第139話 ステファノの一念少女を癒す。
「2種類の網……」
荒い網にかかる成分、すなわち赤血球、白血球、血小板は残す。しかし、細かい網にかかる成分は「老廃物」なので取り除く。つまり「2つの条件」を持たねばならない。
それはなかなかに難しいことであった。
「落ちついて観ろ。ここだ。この位置に腎臓がある。因果を紐解けば異物を除去する働きが見えるはずだ。
「オレの腎臓と比べてみろ。時を切り捨てて、『因果』のみを観るんだ」
ステファノの額に汗がにじむ。極度の集中に手が震えた。
血が流れ込み、流れ出る。異物が、老廃物が除去される過程を、結果を探し、紐解き、観る。
(有為の奥山 今日越えて~)
今までやったことがないレベルでの観相であった。肉眼で見えないものを、見たことのない働きをイデアのレベルで認識しなければならない。
(だが、すべては存在し、「そこにある」はずだ。「そこにあるもの」を観る。自分を観ることと、落ちている石を観ることと同じであるはずだ!)
物質の形骸にとらわれず、実在の本質に迫る。ステファノはそれを為そうとした。
(
世界を、時空を透かして観れば求める因果はそこにある。
(浅き夢見じ 酔いもせず ん~)
森羅万象、宇宙は1点に集中し、手を伸ばすまでもなくそこにあった。
ステファノは観た。少女の腎機能を、ヨシズミの血流を、そして自分の腎臓を観た。
(血の成分……大きさが違うなら重さも違うはずだ)
ステファノは右手に「土のイデア」を呼んだ。
(「足跡」に刻まれた引力よ。色は匂えど 散りぬるを~)
少女の腎臓の上に手をかざし、青の光紐を手のひらに集める。
血流の中で血球、老廃物は動いている。血漿に運ばれて。
血流の因果の中から「回転」を選び出す。回転を生み出し、増幅するのは「引力」だ。
わずかに大きくなった回転が粒子を「外側」に推し動かす。
ステファノは一瞬の閃きにより、「遠心分離」を行って老廃物と血液の通常成分を分離した。
血管の中心に集められた老廃物を、尿排出の流れに載せる。
少女の腎臓から戻る血流が正常な構成になっていることを、ステファノは自分の血流と比べて確認した。
「師匠、やり方がわかりました!」
「そうか。続けられるか?」
「できます! 土魔法を掛けました。あとは維持するだけです」
「よし。お前の言う念誦に働きを任せて、心は軽くするのだ。イデアに眼を向け続けていては長丁場は持たんぞ。4~5時間は治療を続ける必要があるはずだ」
(色は匂えど 散りぬるを~ 我が世誰ぞ 得常ならむ~)
ステファノは頭を空っぽにしてひたすらに念誦を続けた。信仰を持ったことはなかったが、神に祈る行為とはこういうものであろうかとぼんやり想像しながら。
ステファノの「考え」はただ一つ。「少女よ、健やかであれ」ということだけであった。
◆◆◆
「……ステファノ。ステファノ!」
肩を揺すられてステファノは我に返った。少女の体に右手をかざしたまま、心の焦点を失っていたようだ。
慌ててイドの眼に意識を戻し、血流の状態を確かめる。
「師匠、血がきれいになっています!」
「ああ。4時間経ったかンナ」
「えっ?」
ステファノにはまったく記憶がなかった。術に没入した結果、時の経過を忘れてしまったのだ。
思い出してみれば、途中ヨシズミに話し掛けられ、何やら答えていたようにも思う。
「オレの酒も粗方抜けたッペヨ。診たところ腎臓に疲れが残ってるが、血の中の毒は抜けきった様子ダナ」
「やっぱり……。良かった。これで助かりますね?」
「大方大丈夫だッペ。後は安静にして体の回復を待つだけダ」
「ありがとうございましたっ!」
父親のダレンが床に膝をついて手を合わせた。
「良かったですね。娘さんをよく休ませて上げて下さい」
ステファノはふらつきながら立ち上がると、ダレンに手を貸して立たせた。大の男に跪かれている図は落ちつかなかった。
ヨシズミが立ち上がったダレンに声を掛ける。
「俺たちはこれで失礼するが、今日のことは人に漏らさないでくれ」
「へっ? それは一体……」
「今回はたまたま俺が『治療の仕方』を知っていたから娘を助けられた。だが、俺たちは医者ではない。病人がいるからといって助けることはできんのだ。俺たちのことは一切他言無用だ。いいな?」
「は、はい」
ダレンは腑に落ちない顔をしていたが、ヨシズミの真剣さに押されて同意した。
「礼も要らんし、今後の関わりも断る。今日のことはなかったことだ。娘は勝手に回復した。それで良い」
「では、我らはこれで失礼する。達者でな」
有無を言わせぬ勢いで畳みかけると、何か言いたげなダレンを振り切ってヨシズミは表に出た。ステファノも黙って後に続く。
「ステファノ、厄介なことになる前に町を出るぞ」
「えっ? 宿を引き払うんですか?」
「そうだ。口止めサしたが、守ってくれッかはわからねェ。他の病人サ紹介されたり、医者や役人を連れて来られッと面倒ダ」
「他にも困っている人がいるかもしれませんが……」
「ステファノ」
ヨシズミは道の途中で足を停めて、ステファノの顔を正面から見た。
「世の人間すべてをお前が救うことはできない。それに俺たちが無償で病人を治療すれば、医者や薬師の反感を買うことになる」
「それは……」
「第一、お前。もう観相を使えまい?」
「えっ?」
驚いてイドに意識を集中してみると、ずきりとステファノの頭が痛んだ。
「あ、痛っ!」
「イドがイデアを認識するのは自然なことだが、肉の身のままでそれを為せば肉体に負荷がかかる。長く続ければそうなる」
ステファノは頭を押さえて頷いた。
「そんな有り様じゃ人助けも蜂の頭もあんめェ? 誰か来て、それサ断ったらどうなる? 嘘つかれた、贔屓されたって不平を持たれッペ? それが人情ッてもンダ」
現実にヨシズミはそういう扱いを数知れず受けて来たのだろう。がんじがらめに身を縛りつけるしがらみに耐えきれず、世捨て人になったのだ。
「オレみてェのは行きすぎかしんねェけど、人間は神様じゃねェからヨ。手サ出すのは目の前のことだけにしとケ」
ステファノは人助けを簡単に考えていた自分を恥じた。他人や自分を甘やかすような行為は、己が求める「人助け」ではないはずだ。
もっと地に足がついた働きで世の中の役に立たなくては……。
「まあ、あんまり深く考えッこともねェ。今日みてェなことが毎日あるわけじゃねェからな。何事もほどほどが大事ってことダ」
2人は宿に帰りつくと事情が変わったのですぐに発つと伝えた。多少驚いた主人だったが、そういうこともあるのだろう、落ちついて対応してくれた。
◆◆◆
そのまま残りの荷物を背負って街を出た2人は呪タウンを目指して歩き始めた。中途半端な時刻に歩き出したため、今晩は街道沿いで野営をすることになる。
逃れるように旅立った2人であったが、実際のところは誰かに追われるような可能性は低かった。
名前はステファノしか明かしていないし、どこで何をしている者かは名乗らなかった。ヨシズミとステファノの会話は常人が聞いても意味不明であるし、ステファノが施術を始めてからはダレルを部屋から追い出しておいたので詳細は見られていない。
だが、薬を使おうともしない2人は確実に「魔術師」と見られただろう。
ステファノが「少年」と呼べる年齢、外見であったことも噂を招きやすい要因だった。
人はとかく、刺激的な出来事を他人に話したがる生き物である。
旅の少年が魔術で病人を癒したという噂が、やがて人々の口に上るようになった。
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