第79話 「鴉」のマルチェル。
「店からつけている奴はいないようだったが、念のための用心だ」
前を向いて歩きながら、マルチェルが言った。
その口元はほとんど動いていない。
さらに15分ほど歩いて2人がたどりついたのは、古びた商店風の建物だった。
マルチェルは道を挟んだ斜め向かいの雑貨屋に入って行く。
「2階を借りるぞ」
カウンターの店主にそれだけ言うと、案内も待たずに奥の階段を上って行く。
通りに面した部屋に入ると、中央に置いてあるテーブルセットを窓際に移動した。
「さて、あれが口入屋の建物です。出入口はわかりますね? ここからは根競べです。動きがあるまでじっくり待ちましょう」
そういうと、マルチェルは椅子の片方に腰を下ろして、くつろいだ。
ステファノも椅子を運んで、腰を下ろす。
「ああ、もうそれは外して良いですよ」
マルチェルに言われ、頭を触ったステファノはスカーフを被ったままであったことに気づき、慌てて外した。
「お返しします」
顔を赤くして差し出したが、マルチェルは受け取らなかった。
「お前のために用意したものです。何かの役に立つかもしれない。持っていなさい」
「わかりました」
ステファノはスカーフを丁寧に畳むと、腰の物入れに納めた。
そのまま2人は日が傾くまで見張りを続けたが、その日は何事も起こらなかった。
◆◆◆
翌日も朝食後早々に、マルチェルの後について口入屋の見張りについた。
この日は前日とは違う店を通り抜けたが、裏口には馬車が待っていて人目につかぬよう2人を運んでくれた。
「さて、今日はどうでしょう。動いてくれるとありがたいですが」
口ではそう言うが、マルチェルはさほど気にしていないようだった。
「動きが無かったらどうするのですか?」
ステファノは尋ねてみた。
「そうですね。口入屋の元締めを引っ張り出して、吐かせてみましょうかね。どうせ叩けば埃の出る体とわかっています」
こともなげにマルチェルは言った。
「素直に吐くでしょうか?」
証拠が無ければ白を切るのではないかと、ステファノは思った。
「吐きますよ。『吐いても吐かなくても1昼夜
当たり前のことを言う声音で、マルチェルは言った。
ステファノには「これ」とはどんなことを指すのか、確かめる勇気が無かった。
「不思議なものでしてね。吐けと言うと意地でも吐かない奴が、吐かなくてもいいと言われると泣きながらしゃべり出すのです」
恐ろしいことをマルチェルは静かな口調で言った。
「苦痛を
こういう時のマルチェルは表情を失って仮面のような顔をしている。
これが「鴉」としての顔なのであろうか。
「来ても来なくても良いと思っていれば、気楽なものです。肩の力を抜いて待ちましょう」
時々交代で休憩を取りながら、2人は監視を続けた。
動きがあったのは、昼を過ぎてしばらく経った頃であった。
口入屋の店先がバタバタしたと思ったら、3人の男たちが表に出て来た。
「先頭にいるのが口入屋の元締めですね」
マルチェルがステファノに教えた。
「依頼人のところに向かうかもしれません。わたしが尾行してみます」
そう言うと、マルチェルは階段を下りて行った。
残されたステファノは、留守番役だ。入れ違いに怪しい人間が尋ねて来ないかどうか、見張りを続けることにした。
連絡を取るまでお互いの動きはわからないのであるから、行き違いになるのはあり得ることであった。
一人でする監視は難しい。行きかう通行人の姿をつい目で追ってしまい、店の監視を忘れてしまいそうになる。
ステファノは肩の力を抜いて、むしろぼんやりと口入屋の店先を眺めるようにした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます