第138話 やれるか、ステファノ? 人の命を背負い込むことになるぞ。

「頼む! 金を、金を貸してくれ!」

「え?」


 ステファノは面食らって足を停めた。

 人にナイフを突きつけておいて、金を貸してくれって良く言えたものだなと。


 だが……。


「すみません! すみません……。金を、金を貸して下さい……!」


 男は大地にしがみつかんばかりに爪を立て、額を地面にこすりつけていた。砂が、小石が、額に擦れてじゃりじゃりと音を立てている。


 男の背中が波を打ち震えるのを見て、ステファノはふうと息を吐き出した。


「理由を聞かせて下さい」


「ひぃいいい……。すみません……」


 鼻を啜った男は泥だらけになった顔を上げた。


「娘が、娘が死にそうなんです!」

「娘さんは病気ですか?」

「蛇に……毒蛇に噛まれたんです! 薬師に金を払って解毒剤を飲ませたんですが、まだ命が危ないって……」

「それでさらに薬を買うお金を?」

「すみません! もう、どうして良いかわからなくて!」


 ステファノは忙しく考えを巡らせた。自分に高価な薬を買うだけの大金はない。治療に使える魔術も知らない。

 呪タウンに連れて行く時間と、病人を動かす危険を考えると、ネルソン商会に連れて行くこともままならない。


「一緒に来て下さい」

「えっ?」

「俺の師匠に相談します!」

「その人は医師ですか、薬師ですか?」


「どちらでもありませんが、娘さんを助ける方法を知っているかもしれません」

「お、お願いします! 娘が助かるなら何でもしますから!」

「とにかく行ってみましょう」


 ステファノは男を引っ張るようにして、宿屋に連れて行った。ヨシズミは、同じ場所で久しぶりの酒をちびちびと楽しんでいた。


「師匠!」

「ステファノけ? どした? その人はどこの人だァ?」

「この人の娘さんが蛇に噛まれて、命が危ないそうです」


 ヨシズミは手にしていたグラスをテーブルに置いた。


「医者は? 薬師には頼ったのケ?」

「く、薬は3日前に飲ませました。だけど……吐き気と頭痛が収まらず、体がむくんで、血が……血尿が止まらなくて……」

「医者は何ツッてる?」

「腎臓が弱っていると。こ、このままでは体に尿毒が溜まって死んでしまうと……」


 男はこらえきれずに嗚咽を漏らした。


「しっかりしろッテ! おめェが泣いててどうすル? ちっと待て、顔洗って来ッカラ」

「師匠!」


 ヨシズミは椅子を蹴倒す勢いで立ち上がると、中庭の井戸に向かった。

 桶に冷たい水を汲むと、着物を脱ぎ捨て褌1つの姿になって頭から水を被った。


「んがぁああっ!」


 そうしておいて改めて水を汲み直すと、桶に直接口をつけてぐびぐびと水を飲んだ。


「糞っ。間が悪いにもほどがあッペヨ!」


 ぴしゃりと両手で顔を張り、手拭いで体の水気を拭い去って着物を纏った。


 前髪から水を滴らせながらテーブルに戻ったヨシズミは、素面しらふを取り戻したように見えた。


「とにかく娘ンとこサ連れてケ。道々、話サ聞きながら行くベ」

「は、はいっ!」


 男の名はダレン。娘は14歳で、チェルシーというらしい。3日前に毒蛇に噛まれ、そのままでは命にかかわると言うので借金をして薬を手に入れて飲ませた。

 何とか娘の容態が持ち直し、急死することはなくなったのだが、その後の回復が思わしくない。


 どうやら血に毒が残っており、腎臓を冒しているらしいと聞かされた。高い薬を使えば腎臓が回復するかもしれないということだったが、ダレンにそれ以上金を貸してくれる人間はいなかった。

 万策尽きたダレンは頭に血が上り、強盗じみた真似に及んだということであった。


「ここか? 邪魔するぞ」


 家に案内されたヨシズミは、ずかずかと屋内に入り込んだ。娘の部屋に案内され、寝かされているチェルシーの枕元に椅子を引きつけて座る。

 蛇に噛まれたというふくらはぎや腹部に手をかざして意識を集中した。


「確かに毒が消えてねェようだ。腎臓が熱を持ってる。尿に血が混じってるんだな?」

「は……はい。赤黒い色で……」

「確かに、医者が言うように腎臓が痛んでいるようだ」

「娘は、チェルシーは助かりますか?」


「わからん」

「そんな……」

「やってみなくてはわからん。だが、方法はある」


 ダレンは床に跪いて、手を合わせた。


「お願いします! この子を助けてやってください!」


 ヨシズミはそれに返事をせず、己の両手を顔の前に掲げてじっと見た。その手は小刻みに震えていた。

 一旦瞑目したヨシズミは、目を見開いてステファノを見た。


「ステファノ、知っての通り俺は酒を飲んでしまった。この娘を助けられるかもしれない術を知ってはいるが、今の俺では使えない。娘を救えるのはお前だけだ」

「俺が……」

「やれるか、ステファノ? 人の命を背負い込むことになるぞ」


 ステファノはベッドに横たわるチェルシーを見た。ヨシズミの前に跪くダレンを。


「俺にできることがあるなら、やります!」

「そうか」


 ヨシズミは椅子から立ち上がると、ステファノの両肩に手を置いた。


「ならば、ここに座れ。俺がすべて指示する。この子を助けるぞ!」

「はいっ!」


 ヨシズミは床に座り込んだダレンに声を掛けた。


「聞いたな? 俺たちが何とかする。ついては、娘さんの尿がついた物……下着でも手拭いでも良い。それを持って来てくれ」

「そんな物を……」

「早くしろっ! 娘が死んでもいいのかっ!」

「ひぃいいいっ!」


 ダレンは泣きそうな顔で飛び上がり、洗い物を探しに行った。


「ステファノ、そこの小鉢を取ってくれ。うん。それを俺の手の下に」


 そう言うとヨシズミは自分の指先に噛みついた。血が噴き出し始めた指先を絞って、小鉢に数滴の血を垂らす。


「師匠!」

「心配ない。放っておいてもふさがる傷だ。それよりこの血を見ろ。イドの眼で良く観ろ・・・・!」


 言われたステファノは、小鉢の血液に意識を向ける。ヨシズミは「イドの眼で観ろ」と言った。


(色は匂えど 散りぬるを~)


 血液は薄っすらとイドの光を纏い、かつ紫の色をかすかに漂わせていた。


「わかるだろうが、血液には複数の物が含まれている。普段は小さすぎて目には見えん。近づいて良く観ろ」


 ステファノは観相に意識を集めた。


「物を見ようとするな。イデアを観るのだ。『個』としてあるイデアを観わけろ」


(我が世誰ぞ 得常ならむ~)


 イデアには距離も大きさもない。我もまたイデアの1つである。


「あるがままの血液を、その状態を知れ」


 遠眼鏡の焦点をずらすようにステファノのイドは小鉢の血液を透視する。点描で描いた風景画に目を近づけたように、「個」であるイデアが全体から立ち上る。


「も、持って来ました。手拭いです」


 ダレンが籠に入れた手拭いを差し出した。


「よし。そこに置け!」


 ヨシズミは手ぬぐいの入った籠をステファノの前の床に置かせた。


「良いか、ステファノ。血液には成分がある。丸い赤血球。大きな白血球。小さな欠片のような血小板。それが液体の中に漂っている。それを元の状態として認識しろ」


 ヨシズミの言葉がきっかけであったかのように、イドの視界がクリアになって行った。赤一色だった世界が薄まり、丸い物がたくさん散らばった光景に入れ替わった。所々に垂らした蜜のような不定形の塊と、皿を砕いた破片のような欠片が散っている。


「師匠! 丸い物や欠片が見えました」

「よし! 今度はこの手拭いについた血を見ろ」


 ステファノは濡れた手拭いに目を向けた。意識を集中してイデアの集まりとして認識する。


(色は匂えど 散りぬるを~)


「違いを観ろ! 俺の血にはない異物の存在を認識しろ! 小さい、小さい異物だ」


 目を凝らすように、ステファノはイドの眼を世界の奥深くに届かせる。海底を探るおもりをロープに繋いで垂らしていくように。観相の焦点深度を深くして行く。


 すえた尿の匂いが漂う手拭いの表面にステファノのイドが入り込んで行く。見たばかりの血液の痕跡を探し当てれば、点描画にこびりついた埃のように、小さな異物がそこにあった。


「良いか? それらの異物は本来尿として体の外に排出されるべきものだ。だが、いまは腎臓の働きが落ちているために、血液の中に残っているのだ。お前はこの子の血液からその異物を取り除かねばならない」

「取り除く……って、どうやって?」

「2種類の網で掬え。目の粗い網で血球と血小板を掴まえるんだ。その後残った中から小さな成分である老廃物を細かい網で掬い上げろ。最後に残った液体と血球、血小板を体の中に戻すんだ」


 ヨシズミが再現しようとしていたのは「人工透析」であった。

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