第209話 セイナッドに「猿」あり。五遁の道を良くす。
「これと、これ。それからこの本か。他にもあるが元の話は同じものを載せているだけだ。この3冊を読んでおけば大体良いだろう」
「ありがとうございます。本を探す手間が随分省けました」
「ワタシたちはそのためにいるからな。知りたいことがあったらいつでも相談すると良い。ではごゆっくり」
そう言い残すと、ハンニバルはゆったりとした足取りで持ち場に戻って行った。
道々、乱れた本の並びをちょいちょいと指先で直して行く。
(本当に本が好きなんだな)
背中を見送って、ステファノは1つ頭を下げた。
ハンニバルが選んでくれた3冊の本を持って、ステファノは閲覧室に向かった。正午までまだ3時間以上ある。
効率良く調査ができそうだった。
カリカリとノートにメモを取るペンの音が3時間断続的に続いた。
◆◆◆
(こんなところか)
ステファノはペンを置いた。手拭いで指先についたインクを拭う。
ステファノは確信に至っていた。
(セイナッドには特殊な訓練を積んだ異能集団が存在した)
その中核は厳しい肉体的鍛錬と、原始魔術であった。
夜陰に乗じ、敵陣深く潜入する。糧食を燃やし、水を抜く。あるいは毒を投じる。
ついには敵将の寝首を掻く。
追われれば隠形五遁を駆使して、姿をくらます。
いつしか彼らは「セイナッドの猿」と呼ばれ、魔物のように恐れられた。
彼らが使ったとされる術がいくつか書き記されていた。すなわち……。
「火遁炎隠れ」
「水遁霧隠れ」
「木遁木の葉隠れ」
「金遁金縛り」
「土遁岩隠れ」
そして、「猿飛」。
セイナッド氏はどこからその異能を得たか? その地方に伝わる伝統儀式の中に、その由来が残っていた。
山岳宗教である。
山に入り身心を鍛え、研ぎ澄ます。時に食を断ち、滝に打たれ、深山の頂に立つ。
荒行を乗り越えることで精神は一種の恍惚境に至る。
その上で、後に丹田法の元となった「仙道」と呼ばれる呼吸法によりイドの活性化に至ったと考えられる。
しかし、魔力の発動は限定的であり、術の規模は小さかった。
したがって攻撃魔法よりも、牽制や目くらましの術として利用されることが多かったのである。
これらの術を再現するとしたら。
ステファノはその方法、術の性質を考えてみた。
その結果、「中の下」ほどの魔力があれば実現可能と結論づけた。
もちろん自分でも再現できる。
五遁を使う者がいなくなった現代では、戦いを避けて身を隠すのに役立つ術かもしれなかった。
(下調べはこのくらいで良さそうだ。問題はどこまでレポートに書くかだが……)
実力を隠しておきたいステファノとしては、どの程度魔力発動の仕組みに踏み込んで書くかが悩ましい。
(すべてを解き明かすのではなく、術の1つくらい術理を示せれば良いだろうか?)
後は、「なぜステファノが術理を知っているのか?」という理由づけがほしいところだ。
魔視脳の存在に触れることなく、術の発動を説明するには……。
宿題を解くために、また宿題が生まれる。
(学校の勉強って難しいものだな)
ステファノは新たな課題を抱えて、図書館を後にした。
◆◆◆
食堂で定食を食べていると、今日はサントスが1人でやって来た。
「ステファノ、元気?」
「こんにちは、サントスさん。お1人ですか?」
「うん。スールーとは別行動」
スールーに比べるとサントスは大分無口なので、食事が早く進む。
ほとんど会話がないまま、2人は定食を食べ終えた。
「お前、キムラーヤのトーマを
「えっ? 何のことですか?」
「訓練所で騒ぎを起こしたのはお前のせいだって」
「トーマがそう言ったんですか?」
本人が言わない限り、ステファノの名前が出てくるわけがなかった。
「いや、お前の勧めで訓練所に行ったと」
「ああ、それはそうですけど。喧嘩を勧めた覚えはありませんよ?」
「だろうな。馬鹿はあいつのせい」
「あいつとデマジオって奴と、そんなに仲が悪いとは知りませんでした」
商売敵とはいえ、それは家と家のことである。子供同士が角突き合わせる必要はない。
「商売のせいじゃない。性格の不一致」
「本当に馬鹿なんですね」
ステファノは呆れて言った。
「だからお前が気にする必要ない。他から聞く前に、一応教えといた」
「そういうことですか。心の準備ができました。別に悪いことはしてませんから」
「だが、なぜ魔術が使えないトーマに試射場を勧めた?」
ステファノは瞑想法の訓練として、人の魔力を観察させた狙いを説明した。
「ふむう。人の魔力とは見えるものなのか?」
「ドリーさんは感じるそうです。トーマも『そっち系』の奴じゃないかと思って」
「魔術師とは不思議な連中」
他人の「特質」が見えると言うサントスであっても、魔力を見ることはできないらしい。
「サントスさんも人の内面が見えるんでしょう?」
「俺の目は大したことない。『活性度』が見えるだけ。ステファノは異常、毎日変わる」
「最近瞑想法を覚えて訓練していますから。それで脳が活性化されてるんでしょう」
サントスの話を聞いて、「そうだったのか」とステファノは納得した。
確かにアカデミーに来て以来、毎日新しい発見があった。ステファノの活性度とやらは上昇を続けているに違いない。
そんな「巡り合わせ」に恵まれた生徒は、珍しいだろう。
「それで俺を選んだんですか?」
「イエス」
サントスは自分のギフトを意識して使っている。トーマの方はギフト持ちなのかどうかも定かでない。
「サントスさんはどうやってギフトに目覚めたんですか?」
「死にかけたら覚醒」
「えっ?」
「船が沈んで船員に助けられた。2人手を伸ばしてくれた。1人の手がバラ色に見えた」
「もう1人の手は青かった。俺はバラ色の手を取った」
その船員は救命具もなしにサントスを抱えて泳ぎ続けた。そして奇跡的に通りかかった船に救助された。
実に1昼夜半、泳ぎ続けたのだと言う。
「青い手をした船員は溺れて死んだ。俺は自分のギフトのことを『バラ色の未来』と呼んでいる」
ステファノは言葉を失っていた。
サントスのように生死の境をさまよって、ギフトに覚醒する者がいる。極限に追い詰められた脳が救いを求めて
サントスにとって、人生観を変える体験であった。
「人はみな、いつか死ぬ。それは今日かも。やりたいことをやっておかないと」
刹那主義のことを言っているのではない。悔いのないように今を生きる。
サントスはそうしようとしていた。
「だから、アカデミーに来た。世の中を変えたい」
自分が生きた証を、1つでも残したいのだと言う。それはステファノが魔術師になりたいと思った気持ちに通じるかもしれない。
「サントスさんの目から見て、トーマはどうなんですか?」
「ずっとダメダメだった」
「だった? 変わったんですか?」
サントスは前髪の下からステファノと目を合わせた。
「お前とつき合い出してから、バラ色がにじみ始めた」
「いや、つき合ってはいませんけど……」
「ステファノの影響力が意味不明。馬鹿につける薬か?」
直接的に関わりを持ったわけではない。影響を与えたとすれば、瞑想法のヒントを与えたくらいか?
「トーマは大嫌いだが、もしあれがバラ色に染まったら……」
苦い物を飲み込むようにサントスは顎を引いた。
「万難を排して情革研に引き込む」
言い切るサントスから、ステファノは殺気のような気迫を感じた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます