの部屋へと向かった。
◆◆◆
「やあ、ステファノ。これで全員揃ったな」
「揃ったと言っても3人だけですけど」
部屋には既にスールーが来ていた。
アカデミーの寮は男女一緒なので、行き来は自由だ。
生徒の中には従者を連れて来ている者もいる。男女を分けるなど今更のことであった。
「ここに座りたまえ」
スールーは自分の横、ベッドのマットを叩いた。
サントスは1つしかない椅子に座っている。
自分で言っていた通り、部屋はよく片づいていた。棚にわけのわからない物が置かれているくらいで、物の少ない部屋であった。
「先ずは僕から報告しようか。人探しについては残念ながら成果なしだ」
魔術に詳しい技術者はそこらにいるものではないらしい。スールーに見つけられないとすると、そもそもいないということだろう。
「その点はこっちも同じ。探したけど皆無」
「今のところはあのトーマが一番有力ってことですね」
本人が名乗り出ているという点が大きい。
「アイツは最後の砦ってことで焦らずにいよう」
スールーは自分に言い聞かせるように言った。
「続いて研究の方だが……」
そう言ってスールーはサントスの顔を見た。
「開発は1日にしてならず」
サントスは憮然とした顔で言う。
「ステファノのために今の状況をおさらいしてくれたまえ」
「情報伝達速度向上について『音』と『光』を検討中」
物理的な運搬に頼る限り馬車の速度が上限となる。
サントスは音と光で情報を伝える手段の開発に取り組んでいた。
「音も光も伝達距離が問題。距離を伸ばすとぼやける」
言葉や文字をそのまま伝えることはできないので、信号に変化して送る。かな文字と数字くらいなら何とか信号でやり取りできそうであった。
しかし、距離に伴う信号の減衰が対策できなかった。
「筒の中で音声を伝えれば減衰を抑えて到達距離を伸ばすことができる」
その事実を発見し、サントスは応用に挑んできた。だが、それも根本的な解決にはならなかった。
十数メートルの到達距離が100メートルになるかもしれないというレベルのものだ。
100メートルの伝声管を作る資金はないので試してみることもできない。
「これは無理を言って鋳造してもらった鉄管だ」
スールーが部屋の隅に立てかけてあった鉄管を持ち出した。赤さびが浮いたパイプは1メートルの長さがあり、ずしりと重い。両端にカップのような物が取りつけてあるのは受話器の役目であろう。
「ステファノそちら側のカップに耳を当ててみろ。僕がこっち側で囁いてみる」
「こうですか?」
サントスが中央を支えている状態で、ステファノは一方の端を持ちカップを耳に被せた。
スールーが反対の端を口元に当てる。
「ふぅー」
「ひぃっ!」
声を送る代わりにスールーはステファノの耳に空気を吹きつけた。
不意を突かれたステファノは思わず、電線管を放り出して飛びのいた。
「な、何するんですか?」
「失礼な奴だな。うら若き乙女の吐息だぞ? ぞくぞくしたろう」
「吐息も何も、耳がぞわぞわしただけですよ」
全身を粟立てたステファノは、耳の穴に指を突っ込んでかき回した。
「ははは。悪い。スールー・ジョークだ。今度は真面目に囁くから聞いてくれ」
「本当ですね。大声を出したりしたら帰りますからね?」
「う、うん。大声を出すのはやめる」
やる気はあったらしい。これだからスールーには油断ができない。
ステファノは何かあったらすぐ耳を離すつもりで、再びカップに耳を当てた。
「……テスト、テスト。わが名はスールー。聞こえるか、ステファノ?」
「聞こえます。囁くだけなのに、本当にはっきり聞こえますね」
「こいつの問題点はだな。まずコストがかかりすぎるところだ。これ1本で鉄を5.5キロ使う」
隣町までの距離が10キロだとすれば、その1万倍の鉄が必要だ。安く見積もっても材料代だけで110万ギルはかかるだろう。運搬費、工事費まで考慮すれば総敷設費用は550万ギル以上になるはずだ。
スールーの実家であれば問題なく出せる金額ではある。だが、隣町まで伝声管をつないだところで
情報ネットワークは広い地域をくまなく結んでこそ、その役割を全うする。
どこか1点で発生した情報を素早くあらゆる地点に伝達するからこその情報革命なのである。
対象となる地点が増えるほどに、必要な費用は級数的に増える。
これを民間企業が行おうとすれば、利益を出す前に破綻するであろう。
「2つめの問題は到達距離。100メートルごとに人が必要」
それでは実用には耐えられないだろう。次の100メートル先に伝えるためには伝達文をもう一度送り出す必要があるのだ。
1分の音声を伝言するためには、聞くのに1分、送るのにまた1分必要だ。
100メートルごとにこれを繰り返して10キロ先に伝えるには200分かかる計算になる。3時間20分だ。
3時間あれば10キロ先の町まで余裕で走れる。
もちろん人件費もかかりすぎることは言うまでもない。
「光の方はもっとひどい。何しろ常時見張っていないと受け取れないからな」
スールーが吐き捨てるように言った。
サントスは傷ついた顔をしているが、言い返せない。それが事実だからだ。
「とにかく、コストと距離が壁になっているんだ。これをぶち破らない限り先には進めないだろう」
スールーは総括するように言った。
ステファノは考えをまとめながら意見を述べた。
「まずコストの方ですが、鉄以外の材料を使ったらどうでしょう?」
「うん。柔らかいものだと音を吸収してしまう。固くないとダメ」
「ある程度ですよね?」
「ステファノ、何か案があるのかね?」
ステファノには思いついたものがあった。
「はい。焼き物です」
「焼き物? というと、食器のような?」
「そうです。焼き物なら材料は土ですからコストは桁違いに安くなります。同時にたくさん焼けますし」
「なるほど。硬さと言う面では鉄に劣るが、量産性とか製品の運搬しやすさでは利点があるかもな」
食堂の営業には食器が必要だ。当然焼き物屋とのつき合いがある。ステファノもバンスに連れられて窯元を見に行ったことがあった。
「水道用や排水用に土管という物を使うことがあります。あれを利用できれば安くできます」
「そうか! 早速実家に連絡してサンプルを入手させよう」
スールーが勢い込んで言った。
「もう1つの課題、距離の壁については魔道具を使えば解決できるかもしれません」
「何だと?」
ステファノの言葉に、サントスが食いついた。
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