第78話 食い逃げよりも簡単?

「なるほど。場違いな大物に目をつければ良いのですね」

「そういうことです」


 ステファノは誰が誰だか、顔を知らない。名前も素性も知らない人間たちの往来を見て、「場違いな」客を見つけ出さなければならない。

 身なりや振る舞い、ふとした挙措動作――。


「あ、そうか」


 何かが腑に落ちたように、ステファノは顔を明るくした。


「何か気づきましたか?」

「うちの飯屋で、やってたことだなと思って」

「飯屋で見張りですか?」


 マルチェルが怪訝そうな顔をすると、ステファノは照れくさそうに笑った。


「食い逃げされないように、それとなく客の様子を見ることがあったんです。それと同じことをやればいいかなと思って……」

「なるほど。他の客と様子が違うという点で言えば、同じことですね」


 1人の客の中身を知ろうとするのではなく、他の客との違いを捉える。

 その「違い」の正体も知らない状態で。


 統計学で言えば「クラスター分析」のアプローチに近い。複数ある「属性」の組み合わせが似通った物同士をグルーピングして行くと、明らかに存在するグループ間の相違が浮き彫りになる。


 飯屋で言えば、「普通の客」対「食い逃げ犯」。

 今回のケースで言えば、「普通の客」対「暗殺の黒幕」だ。


「食い逃げよりも黒幕の方が目立つはずですよね?」

「ふふ。お前の店で食い逃げをするのは難しそうです」


 マルチェルもステファノの使い方を、大分心得てきたようだ。

 

「もし気になる客がいたら、顔を覚えておきます」


 ステファノには映像記憶フォトグラフィック・メモリーがある。

 

「頼みます」


 2人を載せた馬車はネルソン商会へと帰りついた。

 それぞれに着替えや身支度を行い、再び顔を合わせたのは30分後のことであった。


 今度は馬車ではなく、徒歩で通用口から店を出た。

 マルチェルはいつもの落ちついた執事風の服ではなく、動きやすい普段着のような服装に着替えていた。


 ステファノはといえば、着替えが無いのでいつもの服装であった。


「これを被っておきなさい」


 マルチェルに渡されたのは、黒いつばつきの帽子であった。適度にくたびれたその帽子を目深にかぶると、目元を隠すことができる。


「気休めですが、無いよりましでしょう」


 ふと違和感を覚えて見直すと、マルチェルはポケットに片手を入れ、背中を丸め気味にして歩いている。それだけで、いつもとは別人の印象であった。


「ついてきなさい」


 ぶらぶらと歩きだしたマルチェルは、時々街角の店をのぞきながら10分程歩き回った。


「ここに入りますよ」


 立ち止まったのは、一軒の本屋の前であった。

 ドアを開けて店に入ると、薄暗い店内には天井まで届く書棚が列をなして並んでいた。棚にはぎっしりと本が納められており、向こう側が見えない。


 店内は暗く、埃っぽい。換気が良くないのか、かびくさい臭いもする。


 マルチェルは足を停めずに、ずんずんと店の奥、棚の裏に入り込んでいく。足元に気を取られながら、ステファノは遅れないように急ぎ足で続いた。

 奥では店主が本の整理をしていた。マルチェルはわずかにうなずいて見せると、その横を通り過ぎてカウンターの裏に入り、奥のドアを開けた。


 ドアを抜けると細い廊下であった。まっすぐな廊下の先にまたドアが見える。


 マルチェルはドアの前で足を停め、上着を脱いで腕に掛けると、ズボンのポケットから鍵を取り出してドアのカギ穴に差し込んだ。


 かちゃりと軽い音を立てて、錠が開いた。


「その帽子はここに置いて行きなさい。代わりにこれを……」


 上着の内ポケットから地味なスカーフを取り出して、ステファノの頭に被らせた。

 中背で華奢、顔つきが幼いステファノは、そうするとちょっと見には男か女かわからなくなった。


「少し下を向いて、小股で歩いてみなさい」


 真面目な声で言い、マルチェルはドアを開けて外に出た。片手で髪を乱し、すがめになっている。

 肩を前に落としているので、先程迄より背が低く見えた。


「じゃあ行くぜ」


 少しかすれた声で言うと、マルチェルは再び歩き出した。

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