第100話 ステファノは瞑想の果てに世界の中心を観た。

「どうするんですか?」


 ギフトとやらを得られれば魔術師になる道が開けるかもしれない。それは願ってもないことだとステファノは思った。


「修道院では結跏趺坐けっかふざという特殊な座り方をするのですが、今回は省略しましょう。足が痛くなるだけで特に意味は無いので」

「意味が無いのにやっているんですか?」

「伝統という物はそういう物です。皆で同じことをすると帰属意識が芽生えますしね」


 マルチェルは自分の椅子を動かしてステファノと向かい合って座った。


「両手を出してください。そう。こうやって両手をつなぎ、腕で輪を作ります」


 何をするのかわからないながらも、ステファノはできるだけ体の力を抜いて流れに任せようと思った。

 何となくそれが正しいことのように思えたのだ。


「魔術の指導でも同じようにする流派があるそうですよ。それなりの効き目があるのかもしれません」


 マルチェルの口調が軽いのは、ステファノをリラックスさせようという心遣いなのだろう。


「修道院の瞑想法では、自分と外界との境界を感じることを悟りのきっかけとしています」


 自分と外界との境界。普通に考えれば皮膚なのだが、そういうことではないのだろう。


「自我は世界とは別れて存在するにもかかわらず、世界が無ければ存在しません。つながりつつも同一化はしない。今のわたしとお前のような関係だと思ってください」


 マルチェルを「外界」と思えということだなと、ステファノは理解した。両掌を通して、ステファノは「外界」につながっている。


「ギフトは人の領域を超える力です。『外界』とのやり取り無しには存在しえないでしょう」


「目を閉じて気持ちを楽に」


 マルチェルの言葉は続く。光の消えた世界でステファノを導く道しるべのように。静かに、ゆっくりと。


「何も見えませんね。それが『ありのままの世界』です。『ギフトの無い世界』と言っても、この場合は良いでしょう」

「自分がその世界の中心にいると想像しなさい。何か丸い物になったと思うと上手く行きやすいですよ」


「丸い物」と言われると、真っ先に思いついたのが「玉子」であった。

 こんな時でも自分は飯屋のせがれだなと、ステファノは内心で苦笑した。


「『それ』の周りには闇がある。黒一色の闇です」

「『それ』は柔らかくなり、形を変えられるようになります」


 ステファノの「玉子」は割られて「卵」になった。黄身と白身があるのは良いのだろうか?


「『それ』は世界に向かって広がります。境目を感じながら『外』に向かって大きくなります」


 それは「卵」には易しいことだ。逆さにした皿の上に落としてやれば、勝手に広がって行く。

 白身の端を境目として、どこまでも「外」へと溢れて行く。


「『それ』はまだまだ広がっていきます。薄く、広く。広がって行きます」


 ステファノの「卵」は薄くなっていく。平たくなって、「外」へと広がって行く。

 伏せた皿を想像したせいか、「卵」は何の抵抗もなく「闇」の中で広がって行った。


「広がって、伸びた『それ』の境目に、やがて何かが触れます。『闇の中』に浮かぶ何か。『外』の存在です」


「卵」は広がって行く。まだ、「卵」に触れる物は無い。ステファノには感じられなかった。


「触れるのは『物』ではありません。霧よりも煙よりも薄い何か。もやもやとした茫漠ぼうばくです」


 煙……は良くない。軽くてもやもやしたもの……。あれは何だっただろう?


「押しても手ごたえがありません。産毛うぶげを撫でる微風のようなもの。額にかかる蜘蛛の糸の一筋」


 蜘蛛の巣のようなものは感じたことがある。あれはガル老師の放った探知魔法だった。

 その魔力を、広がり行く魔力をもやもやとした抵抗として感じた。あれを茫漠としようか。


 ステファノはますます薄くなる。「卵」なのか自分なのか、既に区別は無い。「卵」を上から見ているつもりだったが、いつしか自分が「卵」になって「闇」を見ていた。


 その時――。


「広がる先には何かがあります。『それ』ではない何か。そして『闇』の一部でもないもの」


 それは蛍の光に似た何かに思えた。中心も外側も定かでない、「闇ではない」というだけの薄ぼんやりとした明かりであった。

 ステファノは導かれるようにそちらに進む。『あれ』はわずかに脈打っているようだった。


『あれ』が発する光はあるか無しかの質量を有しているように、ステファノの外縁に触れて来る。蜘蛛の巣に顔を突っ込むような、あのざわざわとした感じ。それをずっと薄めた物。


 頬を掠めるタンポポの綿毛。


(通り過ぎた?)


 そう思って振り返ると、そこには無数の綿毛がほんのりと光を放っていた。

 思えば、それは初めよりそこにあった。あって当たり前の物であるがゆえに、ただ気づかずにいた。


『あれ』は『闇』ではない。『闇』に属さない『何か』であった。むしろ『自分』に近い。

 手を伸ばせば掴めるほどに自分に近い。


 手を伸ばせば――。


 ステファノに手はなかった。伸ばす手がない。

 自分もまた1つの綿毛であった。ほんのりと、ぼんやりと光り、『闇』に浮かぶ綿毛の1つであった。


「『あれ』もまた『それ』と同じ物。『それ』とつながることができる物です」


 そう。その通りだと心が叫ぶ。『あれ』は本来自分の一部であると。

 だが、伸ばすべき手がステファノにはない。感じるだけで触れることのできぬもどかしさがステファノを責める。


 どうしたら良いか?


(ギフト持ちはギフト持ちを引き寄せる。旦那様はそう言っていなかったか? ならば……)


 自分から手を伸ばすのではなく、『あれ』を呼べば良いのではないか?

『あれ』も『自分』も同じ光を発している。『あれ』が蜘蛛の糸のような光を発することができるのなら、自分にも同じことができるのではないか?


(こっちへ来い!)


 ステファノはそう呼んでみた。声の代わりに、ほんの僅かにステファノの光が揺らいだ。


「求めれば『あれ』に近づけるでしょう。『あれ』は『内なる外』です」


 外でありながら内でもある。今ステファノの中で光っている物も、『あれ』と同じ。

 そう思えば、ステファノの光が揺らぐたび『あれ』の光も揺らいでいるのだった。


 ステファノは『あれ』の揺らぎに己を合わせようとした。ステファノの揺らぎが少しだけ大きくなる。

 ステファノに合わせて、『あれ』も揺らぐ。


 やがて『闇』は『闇』ではなくなった。明と暗の間を行き来する世界あいまいであった。

 それは『振動』であり、『波』であった。


 思えば、それは初めより『波』であった。ステファノは『暗』だけを見て『明』を見ていなかった。

 ゆえに『波』が『闇』に見えていた。


 ならば、ステファノと『あれ』も『明』と『暗』の間を行き来する『波』であった。


「『あれ』は本来『それ』と同一なのです。1つになるのに努力は要りません」


<広がることを止めて、内なる光を見よ!>

<戻れ。戻れ。内へ、内へ。内なる中心に光がある。『それ』の本質は『世界』の本質である>


 言葉ではない『しき』が、ステファノの心に響き渡った。

 

 ステファノの波動は最大に達し、岸壁に寄せた大波が打ち返すように、内側に向けて押し寄せた。


 ステファノは『波』であり『光』であった。同時に『闇』でもあり、『卵』でもあった。

 光る『白身』は『黄身』に向かって収束していく。


 ステファノは『光』を追い越し、『黄身』の中心にいた。そこは穏やかで、ステファノはとても満ち足りていた。

 そこにはステファノたる物のすべてがあった。


 今まで知らなかった『光』があった。


 もはや手を伸ばす必要はない。ステファノはただ思った。


(共にあれ)


『光』の名は『諸行無常いろはにほへと』であった――。

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